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第五百七十二話 ご近所パワースポット [日常譚]

 世の中には、気分がよくなったり、癒されたりする場所がある。そこは長年

にわたって訪れたたくさんの人々が、畏敬の念を持ち、祈り、賞賛する場所。

 物知り顔で誰かからの受け売りをする智男に、またかと思いながら、伊勢

神宮とか熊野大社とかだろう? そんなのは誰でも知っているぞ、と返して

やった。すると、智男を口をとんがらかして、そんな有名なのもあるけれど、

もっと、あんまり誰も知らないパワースポットが、この近所にあるんだぜ、知

ってるか? と挑戦的な目つきで言い返してきた。

「なんだよ、そんなもの、あったっけ? この辺りに?」

 パワースポットには興味を持っているぼくは、思わず聞き返した。

「ほぉら、やっぱり。知らなかったろう? 俺が連れて行ってやるよ」

 というわけで、ぼくは智男の後をついて、近所にあるというパワースポット

に向かうことにした。二人はいったん駅前に続く大通りに向かったが、その

途中で東に折れて、昔からある下町の住宅街に入っていった。智男はどん

どん先を歩き、道は少しづつ細くなっていく。これ、近所といっても、同じ駅

かもしれないけれど、随分歩いたなぁ、と思えた頃、ぐっと狭くなった路地の

入口で立ち止まった。昔でいう長屋っぽい古い家屋が並ぶ一画に、路地の

入口はあって、智男はその中に入っていった。突き当たりの、少々日当た

りが悪そうな玄関で智男は声をかける。

「こんちはー! いらっしゃいますかぁ? 上がっていいですかぁー?」

 奥から返事があったのかどうかもわからなかったが、智男は靴を脱ぎ、

ぼくにも入れと促した。狭い玄関の向こうにひと部屋あって、さらにその

奥に台所があるようだったが、智男は台所の横にあるこれまた狭い階

段を勝手に上がり始めた。勝手に人の家に上がっていいのかな? と

いぶかりながら、智男の後ろについて階段を上がる。すると、二階の部

屋は窓が大きく開いていて、案外明るい。六畳ばかりの部屋の真ん中

にちゃぶ台が置いてあって、七十歳ほどの老婆がニコニコして座って

いる。

「やぁ、ばあちゃん、元気だった?」

 智男の言葉にいっそうニコニコしながらうなづく老婆は、立ち上がっ

て茶棚から湯呑と菓子箱を持って戻ってきた。再びちゃぶ台の前に座

った老婆は、二つの湯呑にお茶を注ぎながらつぶやくように言った。

「おうおう、また来ましたか。どうぞどうぞ、いつでもいらっしゃい」

 お茶と一緒に目の前に置かれた饅頭に手を伸ばして、智男は無遠慮

に口に放り込む。お茶を飲んでから、老婆のそばに擦り寄って、智男は

老婆に仕事の愚痴をこぼしはじめた。最近仕事が減ってしまったこと、

それで新規開拓をさせられているが、上手くいかないこと、業績が上がら

ないので給料がへってきたこと、上司に嫌味ばかり言われること。老婆は

智男のどうでもいいような愚痴を黙ってニコニコしながら聞いている。とき

折り、そうかい、ほぅお、ふぅん、と小さな合いの手を入れることもあった。

 ぼくはしばらく居心地悪く智男の愚痴を聞いていたが、老婆の笑顔につ

い見とれてしまって、いつの間にか居心地の悪さは消えていた。智男の

愚痴がひとしきり終わって言葉が途切れたときに、智男の尻をつついて

小声で聞いた。

「おいおい、どこにパワースポットがあるんだよぉ」

 智男は振り向いて意外な顔をした。

「なんだよ、わからないのか? ここがパワースポットじゃないか」

「ええ? ここ? この部屋のここ?」

 智男は大きくうなづいて、老婆にも笑いかけた。

「あのね、ばぁちゃん、こいつ、俺のダチなんだけどね、この町のパワースポ

ットを知らないっていうから、連れて来た。これからこいつもちょくちょく来ると

思うからね、よろしくね」

 老婆はまたしてもニコニコしながら大きくうなづいた。

 ぼくにはまだ、よくわからないが、どうやらこの古い民家の二階、老婆の前が

パワースポットだということらしい。だが、すでに居心地よくなってきており、何

だかふるさとの家に戻ったようで、気分もよく、ずーっとここに座っていたいよう

な気持ちになってきていた。そうか、パワースポットは、神社や森の奥、何か

神秘な場所と思っていたが、こういう古い民家の、しかも長い年月を生きてきた

老婆と共にいるというのも、ある種の癒しなのかもしれないな。愚痴を聞いても

らったり、悩みを打ち明けたり、もしかしたら何かアドバイスをもらえたりするの

かもしれないな。こういう年寄りとの遭遇というのも、ある種の神秘かもしれない

な。老婆の家の古びた畳の上に座っているうちに、ぼくは次第に理解してくるの

だった。これが本当のパワースポットであると。

                          了


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