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第五百七十一話 天気雨 [文学譚]

 じぃぃぃぃ、じぃぃぃぃぃ、どこかで夏が叫んでいる。

 暑い。家の中でじっとしているだけでも、脇の下から、腕の真ん中から、体

内にとどまっていた水分が毛穴のひとつひとつから滲み出してシャツを濡らす。

額に滲んだ水滴は、書き物をしている机の上にぽたりぽたりと垂れて、余白に

大きな句点を記す。手拭きで拭っても拭っても絶えることなく体中から湧き出

し続ける水分は、衣服や手拭きや机や紙を濡らし続けているのかといえば、そ

の内に太陽の日差しに捉えられ、空気中に溶け込んで消えてなくなる。

 もちろんそうでなければ汗粒は布紙に留まることができずに床のそこここに

水たまりをなし、そこここの水たまりはひとつの大きな池となり、湖となり、

やがて室内は汗の海で埋まってしまうだろう。幸いにも水滴は、そもそもは大

量の汗を産出した原因であるほかならぬ太陽の手によって持ち去られて行く、

それが天の策略であるかのように、私の体から奪われていく水分。天の仕事。

仕事。まもなく夏休みが開ける。水分を摂っては天に捧げるだけの日々が終わ

って残り三百六十日の日常がはじまってしまう。仕事は嫌だ。

 仕事もまた私の中から何ものかを吸い上げて、わからないものに変化させて

から、金に変わる。その金の一部は、そのうちに私の口座に金粒として戻って

くるが、そんなことのために私の中の何かが絞り出されていくような気がして。

 ずざざざざ、ずあぁぁぁぁん。

 夕方、私の体から召し上げられた水滴が音と共に束となって戻ってくる。

 どぉぉぉぉぉん。

 天はお怒りなのか、すざましい雷神を伴う。水の嵐。

 あっという間に道路は海に変わり、ジェットスキーと化した車が次々と走り

去る。マンホールは我を忘れて取り込み過ぎた水流を逆流させて、ごぼごぼっ

ごぼぼぼぼぼと吐き出している。

 雷神は、どこかの公園で二人の娘の命を蒸発させた。見知らぬ娘たち、未来

のある娘たちの代わりに、私がそこにいたら。そこにいたら、私が蒸発して、

明後日からの業務を無しにできたであろうに。

 嵐のように降り注いで、忘却のようにぴたりと止まった豪雨は、天の一時の

戯れに過ぎなかった。

 翌日。天晴れな青空で、またしても私の体から水を奪う。水滴は、またして

も天に召し上げられて、それから返されるのかという予感。予測通り、夕立。

だけど今度の雨は雷神の助太刀もなく、すぐに諦めムードに包まれた。青空の

まま、陽光のまま、雨水はさらにさらに細切れになって、それでも止むことも

せず。・・・・・・夕刻の光の中を音もなくきらきら泳ぐきらきら無数の小さ

な水滴。

 きらきらりんきらりん。

 セピアの黄昏を背に、何千、何万の水の子が規則正しく空中を舞っている。

その中に歩み寄った私の身体を濡らすことなく遊びにふける無数の水滴。

 きらきらりんきらりん。

 そういえばしばらくぶりの天気雨。田舎道で出会った狐の嫁入りは。都心の

ビルを背景に踊る霧雨は、壮大過ぎて狐の嫁入りというには。光り輝く水滴を

全身に浴びて、休暇最後の一日は夢のように。                              

                             了

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