第九百九十三話 クラブUSO [文学譚]
「あら、いらっしゃーい」
赤い扉を開けて入ってきたのは白髪混じりのサラリーマン風のおやじだった。
「おう、ママが寂しがってるだろうと思って来たよ」
「まぁ、うれしい。ホントに寂しかったのよ」
クラブUSOは新宿からひと駅分離れた歓楽街のはずれにある店で、得意先のビルから駅に向かう途中にあった。いつも通る道なのに、赤に黒文字で書かれた派手な電飾看板にいままで気がつかなかったのが不思議な気がした。USOだなんて、なんかアメリカのヒット曲でも流しているオールディズ趣味の店なのかなと興味を持って入店したのだが、店内はいかにも場末な感じの普通のスナックだった。カウンター中心の狭い店内にはママが一人だけいて、女の子もいるんだけど、もう少し遅い時間なのとママが言い訳した。
「しかし、相変わらず美人だね」
おやじは歯が浮くような台詞を平気で言う。
「山ちゃんこそ、いつも通りダンディだわ」
ママも負けてはいない。
「ところで、こないだワシントン出張でオバマにあったよ」
「小浜さん? 誰それ」
「ばーか、大統領だよ」
「うっそー! 凄い。安倍ちゃんがこの店に来た以上の驚き!」
「ほう、安倍さんが来たのかね」
「そうよー。私、言ってやったの。あんまりオバマの腰ぎんちゃくみたいにならないでねって」
「なるほど。私は逆にオバマに言ってやったよ。日本の諺をさ、安倍食って地固まるって」
「あはは、なによそれ。それにしてもアメリカもなんだか大変そうね」
「そうなんだよ。だから私も忙しくってね。アジアを仕切りたいのなら、日本をうまく使えって言ってやったのに、APECに出なかったろ」
「ああ、あれ困るよね。安倍ちゃんも眉をしかめてたわ。習近平がしゃしゃり出てきて困るって」
「ああ、あいつにはオバマちゃんも首をかしげてたな」
するといちばん奥にいた影の薄い男が会話に加わってきた。
「なんですと。首を? どこかお悪いのですかな?」
「おや、そんな暗がりにいらっしゃったんですか? あなたは?」
「ああ、申し遅れましたが、私は習近平の友人でして、オバマに近づくように進言したのは私なんですよ」
話はどんどん国際情勢へと膨らんでいってまるでこの店の中で世界が動いているようだった。話が途絶えたときに、私はこっそりママに耳打ちした。
「ママ、ここはすごい店ですね。みんな凄いコネクションで……」
「そうよ。ここはそうでないと来れない店よ。あなたは誰の知り合いなの?」
「え? 僕ですか……そんな僕なんて」
「ばっかねえ。なんでもいいから設定しなさいよ。そうしなきゃ会話を楽しめないわよ」
「設定って……どゆこと?」
「店の名前見たでしょ? ここはクラブUSOよ」
「うん、知ってる。アメリカンポップスなんかかかってないのに」
「違うわよ、クラブUSOって、つまり嘘クラブってこと。嘘つきごっこで楽しむのよ。さ、早くあなたも」
「わ、わかった。他の客にプーチンの知り合いは……いるのかな?」
翌日私は書店に行ってロシア語入門書を購入した。
了
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