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第九百七十九話 踊るように生きろ [可笑譚]

 社長でありインストラクターであるトミーの目の前で、麻子はギクシャクしながら手足を動かしている。足と手は交互にリズミカルに動かさなけれならないのに、どうしても同時に同じ方向に動いてしまうし、トミーのカウントとまったく合わない。

 ワントゥスリーフォー、ワントゥンタタン、ワントゥスリーフォー、ワントゥンタタン。

 かっくんかっこんずれるずれる、ぴんすここんすこんんととと。

「おいおい、まだできないか?」

 トミーは業を煮やしてカウントをやめる。なんでこいつはこうもリズム感がないんだ。しかし、なんとかしてやらないとなあ。

 トミーがダンスをはじめて三十五年。若い頃はダンサーに徹していたが、三十を過ぎた頃から自分のスタジオを持つようになり、いまではいくつものダンススタジオから数々の若手ダンサーを世に送り出しているスタジオの経営者だ。ダンスが義務教育に取り入れられて、ますます生徒も数を増やしてすべてが順調だ。

 ところが最近、麻子という二十歳になる叔父の孫の面倒を見てくれと頼まれてしまった。麻子はダンスインストラクターになりたいそうで、これまでも町のダンス教室でレッスンしてきたが、どうも上達しないというのだ。できれば、トミーのスタジオで事務員として雇いながらダンスを教えてくれないかという無茶な注文だった。叔父には昔、出資してもらった手前、断ることもできない。まぁちょうど古い事務員が辞めたところだったので、軽く引き受けてしまった。

 麻子は短大を出ていて頭はいい方だと思うのだが、計算をさせても書類を作らせてもどうも要領が悪いというか手が遅い。丁寧だというのならまだしも、ミスも多い。ダンスだってレッスンを受けていたようには思えないのだ。

 事務所で計算をしている後ろから覗き込んでみると、なんだかもたもたしている。

「麻子ちゃん、もっとこうーなんていうか踊るようにできないかな?」

「は? 踊るように、ですか?」

「そうだ。ワントゥスリーフォーってリズミカルに電卓が叩けないか?」

「リズミ……カルですか?」

 麻子の電卓は、たんたった……た。た……たったんたた……た、と、ちっともリズミカルじゃないことに、本人はさっぱり気がつかない。

「あのな、踊るようにすればどんなことでも上手くいく、おれはそう思ってる」

「はぁ」

 そんなこと言われても、麻子にはさっぱりだという顔をする。

コピー機と悪戦苦闘しているときでも同じことを麻子は言われた。何枚もの書類を複写していたのだが、きちんと複写しようと思うと一枚一枚手間取ってすっごく時間がかかっている。その様子を見ていたトミーは後ろから近づいて、ほら、こういうのでもタンタタタンたんたたたんってリズムをつかんで踊るようにやってごらん。貸してみろとコピー機を使ってみせる。トミーの動きは、それは見事に踊るようなスマートさで、しかも正確にスピーディに複写が取れていく。

 むろん、麻子はトミーとは違う。同じ人間ではないのだから、まったく同じようにはいかないだろう。だがコツさえつかんでくれたら、どんなことだって踊るように気持ち良く楽しくこなせるのに。

「先生。トミーさん、わたし、やっぱり上手く踊れません。なにかコツみたいなもの、あるんですか?」

 麻子は汗が滲んだTシャツの首元をタオルで拭いながら聞いてきた。だからさぁ、何度も言ってるけどね、トミーは思う。

「どんなことだって、ダンスだって同じだ。何度だって言う。いいか、よく聞け」

 トミーは真剣な眼差しで麻子の顔を覗き込んで言う。

「上手に踊るコツはな、踊るように踊るんだ」

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第九百七十八話 原始人 [文学譚]

 気がつくと草原の真ん中で眠っていた。背の高い樹木の森に囲まれたサッカー場くらいの草原だ。どこかから叫び声が聞こえてきたので驚いて起き上がると、森の中から巨大な猪が飛び出してきて、その後を数人の人間が追いかけているのだった。猪には槍が突き刺さっていて、間もなく力尽きて倒れた。嬌声を上げながら獲物を取り囲む人々の最後尾にいた一人がこちらに気がついて近づいてきた。どうしよう。逃げるべきなのか。迷ったが、体が竦んで動けない。男はどんどん近づいてくる。人間には違いないが、ホームレスにも似た姿をしている。衣服というよりは薄汚れた布切れか革のようなものを身体中に巻きつけているといった風情だ。いったいここはなんなのだ。あいつは何者なのだ。

 目の前まで来たそいつは私の周りを回りながら珍しそうに観察している。背丈は私とそう変わらない。ボサボサに伸びた髪、彫りの深い端正な顔立ち、布切れから出ている手足は筋肉質ではあるが思いのほか細く華奢に見える。そして膨らんだ胸。膨らんだ胸? そいつが口を開いた。

「あんた、何者?」

 女だった。

「う、あう」

「喋れないのか?」

 私はようやく言葉を発した。

「ここは……なんなんだ?」

 彼女に案内されて集落にいた。どうやらここは原始の村らしかった。見たところ歴史の最初の方に出てくる縄文時代よりも遡った文明に思えた。だが言葉はあった。彼らは私の衣服や腕時計、携帯電話やiPodが入ったばっぐを珍しそうに触りながら、こんなもの見たことがないと言った。だが一人だけ自分は見たことがあると言った。隣の村に私と同じような旅人が現れたことがあるというのだ。その旅人は未来という国からやって来て、突如消えてしまったそうだ。

 ここはどこなのだと聞くと、ここはここだと村人の一人が答えた。いまは何年なのだと聞くとなんだそれは、何年とはどういう意味かと逆に問われた。どうやら私どのようにしてかはわからないが、原始時代にタイムスリップしてしまったらしい。私は隣の村にいたという旅人の真似をして、未来からやって来たのだと言った。

 未来とはどういうことかと聞かれて、説明のしようもないので未来という国から来たのだと答えた。原始人は言葉を持たないと思っていたが、ここの人々は流暢に言葉を話した。森の果物や槍で突いた獲物をご馳走になり数日を暮らすうちに、原始人は現代人となんら変わらないことが分かった。会社も学校もないが、夫婦と子供がいて家族単位で生活し、村社会の中でコミュニケーションしながら共同生活を営んでいた。ときどきは獲物の分け方で意見の相違があるなどで小競り合いが起きたり、狩が下手だ、才能がないと落ち込んで鬱状態になる者がいたり、恋人が浮気したというちょっとした騒ぎが起きたり、家に忍び込んだといって捕まる者がいたり、まったく現代と同じようなことが起きていた。現代と違うのは、電気やガス、電話などのメカニックがないことだ。いわば文明に頼らずに生活しているネイチャービレッジといった感じだ。

 最初に出会った女はアリという名前で、私に興味を持ったようで、その後も私に付き添って何かと世話をしてくれていたのだが、そのうちに私も彼女の美しさに惹かれはじめた。原始人特有の体臭には少し閉口したのだが、それもそのうちに慣れてしまった。ここは楽園だ。iPodがなんだ、携帯なんていらない。自然の中で暮らすことがこんなに快適だったとは。毎日、全身で感じながら眠った。

 目が覚めるとコンクリートの上にいた。なんだ?コンクリート? そんなもの初めて見た。誰かが叫んでいた。

「お前、そんなところでなにしてるだ?」

 周りを見ると鉄格子で囲まれている。真ん中にコンクリートの山があって、獣がうろうろしている。猿だ。ここは猿山だ。私は動物園の中の猿山で目覚めたらしい。衣服は原始人のように薄汚れ、私自身が猿のような姿でここに突如現れたようだ。戻ったのだ。私はアリの名を呼んでみたが、一匹の雌猿が近づいてくるばかりだった。

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第九百七十七話 あな、おかし [文学譚]

 洗面所の鏡の前に立って歯ブラシを動かしながら顔を覗き込む。昨日の疲れが少し眼元に残っているほかは、なにもかわったところはなさそうだ。女性はどうかわからないが、男はふつうそれ以上に顔のチェックはしない。まして身体をチェックするなんてことはめったにない。だが、ときには自分の身体を隅々まで点検してみた方がいいようだ。

 それはほんとうに偶然発見した。というか隣で寝ていた妻が見つけた。

「あなた、これってなんだか穴みたい」

 妻は眠っている間に妻の身体の上に投げ出されていた私の腕を両手で抱えて顔を近づけていた。

「ほら、ここ。肘の後っ側」

 まだ眠たいよと言う頭を無理やり目覚めさせて腕を顔に近づける。が、自分の肘の後ろ側なんてよほど腕を捻じ曲げないと見えるものではない。かろうじて見えたのは黒い小さなほくろだった。

「なんだよ、ただのほくろじゃないか」

「ほうろ? 違うわよ、穴よ、穴」

「そんな穴だなんて」

 言いながら左手で触ってみると確かに微妙にへこんでいるような気もする。小さくて黒い点は、穴にも見えるし、ほくろにも見える。疣状になったほくろっていうのは聞いたことがあるけれども、へこんだほくろってあるのかな? 気にはなったが痛くもかゆくもないので、気にしないことにした。

「もう、ほっといてくれ。ただのほくろだよぅ」

 妻はちょっとだけ心配だったみたいだが、ベッドから離れるともう忘れてしまったようだ。それから何日か過ぎて私自身もそのことを忘れていたし、肘の裏のほくろが問題になるようなこともなかった。だがしばらくして今度は手の甲に黒く小さなほくろを見つけてしまった。手の甲にほくろがあるのは昔から気がついていたが、そのほくろが少しおかしいのではないかと思ったのは初めてだ。気にしなければなにも気にならない程度の小さなほくろだし、なんの害も及ぼしていないのだが、あのとき妻が見つけた肘裏のほくろの一件が微妙に影響を及ぼしているに違いない。

 手の甲のほくろは肘と違ってしっかり観察できる。ちょうど小指の付け根あたりの外側端っこにあるのだが、奇妙なことに両手の同じあたりに同じようなモノがあるのだ。じーっとみているとやっぱりただのほくろのようでもあるが、さらに見ていると穴のようにも見えてくる。試しにと思って妻楊枝での先を穴の中に差し込んでみようとしたが、妻楊枝は普通の肌にめり込む程度に穴をへこませるだけで、それ以上は入らなかった。つまり穴があいているわけではないということだ。しかし見れば見るほど穴があいているように見えてしまうのが奇妙だった。

 私はときどき奇妙な行動を取ることがある。なにも考えずに歩きまわっていたり、起きているのに夢遊病者のようにうろうろしたり、自分の意思とは無関係に冷蔵庫を開けてみたりする。これは癖のようなもので、私自身が気づいていなかったりもするのだが、妻に文句を言われることがある。もう、邪魔だからうろうろしないで。ぼんやりしてると怪我するわよ。なに考えてるんだか知らないけど、意味もなく冷蔵庫や戸棚を開けないでよ。何かいるものがあるの? そう言われてはじめてあれ、なにをしようとしてたんだっけなどと気がつくのだ。まぁしかしこのようなことは誰にだってあることだろう? 違うか?

 手の甲のほくろが気になりだしてから、ほかのところにも同じようなほくろがあることに気がついた。人間の皮膚にはいたるところにほくろやシミや痣のようなものがあったりするから、四十数年の人生の中でそんなことを気にしたことなどないのだが、肘裏や手の甲のほくろに気づいてからというもの、妙に神経過敏になってしまっているようだ。もしやと思ってもう片方の肘裏をチェックしてみたら、やはりそこにも同じようなほくろがあったのだ。私は風呂場の壁に張り付いている鏡の前に裸で立って、全身を探し回った。どこを探せばいいのかなんとなく見当をつけていた。両肩、両膝、足首と足先、尻の上、頭のてっぺん。頭は髪の毛があるので探し出せなかったが、少なくとも見当をつけたあたりには何かしら似たようなほくろというか穴を見つけた。そしていずれも見れば見るほど穴に見えてしまうほくろのようなもので、しかし妻楊枝の先は入らない。一体これはなんなのだろう。

「おーい、ちょっときてくれないか」

 見てもらおうとキッチンにいた妻を呼びつけた。

「なにしてるのよ。お風呂に入ってると思ってたわ」

 事情を言って体中の穴を見せた。すると妻は笑いながら言った。

「あら、まるでマリオネットみたいね」

「マリオネット? なんだそりゃ」

「操り人形よ。ほら糸で吊って、天井から操る。その糸を結び付ける場所にあいている穴みたい」

 なるほど。ちょうど人形を意のままに動かすために必要な各関節あたりに糸を結び付ける穴があいているわけか。私は気持ち悪くなって、穴のあたりに糸が絡みついているのではないかと手で探ってみたが、むろんそんな糸が天井から垂れ下っているわけはなかった。

「あなたなんだか変よ。そんなの気にする必要ないよ」

 妻はキッチンに消え、私は無意識に身体にかけ湯をして浴槽の中に沈んだ。

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第九百七十六話 川の流れのような [文学譚]

 バス停に向かっていつもの道を歩いていると川に出くわした。こんなところに川などあったかなと考えたが記憶にない。いつも歩いているよく知った道なのにこんなことってあるのだろうか。川が急にできるなんてことがあるのだろうか。川の幅は三十メートル以上もあって、降水量が多かったからできたようなものではない。しかも岸壁はちゃんとコンクリートで固められていて、その様子も昨日や今日できたような感じではない。しかし実際に川があるのだから記憶違いなのだろうと思うほかはない。そう思うとなんだかおかしくなった。「七度狐」という古典落語を思い出したのだ。

 七度狐は伊勢参りの旅人が道中で見つけた茶屋で盗んだ木の芽和えの鉢を道端に投げ捨てたところ、それが七本の尾を持った妖怪狐に当たってしまう。怒った狐はさまざまな方法で旅人を化かすというお話なのだが、その最初に出てくる化かし方が、いきなり目の前に大井川が現れるというものだった。旅人は川を渡ろうと裸になって川と思っているところに入っていくのだが、そこは田んぼの中。田の持ち主が稲を荒らされてはかなわないと、旅人を目覚めさせる……そんな話が延々続いていく。

 まさか狐か狸に化かされているわけでもあるまいし。しかしどうやってこの川を渡ろうか。バス停はこの先なのに。ふと見ると、いつの間にか隣に男が立っていた。黒い鞄を持ち会社員風の背広を着た初老の男で、同じように所在無げに川を眺めていた。同じ思いだろうと思って聞いてみた。

「こんなところに川なんてありましたっけ?」

 男は顔だけこっちに向けて私の顔や体を見てからようやく口を開いた。

「さぁ……私にもわかりませんなあ。昔からあったような、なかったような」

「あの、このあたりの方なんでしょう?」

「ええ、そうですけど、なにか?」

「だったらこんな大きな川が昔からあったかどうかなんて、なんでそんな言い方するんです?」

「あんただって同じじゃないんですか? あんたもこのあたりに住んでいるんでしょう」

 男が言うとおりだ。私もあったようななかったような、あいまいな感じなのだけれども、大の大人が二人ともそんな惚けたことを感じてていいのかと不安になったのだ。

「まぁ、しかしこうして実際に川があるんだから仕方ないじゃありませんか。ほら、向こうまで行けば橋が架かってますよ」

 男はそう言って橋のある方向に歩いて行った。私もこんなところで突っ立っているわけにもいかないので、男の後をついて行った。

 翌日も、その翌日も、川は存在していた。やっぱり何か勘違いしていたのだろう。川は前からあったのだ。だが、注意をして川の様子を観察してみると、川幅は毎日微妙に変化しているような気がするのだ。いきなり巨大になったり小川になったりするわけではない。気持狭くなったのではないか、広くなったような気がする、そんな程度だ。注意してなければ気がつかないだろう。橋を渡るために迂回しなければならないのが少し面倒だけれども、それ以外は取り立てて害になっているわけでもないので、私は平穏な日常を繰り返し続けた。川の向こうでは今日も原子力発電に反対する団体が街頭演説を行っている。私も橋を渡って彼らが配っているビラを手にすると、そうだなぁ、この問題も難しいなぁ。だけどやっぱり私も反対かな、などとそのときだけは心にとどめる。しかし、仕事を終えて家に帰ってしまうと、そんなことはすっかり忘れてしまっているのだ。

 家では妻が食事を並べて待っていた。

「遅かったわね」

 更年期が近いせいか、近頃の妻は機嫌が悪い。

「ああ、サービス残業だ」

「サービスって、そんなのしなくちゃいけないの?」

「しかたないな、仕事だから」

「ほらぁ、先月の電気代こんなに。なんでかしら」

「やっぱりエアコンだろ?」

「わたし、節電だと思ってずいぶん我慢したんだけど」

「俺だってそうさ。だいたい冷房は好かんからな」

「あら? じゃぁ私わたしが一人で冷房かけてたとでも?」

「……そんなことは言ってないよ」

「ふーん、そう」

 妻はまたもや不機嫌な顔になった。」

「あれじゃないの、原子力が止まってるからとか」

 もう妻は答えない。黙って箸を動かしはじめた。ちょっとした言い回しにすぐに反応してしまって、不愉快だと思ったらもうしばらくは治らない。こっちだって疲れているんだぞ。

 気がつくと、部屋の真ん中に川が流れていた。あれ? 家の中に川なんかあったけ? 部屋の中に川が流れているわけがない。眼の錯覚だろうと思って見直すが、やはり小さな川が部屋を横切っている。おかしいな、でも現にあるんだから仕方ないか。私はもうそれ以上川を見続けるのはやめて、夕食にとりかかった。

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第九百七十五話 終活しようと思う [文学譚]

 軽く乾杯してビールのグラスをテーブルに置くと同時にとりあえずの一品が運ばれてきた。割り箸の先で豆腐の隅っこを少しつつきながら相談するともなく呟いた。

「そろそろ終活はじめなきゃなと思ってるよ」

「え? シュウカツ? どゆこと?」

 友人の優治が眼を大きく開けてもう一度聞き直してくる。

「いまの会社、辞めちゃうってこと?」

「辞める? なんでそうなるのよ」

「だって、就活するって、いま言ったろ? 就職活動するんだろう?」

 ああ、やっぱりそっちにとったか。学生とかだったら就職活動だろうけど、すでに仕事を持ってる大人の場合は別の意味があるじゃない。

「そっちじゃなくて、終活のほう。終わりって書く方よ」

「ああ、なぁんだ。終わりの方かぁ」

 優治はああ勘違いしたっていう顔をしてビールを飲み干したが、最後の一滴くらいで急にむせた。

「けほっ。ちょっと待ってよ。それ、聞いたことある」

「そりゃぁあるでしょうよ」

「終わりの活動って……つまり死んでいくためにっていう……おい、なんかあったのか?」

 わたしはわざと黙っている。ちょっとくらいこの人を脅かしてやってもいいだろう。

「もしかして、どこか……調子でも悪いのか?」

 うつむいたまま声を出さない。

「ど、どうした? もしかして……癌……とか……」

 うつむきながらくくっと笑いそうになるのを堪えて準備をする。充分に間をおいてからパッと顔を上げて言った。

「えへへ、そんなじゃないよ。終わらせるのは命じゃないよ」

「え? じゃ、なに?」

「二年半前からずーっと続けていたあれよ」

「あれって……なに?」

「ブ・ロ・グ」

「ぶ・ろ・ぐ? ……ああ、君が毎日続けている千日前とかいう……」

「もう! 千一話!」

「ああ、それか。なぁんだ」

「なぁんだって……心配した?」

「したよう。で、その千一話、辞めちゃうの?」

「辞めるっていうか、終わっちゃうのよ」

「なんで? あんなに熱心に毎日続けていたのに」

「うん。でもあとひと月足らずでタイトル通りの千一話になってしまうのよ」

「ふーん、そうか。すごいな。毎日一話で千一話ってことは……ええと」

「二年と二百七十一日」

「約三年かぁ。うん、エライ! 御立派!」

「なによ、その御立腹みたいな、カッパみたいな言い方」

「え? なにか気に障った?」

「いや、どーでもいい。そんなことより、どうやって終わらせたらいいのかなって」

「ああ、その終活ってことか」

「やっと話が戻った」

「パーっと大パーティでもするか!」

「パーティって、別になにも祝福するようなことでもないし」

「でも、めでたいじゃない」

「お金もないし……」

「う。それは痛い……もっと続けたら?」

「それもあるけど……もうちょっと限界かも」

「そんなこと言わずに」

「どっちにしてもとりあえず、いったん終わらせて、それから次のことを考えようと思ってるんだけど……」

「その終わらせ方が問題?」

 ブログをはじめたきっかけは眉村卓の「千七百七十八話の物語」だ。眉村さんの千七百七十八話目は、癌と闘っていた奥様が逝ってしまった日に見えない文字で書いたものだ。言葉にはしきれない感情を見えない文字で書き綴っているから、読者の目には白紙にしか見えない。だけども、奥様のために書き続けた物語を終わらせるエンディングストーリーが描かれているはずだ。わたしにはそんなドラマはない。ただ機械的に、トレーニングのために、趣味的に、持て余しそうな時間を埋めるために、なにかを達成したという気分を味わうために、毎日なにかと闘っている気分になるために、いつかは立派な書き手になれるかもしれないという気持ちを安心させるために、そしてなにかわからないもののために二年と二百何十日書き続けてきただけなのだ。そんな自己満足な物語のエンディングなんて……。

「ねぇ、お願いがあるんだけれど」

 思い切っていま思いついたことを優治に言ってみる。実現すればドラマティックなエンディングになるかもしれない。

「恐いな、君から出たお願いなんて言葉。なによ」

「あのね、十月二十日。それが最後の日なんだけど……死んでくれない?」

「千一話のために?」

「そう。線一話を終わらせるために」

「わかった。君の頼みだ。なんとかしよう…………ってわけないだろが!」

「そうよね。やっぱり」

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第九百七十四話 お腹からの声を聞け [文学譚]

 視聴者の身の回りにある面白い出来事や体験が投稿される番組が好きで、毎回見ている。いつだったか、女子高生からの「お腹が鳴って困る」という投稿を番組出演者が確かめにいくというのがあった。

 静かに授業が進められている教室で「ぐるるる」とか「ぐにょろ」とかお腹から音がするというのだ。実際にお腹のあたりにマイクを近づけるとそんな音がしていた。だが、お腹の音というものは案外自分以外には聞こえていないものだ。自分の身体が伝導体となって聴覚器官までとどくから聞こえるお腹の音が、身体の外に出て空気伝導で伝わる場合、非常に小さな音になるのだろう。現に少女のすぐ近くに座っている他の生徒にはかすかに聞こえていたが、離れた席の者にはなにひとつ聞こえていなかった。しかし、少女のお腹の中では確実に、しかも頻繁に小さな音が鳴り続けているのがおかしかった。

 この番組を見ながら腹を抱えて笑っていたわたしだが、そんなにおかしかったのには理由がある。実はわたしにも同じ悩みがあるのだ。わたしのお腹もしょっちゅうなにか音を出している。近くにいた友人などに聞こえて「あら? お腹減った?」とか、「いまの、お腹の音よね」とか、結構気を遣って対処してくれるのでいつも申し訳なく思っている。ところが最近になって男友達ができ、その彼と非常に近い距離で過ごすようになると事態が変化した。

「ぎゅるるるる」

 おい、またお腹が鳴ったね。これは、腹が減ったっていう合図だろ? 際歩はそんな感じだった。しかし、ランチを終えて店を出てからもわたしのお腹は音を鳴らした。

「ぎゃんぎゃどぁりびゃん」

「なんだよう、いまの音。すっごい変な音。お前まだ原減ってるのか?」

 わたしはお腹いっぱいよと答えたが、お腹は別の音を出した。

「どぁりびゃんびゃっべぎぃっだ」

「おいおい、お前のお腹、なってるんじゃなくってしゃべってるんじゃないのか?」

「どぁりびゃんびゃっ」

 よく聞くと「割り勘かよ」って聞こえるのだ。

「おいおい、割り勘で悪かったな。でも俺、今日は金ねえんだよう」

 それからもただの腹の虫と思わずにしっかりと聞いていると、わたしのお腹は意味のある言葉を発しているようだった。

「なんかつまんないなぁ、おもしろいいことないの?」

「彼のこと、好きだけど、なんだかいまいち……」

「今日の授業はいつも以上に眠い」

「こいつうっざー」

「くっせー」

 注意して耳を傾けるとそんな風に聞こえるのだが、内臓を経て伝わってくるので「ぐろろろ」とか「びゅぎぎぎ」とか濁音が混じって聞き取りにくくなっているのだ。しかしいずれもおおむね不満っぽい内容で、わたしの口からは決して出さないような内容ばかりだった。つまり、わたし自身も気づいていない本音の言葉がお腹から発せられているのだった。

 まずい。ただの音ならまだしも、わたしの本音が漏れている。これまで腹の虫が鳴るのは恥ずかしいなというレベルの悩みだったのに、いまは違う。心の声が漏れるとなれば、ますます他人には聞かせられない。わたしは考えた。どうしたらいいのだろう。一昼夜考えている間も、お腹の声は止まなかった。そうだ。遂にわたしは気がついた。これが最良の方法に違いない。そしてわたしはそれを実行した。

「ねぇ、あんた。お腹のあんた。ちょっとわたしと話し合わない? 本音で」

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第九百七十三話 霊缶商法 [文学譚]

 仏壇に入れてあった缶が膨らみはじめた。神棚に備えてあった缶が膨らんで異様な形に変形している。そんな苦情 が舞いこみはじめたのは先週末からだ。気温や湿度によって生ものが腐敗すると大量のガスが発生して体積が大きく変化することはありうる話ではあるが、この 缶の中身が腐敗するはずがない。缶詰というものは完全に密封されているので腐敗の原因となるようなものが外から侵入できるはずがない。仮に細菌や微生物が 最初から混入していたとしてもそのエサとなるようなものはなにひとつ封入されていない。有り体にいうと、缶の中には空気以外なにも入っていないのだ。

 世の中には空気の缶詰というものがあるらしい。空気がきれいな山岳地帯や観光地の空気を密封しているとして土産物になったらしいが、数年前から大気汚染がい よいよひどくなった中国では、新鮮な空気を求める人々の間で飛ぶように売れたという話もあった。私はその噂を聞いて、これはいけると思った。ただ空気の缶 詰として売るのなら模倣にしか過ぎないが、なにか別のもっとありがたいものを封入して売るというのはどうだろうかと思いついたのだ。

 私は早速国 内の霊験あらたかな寺社やパワースポットを訪れ、実際の霊気を確認した上で、自らの魂で感じるものがある場所を厳選した。私には霊感というものがあるとは 思っていないのだが、それでも場所によってはなにか肌に感ずるというか、心がざわざわするというか、そういう感じになることがある。それがなにかスピリ チュアルなものなのかどうかはわからないけれども少なくとも私自身の肉体や魂が交感しているわけだから私はその自分の直感を信じる。厳選した場所に製缶機 械を運び入れて、そこでからっぽのまま、いや実際には現地の空気ともしかしたら霊気を缶の中には封入し、その場所がいかに霊験に満ちた場所であるかを歌い 上げる言葉を印刷したレッテルを貼って仕上げた。

 たとえばこんな風に。

「身魂救済之霊験密封ー○○宮之霊気」

「精神昇華天至鎮魂ー○○霊場の気」

 これらを各地の宗教団体を絡ませてそのネットワークに乗せ、数を限定して高値で提供したところ、かつては怪しげな売人たちの糧となっては廃れてし まった壺や印鑑に代わるものとして世の中に出回った。

 この缶詰が壺や印鑑と違うところは、そこまで高値ではない上に、より実用性を持たせたこと である。不安に苛まれたり、良心が痛むような行動をとってしまったとき、この缶詰を開けて中に封入されている霊気を吸えばたちどころに魂の救済が行われる のだ。基督信者が牧師に告解をするのと同じ効果が、もっと手軽に自分自身で行なえてしまうというわけだ。

 もちろんこのようなことをすべての人間が信じるわけではない。私はそこまで馬鹿ではない。しかし缶詰の霊験を信じる者は予想通り少なからずいたのだ。信じる者こそ救われるのだ。

 販売開始から一年、二年はなにごともなく過ぎた。三年目になって、缶詰を開けて霊気を吸ったが、なにも起こらなかったというクレームが一件あった。刑務所の 中からだった。この男はまもなく刑が執行されてこの世を去ってしまった。さらに数年間は順調に売り上げを維持していたのだが、十年目にして各地から同じク レームが届くようになった。

 このような缶を大枚はたいて購入したことさえ忘れていた顧客が、ある日仏壇の大掃除をしていて缶が妙に膨らんでいる ことに気がついたり、神棚にハタキをかけていたら膨らんだかんが落ちてきたといったクレームだった。すでに販売後十年近く過ぎていることもあって、私は缶 の隅っこに記載している賞味期限を確認するようにと触れてまわった。案の定、いずれも賞味期限を大きく過ぎているものばかりで、それを理由に事なきを得 た。こういう但し書きは嘘でも入れておくものであるなと胸をなでおろした。しかし顧客のいずれもが膨らんだ缶の処理に困るというので、返却いただければこ ちらで対処するという方針を打ち出した。こんなもの、缶切りで穴を開けて中の空気を抜きさえすればどうということはないのだ。

 私の元にたくさん の缶詰が送り返されてきた。確かにいずれも大きく膨らんでしまっている。缶切りをあてがっても縁のところに金具が引っかからず開け用がない。仕方ないので 倉庫に放置してあるのだが、これがこのまま膨らんでいったら爆発でするのだろうかと疑問に思い、いくつかを倉庫から自宅に持ち帰り、テーブルの上に並べて おいた。

 テーブルの上には三個の缶詰があるのだが、そのいずれもがいままさに最後の変化を遂げようとしている。もはや膨らんだ状態を保つことが できないくらいに変形してしまっているのだ。あの円柱形という缶詰の形がほとんど球体に近くなっている。爆発して怪我でもすると馬鹿らしいので私はゴーグ ルをつけ、防護服を着てその瞬間を待ち受けた。こいつが破裂したらなにが出てくるのだろう。中には確かに霊気を含んだ空気が入っているはず。膨らむはずの ない空気が。それがここまで体積を大きくしているということは、もしや霊気からなにやら怪しいものでも生まれてしまっているのかもしれない。想像をたくま しくすればするほどおそろしくなってくる。いよいよ缶詰は限界を呈してきた。もう、だめだ。何処かが裂けて、中身が溢れ出る。そう思った瞬間、三つの缶詰 が同時に口を開けた。

「ぷしゅぅ」

 それだけだった。その空気を吸った自分自身の姿を顧みると、なんと老人に変わってしまっている、というようなこともないのだった。

                                         了


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第九百七十二話 日常の罠 [脳内譚]

 通勤電車はさほど混んではいない。混雑を避けて早めの時間に乗るようにしているからだ。乗客がまばらな車両の座席に座る人はなく、座席の上に立って吊革をつかんだ。会社はガランとしていつも通り一番乗りだ。ゆっくりと通勤服から着替えてデスクにつく。そのうち他の社員も出社して急いで制服から普段着に着替えてそれぞれの仕事をはじめた。定時がやってくると上司も姿を現しデスクにつくと、それまで業務についていた部下たちは皆手を止めてそれぞれにやりたいことをはじめた。

 夕刻になって就業時間になると、上司が接待のために夜の街にでかけてしまうと、皆はゲームやいねむりをやめて仕事に取りかかった。これからが残業代を稼ぐ時間だ。私は残業には興味がないので早々に会社をあとにして家路についた。

 家に帰るとさっそく会社から持ち帰った書類を鞄から取り出して、会社ではできなかった仕事に取りかかる。

「あなた、また仕事の宿題ですか?」

 夕食の準備をしていた連れ合いが食卓の上に広げられた書類の山を見ながら言った。なにを今さら? と言おうとして俺はなんだか違和感を感じた。なんだろうこの感覚は。いつからこんな風に仕事を持ち帰るようになったのかな? 家で仕事なんかしても残業はつかないのに。

 日常生活の中にはときとして自分でも気づかない理不尽なことや間違いが潜んでいるものだ。毎日同じことを繰り返していると、感覚が麻痺してしまってわからなくなる。いつだったか、ずさんな処理のために核燃料が臨界状態になるという事故があった。あるいは普通の会社でも本人も意識しないうちに横領を行っていたという話も聞く。善悪の境界線さえも曖昧にしてしまう罠が日常の中には潜んでいるのではないだろうか。

 俺はまだ通勤用の制服を脱いでいないことに気がついた。皺になってしまう前にセーラー服を脱いで楽な家着に着替えた。相方は昔仕事しているときに使っていた背広を、持ったいないからと家で着用している。なにもネクタイまでしなくていいのにと思うのだが。しかし彼はいつ会社を辞めたんだっけ。俺はいつから自分のことを俺と呼ぶようになったんだっけ。ああそうか、子宮癌が見つかって治療を受けたあたりからだ。俺にはもう子供が産めないのだと宣告されたあのあたりからだ。夫も俺もひどいショックを感じて日常が崩壊してしまったように感じたあのときからだ。

                                                        了


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第九百七十一話 天才少女の反抗 [文学譚]

 広場の中央に少女は立っていた。前の時代に敷きつめられた花崗岩の石畳を踏みしめる両足は素足のままで外国製の革のスリッポンに包まれていて、十五歳らしいなめらかな皮膚を持ったほっそりとして形のいい脚を覆い隠しているのは生成り色のたっぷりと生地を使ったワンピースで、ノースリーブの肩から伸びた両腕は指先を下方に向けて両サイドに広げられている。少女は深呼吸でもするような体勢で気を集中させているように見えた。彼女の周りを大勢の人々が息をつめながら取り囲んでいる。ざっと三十人、いや、五十人には満たないくらいの老若男女が少女の動向を待ち続けている。誰ひとり声を出さない。衣擦れの音さえもがこれから起きるであろう素晴らしい体験を損ねるのではないかと恐れて身動きひとつできない状態で少女の動きを見守っている。

 うつむいていた少女の顔がゆっくりと動いてあたりを見まわしながら少しずつ上を向きはじめる。いよいよだ。ついに少女は口元に微笑を浮かべながら斜め上方に視線を向けて眼を閉じた。静かに唇が動いて口腔内の空間を広げながら顎を下げていく。やがて大きく開かれた唇の奥深くからしっかりとした響きを携えた少女の声が発せられた。

「あー」

 少女が発した一音は細くもあり太くもあるような高い音程の声で、天にも地にも響きわたる不思議な調べを湛えていた。人々は自分の鼓膜を振動させはじめた少女の声に神経を集中させ、鼓膜の振るえは内耳から脳神経網に広がり大脳辺縁系を刺激した。シナプスを伝わって広がる電気信号は他の器官への命令信号に変わり、ある者は涙腺から体液を滲ませ、ある者は頬の筋肉を吊り上げ、ある者は眼を瞑って唇を噛みしめ両手を握りしめながら嗚咽した。

 ある詩人がレストランのメニューを読み上げ流だけで聴衆を感動させたという逸話dえが残されているように、少女もまたただの一音を発するだけで人々の心を震わせる力を持っていた。少女は天性の詩人であり作家であり朗読者であり唄歌いであった。長大なシンフォニーを聴くまでもなく、たったひとつの発声だけで地上のすべてを理解できたように感じさせてしまうその能力に人々は魅了され尽くしているのだ。

 少女が発した「あ」に続く言葉はなんなのだろう。なにを意味する第一声なのだろう。「愛」「哀」あるいは「合」? もしかしたら「明日」? フランス語のAmiかもしれない。人々の想像力がかきたてられる。できれば「I」ではなく「愛」であってほしい。そう思った人は少なくないだろう。しかし少女はみんなに聴こえるようには次の音を発しなかった。それでも人々は感動し、満足し、少女に感謝の念を送った。

 少女は「あ」を発声させながら少しずつ唇の形を変え、口腔内の空洞を変形させて、次の音声の準備をしていた。そして「あ」の排出をとめ、人々には聴こえないほどの声量で二番目の音をつぶやいた。

「ほ」

                                       了


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第九百七十話 会社職人の悲劇 [文学譚]

 会社職人の仕事をしてきて三十年。この世界ではもう長老に近いところで働いている。会社職にの仕事は大きく分けて三つ。人と会って油を売ることと、社内で判子をついて書類を作ること、それから夜になったらお店回りをする接待業務の三つだったが、最近では接待業務は流行遅れになって廃れてしまった。いまでは毎日油を売ることと、書類を作ること、このふたつを来る日も来る日も続けているのだ。はたから見れば簡単な仕事のようにみえるかもわからないが、やはり三十年を費やさないとなかなか職人として一人前とはいえない。

 書類をつくるためには、まず上質な紙を選び出さねばならない。選び抜かれた白い紙を細かい文字や数字でいっぱいにするのがたいへんだ。ミリ単位で並べられた文字の数々は、常人には信じられないほど緻密な作業によって成立するのだ。長年の努力と鍛錬によって、白い紙の上に墨色の文字が、ときには色のついた図表などが次々と端正に描かれていき、しかも短時間のうちに仕上げるのが職人技というものだ。できあがった書類には印をついて完成品とする。わたしはこうした書類を毎日二十枚以上は作り続けている。

 油を売るのは毎日ではない。人と会うのだから相手がいなければ成立しない。だが、アポイントメントと言って約束を取り付けることができたならさっそく出向いて、相手の事務所に乗り込む。事務所の応接室に通されたらもうこっちのものだ。できうる限り無駄話を続けて相手を釘づけにする。二時間でも三時間でも、相手の時間を出来うる限り長く奪い取ることが出来たなら半分以上成功だ。そうなると向こうも音を上げて、ついに持ち込んだ書類に判子をついてお買い上げになる。そうだ、書類と油売りはこうして連携しているわけだ。

 会社職人の生活を、ある人は単調で退屈な毎日だと評する。しかし、毎日同じことを飽きもせずに繰り返すことほど難しいことはない。寸分狂わず同じようにはいかないものだ。これにくじけた人間は職人技を身につけることなく脱落していく。脱落した人間は、ほぼ会社職人に返り咲くことはない。変化に満ちた波乱万丈な生活を強いられることになるだろう。

 会社職人の朝は早い。私は毎朝七時半に、人によっては六時には家を出るという。しかし最近では業績赤字という新たな時代の波によって職人の仕事は激減しようとしている。会社職人の姿が業界から消えていくのはもはや時間の問題かと思われるのだ。

                                           了

 

 


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