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第五百七十四話 アザーズ [空想譚]

 ますます激しい紛争を呈しているシリアにおいて、アレッポのアザーズは反

政府勢力が拠点としている町だ。トルコ国境に近いこの町は、物資の輸送な

どに有利であるために、政府軍は奪還しようと必死だ。街頭では常に反政府

勢力軍と政府軍の間で銃撃戦が行われ、また空からは政府軍の戦闘機によ

る爆撃も頻繁で、普通ならごく平和な住宅地であるはずの町は瓦礫と化し、

多くの市民が紛争に巻き込まれて命を落とし続けている。

   ◆    ◆    ◆

「おい、隠れろ! こっちだ!」

 雄輔は先輩の誘導に従って、発電所入口ゲートの影に隠れた。ゲート外に

続く道路の先に政府軍らしき人影が見えたのだ。道路のさらに先は川で分断

されており、川に架かる橋向こうまで政府軍が来ていることはわかっている。

だが、奴らをそれ以上こちらに侵攻させないために、我々反政府軍はゲート

のところに車両や土嚢でバリケードを作って見張っているのだ。この大原原

発はどんなことがあっても奴らの手にわけにはいかない。これは、我国の未

来のために必要な闘いなのだ。

 大原町は、そもそも農業と発電所だけで成り立っている静かで平和な町だ

った。東北エリアの、あの忌まわしい原発事故が起きるまでは。国が提唱し

ていた原発の安全神話が崩れ去り、国民の大半が原発の再稼働に反発し

た。だが、国内の経済情勢と、原発にまつわる様々なしがらみを考慮する

政府は、口先では民意を優先するようなことを伝えながらも、依然各地の

原発を稼働させようとしていた。

 確かに、すぐにすべての原発を停止させることは、経済の発展上に不利

であるかのように思えたが、実際のところ、学者の間でも意見は分かれて

おり、どうやら原発抜きでも十分に国内エネルギーをまかなっていくことが

できるというのが国民の多くの見方になってきた。だが、そうした思いとは

裏腹な何か・・・・・・例えば利権者の意思が政府の裏で動いているようで

あり、結局、脱原発依存というよくわからない物言いを掲げる政府は、

近いうちに脱原発」と言葉を濁しながら大原原発を再稼働させようとして

いた。

 反原発団体は、飽くまでも話し合いで政府の動きを止めようとしていたが

中には急進的な考え方をする若い集団が現れ、彼らは実力行使で大原原

発の再稼働を阻止しようとした。つまり、現場を押さえて動かさないようにす

ればいいのだと。急進派のリーダ格である山本は、かつてこの原発で働い

ていたこともあり、大原原発の内部には山本と通じる人間が何人もいたこ

が大きなきっかけともなった。山本を中心とした五十名余りの草の根集団が

内部の人間に手引きによって大原原発に入って内部を制圧。もともと闘争

の意思などない原発の職員たちを外に解放した。さらに山本に共鳴した数

千の人々が全国から集まり、原発だけでなく、大原町全体を占拠した。もち

ろん、原発再稼働に怯える大原町の住民の八割が、既に草の根集団に参

加しており、町全体が反政府勢力として活気づいていた。これがこの数週

間に大原町で起きたことなのだ。政府は、反政府勢力の台頭に対して遺

憾であるという声明をだし、すぐさま自衛隊を大原町に差し向けたのだ。

 最初は警察部隊と自衛隊による圧倒的な力で事態は収まるであろう

と思われていたが、当初千人あまりであった反政府勢力は、大原町に

留まらず、かつての百姓一揆のように全国各地で蜂起しはじめ、すべ

ての人々が大原町に向かったり、食料を差し向けたり、支援の手を伸

ばすことによって、大原町を五万人の集団が守っているという事態に

まで発展するに至り、慌てた政府は武力行使で制圧しようとするも、

民間人の人海戦術と技術力と拮抗して苦戦を強いられた。自衛隊

にいた狂信的な若造が遂に発泡するに至って、ついに大原町にも

血が流され、シリアに劣らぬ悲劇の戦場と化したのだった。

「おい、俺たちの仲間も随分と殺された。だが、レたちも奴らに多く

のダメージを与えているんだ。このままこの原発を守り抜いて、な

んとしても再稼働を阻止するんだ!」

 山本リーダー直近の仲間である先輩は、ことあるごとに戦友た

地を鼓舞し、士気を高める。ぼくらも原発再稼働阻止という極め

て明確かつ正義に満ちた大儀があるだけに、決してくじけない。

問題は、いつ政府が折れるかだけだ。こうしているうちに、もし

かしたら、他の原発が再稼働してしまうかもしれない。だが、そ

れでも、この大原を守りぬくことには大きな意義がある。世界が

見ているはずなのだ。奴らの思うがままにはさせない。

 奴ら・・・・・・いつしか反政府勢力の中では、政府の奴らのこと

をアザーズと呼ぶようになっていた。国の中心であるはずの民

意を無視して国を捌こうとしている奴ら。アザーズを打倒できる

のはいつの日かわからないが、この国を守るためには国民が

団結することこそ大切なのだ。

                        了


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第五百七十三話 愛犬 [恋愛譚]

 年雄は笑うと垂れ目がちな目尻がいっそう下がって、優しさが満面に現れる

のだが、いったん仕事場に入ると切れ者の鋭い眼差しが相手の信頼感を勝ち

取るようなタイプの男だ。ダークカラーのビジネススーツがよく似合い、社内の

女子の間でもイケメン社員として人気者だった。社内でモテるからといって、チ

ャラチャラするようなこともなく、誰かと付き合っているという噂もなかったのだ

が、実は裏では結構派手な交際をしていたようだ。

 そんな彼とつきあいはじめて一年になるが、たった一年の間に、何度浮気

されたことか。もっとも私たちは結婚しているわけではないので、彼が誰と付

き合おうが、法的に問題があるわけではないのだが。それでも恋人が他の

誰かとも付き合っていることがわかると、腹が立つ。結婚はしてないとはい

え、私以外の相手は、いわゆる本妻に対する愛人と同じだ。その証拠に、

私が浮気を知って彼を責めると、その度に彼は私に詫びてはその浮気相

である”愛人”から手を引くというのがこれまでの経緯だった。

 だけど、一年の間に五回も六回も同じような事が起きると、こちらもほと

ほと嫌になってくる。私の精神状態が不安定になるのも仕方のないことだ

と思うのだがどうだろう。つい先月も彼に頭を下げられて、新たな愛人との

別れを約束させたばかりだというのに、今月に入ってまた新たな疑惑が発

覚した。彼の頭の中は、いったいどうなっているのだろうか。

 今月に入ってからは彼のマンションに行ったことがなかったのだが、その

僅かな期間なのに、いつの間にか、新たな愛人と住んでいるという情報を

会社の同僚から得た私は、現場を捕らえてやろうと思って、抜き打ちで彼

のマンションを訪れた。私は彼の部屋のキーを持っている。だから、いつ

行ってもいいのだ。オートロックの玄関を通り、エレベーターに乗って彼の

部屋へと向かう。いきなりドアを開けてやろうかと思ったが、こちらもちょっ

とビビってしまい、チャイムを鳴らす。

 ピーンポーン。

 しばらくしてドアが開く。なんだよ、いきなり。どうした? 何かあったのか?

何かあったのかじゃないわよ。あなたの部屋を抜き打ち検査に来たのよ。抜

き打ち検査って、なんの? 浮気に決まってるじゃない。浮気? あーっはっ

は。お前も心配性だな、もう俺はそんなことはしないよ。嘘つき! 昨日、K子

から聞いたのよ。新しい愛人がもう住んでるって。愛人? ばっかばっかしい。

そんなのいるわけないじゃない。まぁ、入れよ。

 私が玄関に入ると、奥の方で声がした。

「ワン!」

 私はあっと声を上げた。ほらぁ、やっぱりいるんじゃない、愛人が。何言っ

てるんだ。あれは・・・・・・彼が言いかけると奥から茶色い小さな塊が走り出

てきて私に飛びついた。何よ、これ! こいつはバイなの? バイってなんだ

よぅ。だってこいつはあなたの愛人でしょ? なのに私にキスしようとしている

わ。お前、本気で言ってるのか? これは愛人じゃなくって、愛犬だろ? お

前、どうかしてるぜ! 

 確かに私はどうかしてる。もとより犬好きの私なのに、こと彼が可愛がって

いると知ればは止めがきかなくなる。

「どうでもいいから、もう、早く手を切って! この新しい愛人と!」

 私はそう言い放って部屋を後にした。

                                   了


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第五百七十二話 ご近所パワースポット [日常譚]

 世の中には、気分がよくなったり、癒されたりする場所がある。そこは長年

にわたって訪れたたくさんの人々が、畏敬の念を持ち、祈り、賞賛する場所。

 物知り顔で誰かからの受け売りをする智男に、またかと思いながら、伊勢

神宮とか熊野大社とかだろう? そんなのは誰でも知っているぞ、と返して

やった。すると、智男を口をとんがらかして、そんな有名なのもあるけれど、

もっと、あんまり誰も知らないパワースポットが、この近所にあるんだぜ、知

ってるか? と挑戦的な目つきで言い返してきた。

「なんだよ、そんなもの、あったっけ? この辺りに?」

 パワースポットには興味を持っているぼくは、思わず聞き返した。

「ほぉら、やっぱり。知らなかったろう? 俺が連れて行ってやるよ」

 というわけで、ぼくは智男の後をついて、近所にあるというパワースポット

に向かうことにした。二人はいったん駅前に続く大通りに向かったが、その

途中で東に折れて、昔からある下町の住宅街に入っていった。智男はどん

どん先を歩き、道は少しづつ細くなっていく。これ、近所といっても、同じ駅

かもしれないけれど、随分歩いたなぁ、と思えた頃、ぐっと狭くなった路地の

入口で立ち止まった。昔でいう長屋っぽい古い家屋が並ぶ一画に、路地の

入口はあって、智男はその中に入っていった。突き当たりの、少々日当た

りが悪そうな玄関で智男は声をかける。

「こんちはー! いらっしゃいますかぁ? 上がっていいですかぁー?」

 奥から返事があったのかどうかもわからなかったが、智男は靴を脱ぎ、

ぼくにも入れと促した。狭い玄関の向こうにひと部屋あって、さらにその

奥に台所があるようだったが、智男は台所の横にあるこれまた狭い階

段を勝手に上がり始めた。勝手に人の家に上がっていいのかな? と

いぶかりながら、智男の後ろについて階段を上がる。すると、二階の部

屋は窓が大きく開いていて、案外明るい。六畳ばかりの部屋の真ん中

にちゃぶ台が置いてあって、七十歳ほどの老婆がニコニコして座って

いる。

「やぁ、ばあちゃん、元気だった?」

 智男の言葉にいっそうニコニコしながらうなづく老婆は、立ち上がっ

て茶棚から湯呑と菓子箱を持って戻ってきた。再びちゃぶ台の前に座

った老婆は、二つの湯呑にお茶を注ぎながらつぶやくように言った。

「おうおう、また来ましたか。どうぞどうぞ、いつでもいらっしゃい」

 お茶と一緒に目の前に置かれた饅頭に手を伸ばして、智男は無遠慮

に口に放り込む。お茶を飲んでから、老婆のそばに擦り寄って、智男は

老婆に仕事の愚痴をこぼしはじめた。最近仕事が減ってしまったこと、

それで新規開拓をさせられているが、上手くいかないこと、業績が上がら

ないので給料がへってきたこと、上司に嫌味ばかり言われること。老婆は

智男のどうでもいいような愚痴を黙ってニコニコしながら聞いている。とき

折り、そうかい、ほぅお、ふぅん、と小さな合いの手を入れることもあった。

 ぼくはしばらく居心地悪く智男の愚痴を聞いていたが、老婆の笑顔につ

い見とれてしまって、いつの間にか居心地の悪さは消えていた。智男の

愚痴がひとしきり終わって言葉が途切れたときに、智男の尻をつついて

小声で聞いた。

「おいおい、どこにパワースポットがあるんだよぉ」

 智男は振り向いて意外な顔をした。

「なんだよ、わからないのか? ここがパワースポットじゃないか」

「ええ? ここ? この部屋のここ?」

 智男は大きくうなづいて、老婆にも笑いかけた。

「あのね、ばぁちゃん、こいつ、俺のダチなんだけどね、この町のパワースポ

ットを知らないっていうから、連れて来た。これからこいつもちょくちょく来ると

思うからね、よろしくね」

 老婆はまたしてもニコニコしながら大きくうなづいた。

 ぼくにはまだ、よくわからないが、どうやらこの古い民家の二階、老婆の前が

パワースポットだということらしい。だが、すでに居心地よくなってきており、何

だかふるさとの家に戻ったようで、気分もよく、ずーっとここに座っていたいよう

な気持ちになってきていた。そうか、パワースポットは、神社や森の奥、何か

神秘な場所と思っていたが、こういう古い民家の、しかも長い年月を生きてきた

老婆と共にいるというのも、ある種の癒しなのかもしれないな。愚痴を聞いても

らったり、悩みを打ち明けたり、もしかしたら何かアドバイスをもらえたりするの

かもしれないな。こういう年寄りとの遭遇というのも、ある種の神秘かもしれない

な。老婆の家の古びた畳の上に座っているうちに、ぼくは次第に理解してくるの

だった。これが本当のパワースポットであると。

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第五百七十一話 天気雨 [文学譚]

 じぃぃぃぃ、じぃぃぃぃぃ、どこかで夏が叫んでいる。

 暑い。家の中でじっとしているだけでも、脇の下から、腕の真ん中から、体

内にとどまっていた水分が毛穴のひとつひとつから滲み出してシャツを濡らす。

額に滲んだ水滴は、書き物をしている机の上にぽたりぽたりと垂れて、余白に

大きな句点を記す。手拭きで拭っても拭っても絶えることなく体中から湧き出

し続ける水分は、衣服や手拭きや机や紙を濡らし続けているのかといえば、そ

の内に太陽の日差しに捉えられ、空気中に溶け込んで消えてなくなる。

 もちろんそうでなければ汗粒は布紙に留まることができずに床のそこここに

水たまりをなし、そこここの水たまりはひとつの大きな池となり、湖となり、

やがて室内は汗の海で埋まってしまうだろう。幸いにも水滴は、そもそもは大

量の汗を産出した原因であるほかならぬ太陽の手によって持ち去られて行く、

それが天の策略であるかのように、私の体から奪われていく水分。天の仕事。

仕事。まもなく夏休みが開ける。水分を摂っては天に捧げるだけの日々が終わ

って残り三百六十日の日常がはじまってしまう。仕事は嫌だ。

 仕事もまた私の中から何ものかを吸い上げて、わからないものに変化させて

から、金に変わる。その金の一部は、そのうちに私の口座に金粒として戻って

くるが、そんなことのために私の中の何かが絞り出されていくような気がして。

 ずざざざざ、ずあぁぁぁぁん。

 夕方、私の体から召し上げられた水滴が音と共に束となって戻ってくる。

 どぉぉぉぉぉん。

 天はお怒りなのか、すざましい雷神を伴う。水の嵐。

 あっという間に道路は海に変わり、ジェットスキーと化した車が次々と走り

去る。マンホールは我を忘れて取り込み過ぎた水流を逆流させて、ごぼごぼっ

ごぼぼぼぼぼと吐き出している。

 雷神は、どこかの公園で二人の娘の命を蒸発させた。見知らぬ娘たち、未来

のある娘たちの代わりに、私がそこにいたら。そこにいたら、私が蒸発して、

明後日からの業務を無しにできたであろうに。

 嵐のように降り注いで、忘却のようにぴたりと止まった豪雨は、天の一時の

戯れに過ぎなかった。

 翌日。天晴れな青空で、またしても私の体から水を奪う。水滴は、またして

も天に召し上げられて、それから返されるのかという予感。予測通り、夕立。

だけど今度の雨は雷神の助太刀もなく、すぐに諦めムードに包まれた。青空の

まま、陽光のまま、雨水はさらにさらに細切れになって、それでも止むことも

せず。・・・・・・夕刻の光の中を音もなくきらきら泳ぐきらきら無数の小さ

な水滴。

 きらきらりんきらりん。

 セピアの黄昏を背に、何千、何万の水の子が規則正しく空中を舞っている。

その中に歩み寄った私の身体を濡らすことなく遊びにふける無数の水滴。

 きらきらりんきらりん。

 そういえばしばらくぶりの天気雨。田舎道で出会った狐の嫁入りは。都心の

ビルを背景に踊る霧雨は、壮大過ぎて狐の嫁入りというには。光り輝く水滴を

全身に浴びて、休暇最後の一日は夢のように。                              

                             了

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第五百七十話 月 [空想譚]

「それは美しいものじゃった……」

 老人は、パオの若者たちに語り始めた。

「十五夜と言うて、丸い饅頭を用意してな、天上のお月様を眺めるのじゃ。茶

などすすりながらな」

 ドーム状の天井を見上げて老人が言った。若者たちも天井を見上げたが、そ

こには染みだらけの布天井が見えるだけだった。 老人が目覚めたときには、

世界は大きく変貌していた。野は荒れ果て、文明は過去を遡る事態に陥ってい

る。何故、こんなことになってしまったのだ。老人は何度も思考を反芻させる。冷

凍睡眠装置に横たわった時代にも闘争はあった。だが、必ず世界は良くなると信

じて目を閉じたはずだ。ところが、老人が百年間眠っている間に、一部の人類が

暴走したのだ。核ミサイル。K国から発射されたそれは、想定外の推進力を発揮

し、軌道を大きくそれて大気圏を突破した。もはや制御不能となった巨大核ミサイ

ルは爆走して、ついに地球を公転していた月に突き刺さった。月の爆発は、それ

は美しい天体ショーであったという。そして花火の瞬きの後、夜空は暗闇になった。

人類は自らの手によって、美しい星をひとつ失ったのだ。地上には死の雨が降り、

野は枯れ、海は荒れ、多くの生命が死滅した。かろうじて生き残った人類は、いま

こうしてパオの中で暮らし、月が消えた暗い夜空を眺めることになった。 一度失

ったものは、二度と戻らない。そう思い知った人類には、もはやなす術もなく、滅

びの時を待つばかりだった。

                                 了

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第五百六十九話 かためかたみみ [文学譚]

 飛行機に乗ったときみたいに、右耳の中が、つぅんとなったよ。そんなとき

には、唾を飲み込めば治るはずなのだけど、ごくんと何度飲み込んでも、相

変わらず耳の中はつぅんとしてた。それでもそのうち治るだろうと放置してい

たさ。だけど、三日目になって、急にこれは異常だと感じて、病院に行ったん

だ「突発性難聴」医師はそう言ったんだ。原因は? おそらくストレス性のも

のだって。ストレス? そんなものはないはずだが。いいえ、ストレスというも

のは、本人も気がつかないうちに溜めているものなんですよ。

 二十歳のとき、網膜剥離になった経験がある。強度の近眼が原因で、右の

眼球が変形して、網膜が剥がれだしたのだ。この病気は下手をすると失明す

る。医師からそう脅かされたとき、「目は二つあるから大丈夫だ」って思ったよ。

だが、実際には左目も軽く網膜がやられていたんだけどね。大学の期末試験

期間の一ヶ月を病院で過ごした僕は、その年の単位をかなり失った。それに

安静期間が長かったから、楽しい青春時代の思い出もだいぶん得そこなった

んじゃないかな。

 あれから二十年目にして、今度は右耳。僕はもう、「耳は二つあるから大丈

夫」とは思わなかった。何故なら、耳は目と違って、両耳で立体的に聞いては

じめて、人の話し声を捉えることが出来るのだから。片耳法一の僕は、誰か

が喋りかける度に、聞こえている左耳をその人に突き出して「ええ?」って聞

き返す。ほら、まるで耳が遠くなった老人のようにね。年寄りじゃなくても、片

耳が聞こえないと、誰だってこうなるんだ。結局、二週間、点滴を続けて、右

耳は運良く回復したけれど。 二つあるから、一つダメになっても大丈夫だな

んて、大間違いだ。世の中には、二つあってはじめて完成形だという事柄も

たくさんあるんだ。「なぁ、頼むから出て行かないで」大きなバッグに荷物を詰

めて、まもなく片方になろうとしている夫婦の相方に、先ほどから僕は、何度

も何度も頭を下げている。

                                     了

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第五百六十八話 長期休暇 [妖精譚]

 長い盆休みが終わった。もともとウチの会社は週休二日なので、規定の五日

間を休むと、前後の土日を併せて都合九日間の休暇になった。墓参り以外は特

に予定もなく、何をするでもないままに九日間が終了した。日常を少し変えると

う意味で、休暇というものは有用なのだが、それがあまりに長いと、今度は元

の日常に帰るのが辛くなる。要は、九日ぶりに出勤するのがとても大儀なのだ。

 休暇明けの朝、いささか緊張気味に早くから目を覚ましていたが、のろのろと

支度をし、朝食を摂るのもぐずぐずして、ぎりぎりの時間になってようやく思い尻

を持ち上げて会社に向かった。久しぶりに電車に乗り、オフィス街を歩くのは、社

会復帰の儀式となるはずなのだが、どうにも体中がだるい。休みの間、墓参りを

した初日以外は、ずーっとごろごろしていただけなので、休み疲れなどないはず

なのだが、身体の調子が変な感じ。定時丁度に会社に到着し、自分のデスクに

座ったが、誰かの気遣いなのだろう、私のデスクには小さな花が飾られている。

いままでそんなことをしてもらったことは一度もないのだが、いったい誰なのだろ

う。事務アシスタントの彼女あたりがしそうなことではあるが。

 休み前から予定されていた仕事を再会しようとして、パソコンのファイルを開く

と、どうしたことだろう。誰かが既に遂行してしまっている。なんだ、誰かが手出し

をしたんだな。その件に関して、一応上司に報告しようと思って、松本課長の席

まで行き、声をかけたが、課長は忙しいらしく、私のことなどに頓着してくれない

のだった。まぁいいかと考えて、私はその日一日をなんとなく社内でぶらぶらし

て、休み明けのリハビリだと思って過ごした。

 ところが、翌日も、その翌日も、私の仕事はすべて誰かの手によって遂行され

ており、私は何もすることもなく過ごす。同僚に声をかけても、忙しさのために、

誰一人私の言葉を聞いてくれない。まぁ、もともと私は物静かで目立たない人間

なので、仕方がないかもしれないのだが。それにしても、一週間過ぎても、さらに

その翌週になっても、皆の態度は変わらなかった。ひと月ほど過ぎたある日、出

社した私は驚いた。私のデスクに別の誰かが座っているのだ。見たことのない男。

あのう、と声をかけるが、見知らぬ私に声をかけられたくないのか、無視されてし

まった。私は自分の居所を求めて社内をうろうろ彷徨う。上司も私を無視している。

 盆休み明けくらいから様子がおかしくなったんだよな。私は少し混乱しながら思い

出そうとした。あの休みの間に何かあったのだろうか。私が何かを忘れているのだ

ろうか。私は解雇されてしまったのだろうか。私の頭の中は少しづつ狂いはじめて

いるようだ。

 夏になると、海や山で事故が起きたり、台風や落雷の災害が起きたり、都市の中

でも猛暑のために気が緩んだ人間による交通事故が起きたり、何かと不幸な事件

が起こりがちだ。ましてや社内の誰かが休暇中に事故に巻き込まれたとなれば、休

み開けの社内はなんとなく妙な雰囲気になる。亡くなった従業員のデスクの上に、

誰かが気をきかせて花を捧げたりするのも、さらに奇妙な空気を醸し出してしまう。

なんだか、亡き友が魂だけとなって、成仏しないままに社内をうろついているような、

そんな気にもなってしまう。この夏、課員の一人を失った松本は、またなんだか背筋

に冷たいものを感じて身震いする。いやだなぁ、あいつの気配を感じてしまうなんて。

気のせいだ、気にするな。自分に言い聞かせて、日常業務に集中しようとするのだっ

た。

                                      了

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第五百六十七話 スプレー [日常譚]

「あなた、困ったわ。どうしたらいいのかしら?」

 妻がいうのは、ウチで勝っている猫が、ベッドの上で粗相をするようになっ

たというのだ。飼い猫のミィは、生まれて間もない頃、近所の公園でみゃーみ

ゃー鳴いていたのをぼくが拾って帰った雄の野良猫なのだが、まだ子猫なのに

すぐにトイレの場所を覚えてくれた賢い猫だ。それが二年も経ったいまになっ

て急にそんなことをするなんてどうしたのかしら。妻はそう言いながら、イン

ターネットで調べはじめた。

「あら? スプレーと言って雄猫特有の臭い付け行動ってやつかしらね?」

妻が調べたところによると、スプレー行動というのは、いわゆる自分の縄張り

が何かの要因で不安になったときとか、情緒が不安定になったときにはじjめる

ことがあるという。しかしウチは一頭飼いなので、他の猫もいないのだから、

縄張りを誇示する必要もないはずなのにね。毎日留守しているから、寂しくて

情緒不安定になってるのかも。

 妻はミィのことばかり心配して、寂しいの? 寂しかったの? とミィを抱

き上げて頬ずりする。縄張りが不安になるとは、多くは対雌に対してのアピール

だったりすると思うのだが、すでに去勢しているミィにもまだ性欲があるのだろ

うか。妻はそんなこともぼくに聞いてくる。

 そんなこと、ぼくにだってわからないさ。それに、ほんとうにミィの仕業なの

かい? だってウチにはミィしかいないんだから、他には考えられないじゃない

の。

 妻は今日も帰りが遅い。最近、同僚との集まりだとか、同窓会の打ち合せだと

か、何かと遅くまで飲んで帰って来ることが多い。その間ぼくはミィと二人で家

に居て食事を摂るのだが、ベッドの上でスプレー行為をするようになったのも、

妻の帰りが遅くなりだしてからだ。ぴったりと符合するのがなんだか可笑しかっ

た。

 ねぇ、ミィちゃん、ごめんね。あいつは完全にお前の仕業だと思ってる。でも

そうしといた方がいいかもね。ミィのことが心配になって、誰かとの浮気なんて

やめて早く帰ってくるようになるに違いないし。

 ベッドの上でミィちゃんを抱きしめながら、ぼくはついまた粗相をしてしまの

だった。

                       了

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第五百六十六話 ウー脳! [日常譚]

 最近、また読書をするようになった。大人になってからはめっきり本など読

む習慣を忘れていたのだが、ネットで見つけた小説が面白そうだなと思ったの

がきっかけだった。だが、若い頃はすらすら読んでいたように思うのだが、い

まはとても時間がかかる。少し老眼気味になってきたということもあるだろう

が、まぁ、いろいろ年のせいだろうなと思っていた。だが、文字面を読んでい

てもいっこうに頭に入ってこないのだ。何度も同じところを読み返しては、も

どかしくなって読み飛ばす。読み飛ばすと筋がわからなくなるから面白くない。

そこでまた前のページに戻って読み直す。何回もそんなことを繰り返すから、

いつも同じところばかりを眺めている。

 そもそも、若い頃に右目を網膜剥離で傷めて以来、視力が落ちて、とりわけ

レーザー凝固という治療法で網膜を焼き付けた右目は、中心部分に引き連れが

できてしまって、細かい文字などはくしゃっとなって読めないのだ。必然、文

字を見るのは左目が中心になって、既に長い年月が過ぎた。感覚器官というも

のは恐ろしいもので、使わなければどんどん退化していくようで、いまでは景

色は両眼で見ているのだが、本を読むのは左目だけとなってしまった。

 そんな折、読書中の小説に脳科学の話が出てきたので、つい懐かしくなって

昔読みかじった脳科学者のエッセイを引っ張りだして走り読みをしたのだが、

そこで右脳左脳という脳領域の話を思い出していた。

 いまや誰でも知っている話だが、脳波左右に分かれていて、そのそれぞれが、

身体の反対側の器官と神経連鎖している。つまり、右手や右足、右眼は左脳へ、

左手、左足、左眼は右脳に繋がっている。だから、脳梗塞などでたとえば左脳

に問題が起きたら、身体の右側に何かしらトラブルが起きるのだ。一方、これ

もよく知られているが、右脳は音楽や絵画など、感性や感覚に深く関わってお

り、左脳は文字や数字など理知的な部分を司っているという。

 そこまで思い出して、はっとした。私は左眼だけで文字を読んでいる。する

と左眼から入力された文字情報は右脳で処理されることになる。右脳は音楽や

絵画には強いが、理屈中心となる文字情報には弱いのだ。そうなのだ、だから

左眼で文字を何度眺めてもいっこうに入ってこないのだ。私の右脳は、音や絵

には強いけれども、文字情報を処理するほど器用ではないのだ。

 そういえば、同じような事柄を、読むのには苦労するが、両耳で聞けば少々

難解な理屈でも私は理解できる。なるほど、そういうことだったのか。私は文

字に関して、左脳を活用できていないのだ。読書に手間がかかることに関して、

その理由が明らかになった。だが、だからといって改善する方法もない。いま

さら右眼で文字が読めるようにはならないのだ。だが、それでも訓練すること

によってなんとかなるのではないか。そう考えた私は、読書をする際に左眼を

敢えて眼帯で隠し、読みづらい右眼で本を読むようにした。最初はとても読め

なかったが、感覚器官というものは、使えばなんとかなるようだ。一週間、一

ヶ月過ぎるうちに、右眼だけでも文字が読めるようになってきた。しかも、右

眼だと、どんな理屈でもすらすら頭に入って来るのだ、やはり、右眼から入力

すれば理屈が得意な左脳に情報入るので、情報処理が早いのだ。

 読書の速度は随分改善された。だが、少し戸惑うことが起きているのだ。最

初に書いたように、もともとは小説が読みたくて読書を再開させたのだが、ど

うも右眼の奴は、小説などという感性に訴えるものはお好みではないようで、

右眼・左脳コンビが求める書物は、数学書だとか経済学だとか、あるいは機械

のマニュアルなど、お堅いものばかり。私はそんなものにはほとんど興味がない

のに、左眼を塞いで本を探すと、そういうお堅いものばかりが選ばれてしまうの

だ。かといって左眼で本を選ばせて、右眼で読ませようとすると、今度は理屈で

はない感性中心の文芸書など、右眼・左脳コンビは理解しようとしない。

 いま、私の頭の中ではちょっとした内乱が起きている。感性派の左眼・右脳

軍と、理屈派の右眼・左脳軍が、それぞれに私の実存を巡って争っているのだ。

なんとか丸く収めたいのだが、私自身が引き起こしてしまった成り行きとはいえ、

こればかりは何ともしがたい。そこで、私は決着がつくまで、眠って待つことに

した。まぁ、どちらに軍配があがろうとも、どちらも私の一部なんだから、勝っ

た方に従うよ。独り言を言いながら眼をつぶった。

                     了

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第五百六十五話 隣の侵略 [日常譚]

「あれ? またこんなところに」

 私は祖父母の時代から引き継がれている土地に住んでいるのだが、最近、

庭の隅っこに何か知らないモノが置かれていることがある。最初はスコップ

だの箒だの、庭の手入れをした後の道具だった。それらのモノは、最近隣に

引っ越してきた一家のモノであることは明らかだった。庭掃除をした後、置

き忘れたんだろうな、最初はそう思っていた、ところが近頃では、古い自転

車が停められていたり、車から取り出したバッテリーや、壊れたプリンター

なんかが、粗大ゴミ置き場みたいにして置かれている。

「まぁ、しかたないか、隣家もまだ家の中が片付いていないのだろう。置か

せておいてやれ」

 家の者にもそう言って見過ごしていた。友人にその話をすると、まじめな顔

になって、それは注意した方がいいぞ、と言うのだが、そんな目くじらたてる

ほどのことではないではないか。

 このあたりは五年ほど前に市の区画整理があって、うちもそのときに建て替

えたのだが、そのときに敷地の一部が市に召し抱えられ、土地の区割りも若干

変化した。隣家が荷物を置いてある場所は、元々は隣家の敷地だったのだが、

区画整理の時に少しずつ区割りが変わって、ウチの庭の一部になった場所だ。

 そのうち、もはやその場所が隣家のゴミ置き場として定着し始めた。由々し

きことである。

「いままで黙認してきたけれども、我が土地にお宅の品々が置き放たれている

ことに、私は遺憾に思っている」

 という内容の手紙を書いて、隣家のポストに投函した。すると、翌日返事が

来た。

「調べてみたら、あの場所は元々我が敷地の一部であったとわかった。従って

今後もあそこは我が敷地として使う」

 この返事に驚いたが、そこはそれ、隣家と争うなどという大人げないことは

是が非でも避けたい。隣家の子供たちは、ウチの子供と同じ学校に通っていて

PTAのつながりもある。子供同士でCDの貸し借りなんかもしているようだし。

こんなことでいがみ合いたくはないのだ。

 ことを起こしたくないと黙っていたら、隣家がモノを置いている我が庭のス

ペースが少しずつ広がりだした。つまり、モノがあふれ出したのだ。いまでは

小さなウチの庭の半分ばかしが隣家の物置になっている。今更どうしたものか

とは思うのだが、一度隣家にひとこと言おうとドアをノックしたら、出てきた

のは初めて出会う隣のご主人。体格もよく、ちょっと見はその筋の人かしらん

と思わせるような強面な顔に鋭い眼光。噂では警察関係に勤めているらしいの

だが。こんな人間に楯突くと、とんでもないことになるなと予感して、私は文

句を引っ込めてご挨拶だけして帰ってきた。

 家族で協議した結果、これは簡易裁判所に申請しようということになってい

るのだが、今近所付き合いのことを裁判になんてかけたら、もはやご近所づき

あいができなくなるなぁと、実は二の足を踏んでいるのである。先祖代々この

土地に住んできた我が家・・・・・・野田家のピンチといえばピンチなのだが、でも

私さえ、黙って見過ごしておけば、何も問題は起こらず平和が永続するのだし

と思ってやまない今日この頃なのだ。

 あれ? 庭の方でごそごそと音がする。あっ! なんだあいつら。人の庭で

何している? 見れば、隣家の連中が我が家の庭にレジャーシートなぞを持ち

出して悠々と日光浴をしているでは亡いか。奴らの話し声が聞こえる。なんだ

って? ここに、隣家の記念館を建てようかだって? とんでもない奴らで。

しかし、そんなこと、できるはずないよな。ここはウチの敷地なんだから。

私は半分ベソをかきながらそう思った。

                         了

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