SSブログ

第五百八十四話 刻印 [妖精譚]

 この夏はとりわけ暑い。毎年、夏になる度に同じように「今年はとりわけ暑

いねぇ」なんて思ってしまうのだが、今年ばかりは本当に暑い気がする。国

のエネルギーの問題で、節電社会になり、室内に入ってもエアコンなんか

が節電されているせいなのかもしれない。私はこれまでの人生の中で、子

供の頃には着ていたノースリーブの服を大人になてからは着なくなってい

たのだが、今年ばかりついにノースリーブを十数年ぶりに復活させた。

 ノースリーブというやつは、二の腕が顕になってしまうため、なんだか恥

ずかしいのだ。子供の頃は恥ずかしさなんて考えたこともなかったのだが、

大人になってからは、自分の二の腕が人より太く、無様な気がするように

なったからだ。なかでも、肩の辺りに残っている予防注射の痕、あれがど

うにも恥ずかしいのだ。

 子供の頃に接種されて痕が残るものはふたつあって、ひとつは疱瘡の

注射。これは本当に小さな頃に打たれてしまうので、どんなものだったか

覚えていないのだが、肩のところに無様な跡が残っている。もうひとつは

BCGという結核予防の注射。昔は針を差す注射だったそうだが、私が受

けたのは判子みたいに、ペタリと腕に押し付ける。自分の腕に残された

痕は、首を捻らないと見えないので、あまり見たことがなかったのだが、

ノースリーブで肩を出している子の痕を見ると、疱瘡のはなんだか丸い

判子をついたようなもので、BCGのは四角い九つの穴が整然と並んで

いるのだ。私の痕も同じようなものだとおもっていたのだが、大人になる

直前くらのあるとき、首をひねっても見にくい自分の注射痕を、鏡に映し

て観察したのだ。

 なんか違和感。友達のと違うような。友達のは丸い判子と、四角い判

子。だが、私のは・・・・・・獣の顔みたいなのと、もう一つは囚人にでも

つけられていそうなアラビア数字のような象形文字に見える。何これ?

不思議に思って両親に聞くと、不思議でもなんでもないよと、自分たち

の腕に残された同じものをみせてくれた。だけど、それ以後、友人たち

の腕の痕を何人も観察したが、私と同じ痕を持つ者は一人もいなかっ

た。こうして私はなんとなく腕に残された痕を人前に晒すのが恥ずかし

くなって、ノースリーブの服を着なくなった。

 だが、今、とっくに亡くなった両親の年齢よりも年上になった私の脳裏

に執拗に浮かんでくる思いがある。疱瘡は赤ん坊だったから仕方ない

として、BCGを受けたのは、どこでだったろうか。どこかの小学校? 

不思議なことに覚えていないのだ。注射の様子は覚えているのに、そ

の場所が記憶にないなんて。両親がいない今、もはや聞くこともできな

いのだが、どこか遠い場所から運ばれてきたような気がする。船か飛

行機か、そんな移動する函の中。窓の外は暗闇。夜だったのだろうか。

そんな環境の中で泣きながら接種を受けたようなイメージだけが、脳裏

に浮かんでくるのだ。

 人の体には、それまで生きてきた様々な痕跡が残されている。だが、

何だか覚えていない痕跡というものは、実に奇妙な気分にさせてくれる。

私は誰なのか、どこから来たのか、私はみんなとは違うのか。もしかして

私は人間ではないのか。さまざまな思いを巡らせながら、しかしこの暑さ、

もう痕跡等どうでもいいやと思いながら、ノースリーブに腕を通す。

                            了

続きを読む


読んだよ!オモロー(^o^)(2)  感想(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。