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第九百九十七話 最後の日をいかに迎えるか [可笑譚]

 あと一日しか残されていないとわかったら、人は何をして過ごすのだろう。

「今さらジタバタしても仕方がない。残された一日を有効にするか無駄に終わらせるか、それはお前自身の問題だ」

 そう言って先生は部屋から立ち去った。

 確かにもはやどう足掻こうが決まってしまっていることだ。時間を止めることなどアインシュタインにだってできはしない。非力な人間はただその時が来るのを待つことしかできない。刻々と近づいてくる運命を帰ることはできないのだ。

 いや待てよ、先生が言った通りかもしれない。時を止めることはできないが、そこに至るまでの自分の有り様を変えることはできる。貴重な一日を泣いて過ごすこともできれば、なにが大切なことなのかを考え、その大切なことのために一日を費やすことはできる。

  たとえばいままで味わったことのないほど思い切りリラックスしてその時を迎えることもできれば、だれか大切な人と共に過ごすことだってできる。そのどちら を選んだところで結果は同じじゃないかというニヒルな答えが返ってくるかもしれないが、それでもいい。その時に自分自身がどれほど満足できるか、これで良 かったのだと悔いを残さずにいられるか、結局それが生きている人間の証なのだから。

 こうしている間にも小一時間も過ぎてしまった。さてどうするのだ。わたしにとって大切なことってなんなのだろう。

  答えが見つからないままにまた小一時間も過ぎてしまう。家族? 最後の時間を過ごす? 残念だがいまの私に家族はいない。父も母も早くに亡くなってしまっ た。兄弟姉妹もいない。では恋人と過ごす? これも無理だ。つきあっていた男と別れてもう三年にもなる。なんということだ。私には最後の時間を共にできる 大切な人がひとりもいないのだ。

 もちろんそんなことは最初からわかっていた。親も恋人もいない、だからこそその時がやってくるのがいっそう恐ろ しいのではないか。同じその時は全人類に同じようにやってくるのだなどという言葉は何の慰めにもならない。人それぞれに環境が違うのだから。わたしが満足 してその瞬間を迎える手だてなどないのだ。ひとりでリラックスしたところで何も変わらない。そんなことでわたしは変われない。

 あれこれと悩んで いるうちにどんどんと時間は過ぎていき、ほとんどの時間を潰してしまった。もう間もなく日付が変わってしまう。せめて先生に頼めば良かった。今夜だけでも 一緒にいてはくれないだろうかと。しかし先生にだって家族はいるのだし、そんなことは頼めなかった。それにわたしだってあんな老人と貴重な時間を過ごすく らいなら一人の方がましだと思った。


 そしてついに二本の時計の針が頂点に達して日付が変わってしまった。その日になってしまったのだ。

  三十路。誕生日を迎えてしまったわたしは美容術の先生から忠告を受けたにもかかわらず、二十代最後の一日を無為に過ごして大台を迎えてしまった。十代から 二十歳になったときに感じたそれ以上に、もはや中年の領域に突入してしまったという喪失感は強く、鏡の前でもう若くはない肌を眺めながら、もうこんな年齢では恋人もできないのではないかしらとい う大きな不安が押し寄せてくるのだった。

                       了


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感想 2

タッチおじさん

お元気ですか?
私は時間を戻したい!・・・でもきっと馬鹿だから同じ事を
してしまうかも?。
by タッチおじさん (2013-10-18 13:05) 

momokumi

コメント欄を承認制にしたのを忘れてました。
今頃ですみません。タッチおじさん、コメントありがとうございました。
by momokumi (2013-10-23 19:55) 

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