第五百六十四話 迷い道 [文学譚]
「あなたはいつだってそうなのよ」
妻はそう言い放ってから口をつぐんだ。私は、五年後には必ず訪れる定年退
職に先立って、何か飲食業でも始めたいと妻に言ったのだ。だが、これまでしも
た屋で商売などしたことのない妻にとって、私の提案は不安で仕方がないのだ。
「あなたは、自分で勝手に決めてしまって、私のことなんて考えてくれない。いつ
だって自分が正しくて、私はその後についてくるものだと、勝手に決めているの。
私はもう嫌だ、出ていきたいわ」
ついに、妻はそう言った。そこまで言うか? いやなら店に出なければいいだけ
じゃないのか?
「そうは言っても、夫婦やっている限りは、やはりそういうことになってしまうに違い
ないのだから」
そう言って、妻は寝室にこもってしまった。
かつて、ワイキキビーチに向かう道の真ん中で、妻は言った。
「私は泳ぎたくない。日焼けしてしまうし。ビーチをちょっと見てから、私は
ショッピングに行くわ。あなたはビーチでもどこでも好きなところに行ったら
いいわ」
私は出発前にビーチと観光の三日間を入念に計画したのだ。そして妻もそれ
に同意して、楽しみだわと言ったはずだ。それなのに。新婚旅行だぞ、二人一
緒に行動しなくて何が夫婦だ。私はそう思ったが、それを口に出せば、間違い
なく言い合いになる。ワイキキの道の真ん中で喧嘩などしたくはなかった。結
局その日は別行動。翌日もほとんど別行動となった。
新婚初日の道の真ん中で、右と左に別れるなんて、縁起でもない。もしかし
てこのまま成田離婚という奴にまっしぐら? だが、帰国してからも夫婦生活
は続いた。私が妻のわがままをおおらかに認めることによって。妻は私に言う。
あなたは勝手だ、上から目線だ、独善的だ、そんな言葉を並べ、順番に投げて
寄こす。だが、そうじゃないだろう。お前の方が勝手で、近視眼的で、独りよがり
じゃないか。
あのときと同じように、私はいま、人生の道の真ん中で迷っている。
了