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第五百五十六話 嘘 [怪奇譚]

「嘘つき!」

 そう叫ばれて、言い返すよりも先に、考え込んでしまった。いったい何故、嘘

つきなんて言われなきゃぁいけないのだ。さっぱりわからない。彼女に対して

何か具体的な嘘をついたのなら、その嘘がバレた暁には嘘つき呼ばわりされ

ても仕方がないが、彼女に嘘をついた覚えがないのだ。それなのに彼女はぼ

くに向かって嘘つきと言った。さっぱりわけがわからない。

「なぁ、どうして嘘つきだなんていうの?」

「どうしてって、あなたが嘘つきだからに決まってるでしょ!」

「ぼくがいつ、嘘をついたというの?」

「またそうやって嘘をつく。あなたが私を騙していたのはわかってるのよ」

 また頭の中が混乱してきた。いつ嘘をついたのかと聞いただけで、またひ

つ嘘が増えたような口ぶりは、どうしたことか。質問をすると嘘つきになる

か?

「さっぱりわからないなぁ。どうしてぼくが君を騙さなきゃぁいけないの?」

「ほらぁ、そうやってまたごまかそうとする。あなたはいつもそうなのよ。何

か大切な話になると、知らない、わからない、誰が、何がって。いったいあ

なたの頭の中はどうなってるのよ」

 頭の中? 何いってるんだ、それはこっちが知りたいよ。これっぽっちも

嘘なんてついたことがないのに、嘘つき嘘つきと言ってのける人間の頭の

中は、いったいどうなっているのかt、思わず口にしそうになったが、そんな

ことを言ったら、ますます逆上して何をしでかすかわからない女だ。だから

グッと気持ちを押さえて言った。

「あのね、ぼくだってぼくの頭のなかなんて見たこともないんだから、君に

見せることなんてできないよ。だけどね、ぼくはいままで君に嘘をついた

ことなんて一度もないよ」

「じゃぁ、あれはどういうことなの? あなたのご両親に私を紹介するって

言ったくせに、いざその時になったら……それも当日になってよ、実はあ

なたの両親は死んだって、こんな馬鹿な話はないわ。それならそれで、

最初から両親は死んだって言ってくれればよかったのよ。あれが嘘じゃ

ないなら、いったい世の中の何が嘘だっていうのよ!」

「あ、ああ、あれか。あれは本当に君を両親に会わせたいって思ったか

ら、紹介するって本心から言ったんだ。自分の親が死んでしまってること

を忘れてしまうなんて、確かにどうかしてるよな。だけど、それは嘘では

ないんだってことをわかってほしい」

「じゃぁ、あなたには奥さんがいるってことも忘れてたっていうの? 私に

プロポーズしておきながら、後から実はすでに結婚してるだなんて……」

「そ、そうだった。あれも、すっかり忘れていたんだ。僕に妻がいただなん

て、思いもよらなかったよ」

「バッカみたい! あなた、おかしいんじゃない? 自分の親のことも、奥

さんのことも、覚えてないだなんて、そんなおかしなことってあるかしら?

あなたは、異常よ!」

「……そんな風に言われてしまっては……返す言葉もないが……ぼくが

いろいろ忘れてしまうっていうことが本当だとしても、それは嘘つきではな

いんじゃないかな。ぼくは君を傷つけたりしないよ」

 そうだ。嘘つきだなんて言ってはいけない。もしかしたら、僕が単純に忘

れていただけかもしれないのに、鬼の首をとったように嘘つきだなんて。

だいたい、嘘か嘘じゃないかなんて、いったい誰が決めるんだ。現実に起

きたことを知っているのに、事実と違うことを口に出すのなら、それは嘘つ

きだろう。だが、自分自身も現実に起きたことを知らない場合や、事実とは

違うことを信じてしまっていることだってあるわけじゃないか。自分が信じて

いる事実を伝えた時に、それが間違っていたとしても、嘘をついたことには

ならない。単に間違ったことを言っただけなのだ。

 たとえば誰か友達が死んだとしよう。ぼくはそれを知らずに、君に紹介す

るよって言っても、これは嘘にはならないはずだ。さらに、この友達自身も

自分が死んでしまったことに気がついていないなら、約束通りに君に会い

に来るかもしれない。そして君に会って別れた後で、ぼくが誰かから知らせ

を受けて、済まない、紹介するはずだった友達は死んでしまったと言う。す

ると、君はやっぱり僕に嘘つきって言うんだろうね。ぼくは何も嘘をついて

いないのに。反対に、死んだ筈の友だちと会ったという君の主張を、ぼく

は嘘だっていうだろうね。でも実際は、ぼくも君も嘘をついていないという

のに。こんな風に、嘘というものは非常に曖昧なものなんだ。あるいは相

対的なものなんだ。事実というものがあって、それとは異なる事象を嘘と

いうが、そもそもの事実が揺れ動いたときには、何が事実で何が嘘だか

まるっきりわからなくなる。だから、嘘というものを信用してはならない。

 ぼくが一生懸命彼女と話し合っているというのに、背後の奴らはぼくら

の話にいやらしく聞き耳を立て、なにか恐ろしいことを話し合っている。

あいつら、いったいなんなのだ。

「またはじまりましたか」

「ああ、またはじまりました」

「よほど辛いことがあったんでしょうね、嘘に関して」

「そうだな。今となっては彼が完全に正常に戻るまで、その真相はわからない

が」

「嘘をつかない自分と、自分を嘘つきと罵る相手。その両方が彼の中で闘って

いるんだ。まるで天使と悪魔のようにね」

「かわいそうに。きっと、恋人だったんだろうね。その恋人に振られた原因が、

誤解による嘘で、それを未だに引きずって、一人二役をやって再現している

んだろう」

「それもひとつの見方だが、もしかしたら最初からああだったのかも。自分で

作り出した彼女に恋をして、その彼女は実際はいないわけだから、そのあた

りの矛盾を修正するために重ね続けた嘘が、自分自身を蝕んでいったのか

もしれない」

「なるほど。そんな見方もあるんだなぁ」

 けっ。何も知らない奴らが、またぼくのことを馬鹿にしてやがる。ぼくの頭が

おかしいだなんて。どうしてそんな嘘をつきたがるんだろうね、病院の人たち

は。本当はおかしいのはあの人たちなのに。ぼくなんて人間は、もう死んで

しまってこの世にいないのにね。

                                了

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