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第五百七十三話 愛犬 [恋愛譚]

 年雄は笑うと垂れ目がちな目尻がいっそう下がって、優しさが満面に現れる

のだが、いったん仕事場に入ると切れ者の鋭い眼差しが相手の信頼感を勝ち

取るようなタイプの男だ。ダークカラーのビジネススーツがよく似合い、社内の

女子の間でもイケメン社員として人気者だった。社内でモテるからといって、チ

ャラチャラするようなこともなく、誰かと付き合っているという噂もなかったのだ

が、実は裏では結構派手な交際をしていたようだ。

 そんな彼とつきあいはじめて一年になるが、たった一年の間に、何度浮気

されたことか。もっとも私たちは結婚しているわけではないので、彼が誰と付

き合おうが、法的に問題があるわけではないのだが。それでも恋人が他の

誰かとも付き合っていることがわかると、腹が立つ。結婚はしてないとはい

え、私以外の相手は、いわゆる本妻に対する愛人と同じだ。その証拠に、

私が浮気を知って彼を責めると、その度に彼は私に詫びてはその浮気相

である”愛人”から手を引くというのがこれまでの経緯だった。

 だけど、一年の間に五回も六回も同じような事が起きると、こちらもほと

ほと嫌になってくる。私の精神状態が不安定になるのも仕方のないことだ

と思うのだがどうだろう。つい先月も彼に頭を下げられて、新たな愛人との

別れを約束させたばかりだというのに、今月に入ってまた新たな疑惑が発

覚した。彼の頭の中は、いったいどうなっているのだろうか。

 今月に入ってからは彼のマンションに行ったことがなかったのだが、その

僅かな期間なのに、いつの間にか、新たな愛人と住んでいるという情報を

会社の同僚から得た私は、現場を捕らえてやろうと思って、抜き打ちで彼

のマンションを訪れた。私は彼の部屋のキーを持っている。だから、いつ

行ってもいいのだ。オートロックの玄関を通り、エレベーターに乗って彼の

部屋へと向かう。いきなりドアを開けてやろうかと思ったが、こちらもちょっ

とビビってしまい、チャイムを鳴らす。

 ピーンポーン。

 しばらくしてドアが開く。なんだよ、いきなり。どうした? 何かあったのか?

何かあったのかじゃないわよ。あなたの部屋を抜き打ち検査に来たのよ。抜

き打ち検査って、なんの? 浮気に決まってるじゃない。浮気? あーっはっ

は。お前も心配性だな、もう俺はそんなことはしないよ。嘘つき! 昨日、K子

から聞いたのよ。新しい愛人がもう住んでるって。愛人? ばっかばっかしい。

そんなのいるわけないじゃない。まぁ、入れよ。

 私が玄関に入ると、奥の方で声がした。

「ワン!」

 私はあっと声を上げた。ほらぁ、やっぱりいるんじゃない、愛人が。何言っ

てるんだ。あれは・・・・・・彼が言いかけると奥から茶色い小さな塊が走り出

てきて私に飛びついた。何よ、これ! こいつはバイなの? バイってなんだ

よぅ。だってこいつはあなたの愛人でしょ? なのに私にキスしようとしている

わ。お前、本気で言ってるのか? これは愛人じゃなくって、愛犬だろ? お

前、どうかしてるぜ! 

 確かに私はどうかしてる。もとより犬好きの私なのに、こと彼が可愛がって

いると知ればは止めがきかなくなる。

「どうでもいいから、もう、早く手を切って! この新しい愛人と!」

 私はそう言い放って部屋を後にした。

                                   了


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