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第五百五十七話 余裕〜妄想五輪−2 [妄想譚]

 あまりにも違い過ぎる。周りの奴らは全然いけてねぇ。なんでこんなもの、

さっとできないんだろう。ただ前へ前へと脚を繰り出しさえすれば、ほんの九

秒ちょっとで終わっているというのに。人間の能力ってそんなものか? 屁た

ればかりなのか? ……いや、違うな。周りがダメなんじゃない。俺が凄すぎ

るんだ。俺が本気を出すまでもなく、俺と他の六人は、大人と子供くらいの差

があるんだ。けっ、こんな奴らを相手に本気を出せるかっつーの。

 世界最速の異名を持つウサギン・ナットは、いままで短距離レースを死ぬ

気になって走ったことがない。そんなことをしなくても、ナットより早く走れる

選手がほかにはいないからだ。スタート時点では本気を出しすぎると、フラ

イングしそうになるので、他の奴らに併せて走りはじめる。だからほんの少

し出遅れたりもするが、そんなもの問題じゃない。そこから七秒あたりまで

を、少し力を入れて走ると、あっという間に他の奴らは後ろに下がって見え

なくなる。そこで俺はふっと力を抜いてゴールを駆け抜けるんだ。それでも

必ず一位。誰か俺を抜いてみろっていうんだ。

 ナットはこの時から後も、数年間はこんな感じで走り続けた。だが、ナット

の記録を超えられるものは誰も出てこなかった。五年後、ナットは三十歳に

なり、いささか体力の衰えを感じはじめ、自己新記録を超える力はもはやな

くなっていたが、ナットを含めてかつてのナットより早い人間は一人もいない

のだった。もはやナットは走ることに飽きていた。ライバルが出てこない以上、

つまらないし、自分自身も限界を感じているし。まぁ、ここらでいいだろう。これ

以上、必死になることもないし、小金もできたし。ナットはにわかに人生を減速

させ、遂に走ることを辞めた。減速を決めたとたん、世の中の風景が早送りの

ようにスピードを上げ、逆に自分自身の動きが緩慢になったような気がした。

 ハイスピード撮影で撮らえた、カモシカが走る姿のように、自身の動きが止ま

っているような感覚になり、倍速撮影で撮らえた、ものが腐っていく動画のよう

に、肉体が衰えるのを感じた。ゴールはもう目の前なのか。ナットはゆっくりと

歩きながら目を閉じて、崩壊していく自己を感じ取りながら、静かに目を閉じた。

                                    了

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