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第五百七十九話 レイヤー生活 [文学譚]

 まるで石器時代の頑固親父みたいに、始終難しい顔をして帰ってくる。おか

りと声をかけても「ウム」というばかりで、ひどい時には黙りこくったまま靴を

いでずかずかと部屋に上がる。もちろん自分の家なのだから、それでいい

だが、それにしても何か一言くらいいえばいいのに。

 家に帰ると、寝室で寝巻きにしている浴衣に着替えて居間にやってきて、一

言「飯はまだか」とだけ言ってソファに座って新聞を読みはじめる。結婚したて

の頃は、まだもう少し夫婦の話をしていたように思うのだが、結婚二十年を過

ぎて、気がつけば「飯」「風呂」「寝る」しか言わない頑固親父になっている。

 昔の漫画かなんかで、明治時代の親父の姿が風刺的に描かれていたのと

ほとんどかわらない。本当にあの漫画みたい。妻である私が話しかけても、

「ウム」とか「アア」とかいうか、完全無視される生活を強いられてきて、いつ

しか私も無口になっている。言っても聞いてくれない話をしても仕方がないの

だ。声をかけても戻ってこない挨拶を、しても虚しいだけなのだ。

 こうして家の中から会話が消えた。子供達はみんなもう独り立ちしてしまって

いるから、家の中は夫婦二人だけだ。二人だけの生活といっても、夫はほとん

ど会社だし、顔を合わすのは朝の一時間ほどと、夜寝るまでの二、三時間、休

日だって、昼まで寝ているかゴルフに出かけてしまう夫と顔を合わせる時間は

短い。だから、何も困らないのだ。飯と風呂さえ用意していれば。私の方はと

いうと、子供が小さかった頃は、学校のこととか子供の進路についての相談

とか、家の中を片付けて欲しいとか、掃除機の修理とか、いろいろ注文したい

ことがあって、ちっとも話を聞いてくれないと文句をいったりしていた時期もあ

った。だが、そのうち文句は怒りに、怒りは諦めに、諦めは空虚に変わって、

今やお金さえ持って帰ってくれればいいという気持ちになり、夫の存在は空

気か屁のようなモノになっている。

 夫がそんなだから、私だって好きなことをするわ。そう考えて、ヨガに行った

り、カラオケ教室に行ったり、私は私で適当に楽しんでいる。それでいいじゃ

ないか。いまさら離婚だ別居だと騒ぐ元気もないし。

「おい、帰った! 飯!」

 夫がいつものようにして帰ってきたある日、テレビを見ながら食卓に並べた

夕食を口に運ぶ夫を眺めながら、ふと気がついた。私たち、本当に同じ家に

いるのだろうか。目の前にいる夫は、本当にそこに存在しているのかしら?

奇妙な考えが浮かんだのだ。私は目の前でテレビに顔を向けて箸を口に運

んでいる夫に手を伸ばしてみた。あと数センチ、あと数ミリ。私の指先は夫

の額に届いた。数ミリ、数センチ。私の指は、夫の額の中にすーっと埋まり

こんでいく。え? なにこれ? 私の手は、遂に夫の頭をすり抜けてしまった。

つまり、夫はそこに存在していなかった。夫は私がしていることに全く気がつ

かない様子で、黙ってテレビを眺めながら飯を食っている。食事は、確かに

私が用意したもので、夫が食べるに連れ、減っている。食事は、皿は、食卓

は、部屋は、そして私は確かにここにいる。だが、夫は姿は見えるが、実態

はここにはない。おそらく夫から見た私も同様なのだろう。これはいったい?

私は理屈はわからなかったが、直感的にわかった。私たちは違うところに住

むようになった夫婦だと。

 なんとも不思議な話だが、夫婦は同じ時空間にはいるのだが、いわゆる違

うレイヤーに住んでいるらしい。夫婦のすれ違いは、いつの間にか、少しず

つではあるが、次元の違うところへとそれぞれを連れて行ってしまったのだ。

                        了

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