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第四百八十二話 ノロイのビデオ再び [可笑譚]

 貞子が飛び出してくる映画が上映されて人気だそうだ。私はまだそれを観

いないのでなんとも言えないが、その話はちょっと前にホラーブームを巻き起

こした三部作の続きらしいから、おおよそのことは判る。

 シリーズ一作目は、呪われたビデオを見た者が次々と命を失っていくという

話だった。原作そのものが良く出来ており、ページをめくるのも悍ましく、指先

で紙をつまむようにしてページをめくり、そのたびにまたおぞましいエピソード

に出会うのだ。まるでその本を読んだ者まで命を奪われてしまうのではないか、

そんな気までしたものだ。

 しかし、本当にノロイのビデオなんてあるのだろうか。私は本当にありそうな

気がして、何人もの友人に聞いて回ったことがある。そして、ついに本物のノロ

イのビデオに出くわしてしまった。今でこそハードディスクだブルーレイだとい

うことになっているが、ほんの七年前くらいまでは、まだまだVTRテープが映像

保存の中心だった。もし、同じ話が今書かれたなら、ノロイのHDDとか、ノロイ

のBlueRayとかいうことになって、ちっとも怖くない。実際、今度の貞子の映画

も、もはやビデオではないらしいし。

 話は戻って、本物のノロイのビデオの話だが、私はついにそれを手に入れた。

まだVTR機器が健在の頃だ。ウチのVTR機器は既に何年も使ってきたものでずい

ぶんくたびれていたが、まもなく新しいメカであるDVDの時代になると言われ始

めていたから、買い換えるのを我慢していた。

 手に入れたVTRは一見なんでもない普通のビデオに見えた。タイトルシールも

貼られていないから、いったい何が録画されているのか、機械に入れて再生して

みないと分からない。もっと昔のフィルムなら、光にかざせば何が写っているの

かが事前にわかっただろうに。

 そして私はゆっくりとビデオテープを古びた再生機のスロットに入れた。ギギ

ーっと怪しい嫌な音がしてビデオテープが機械の中に吸い込まれていく。テレビ

モニターはまだ真っ黒だ。躊躇いながら、再生機の再生ボタンを押す。

 がちゃ、ぶぶーん。

 再生機が鈍い音を立てて動き始める。TVモニターの画面が真っ黒ではなくな

った。白い光を放って何かを映し出そうとする。シャーッ!砂嵐、また砂嵐。市

販の映像ソフトなら、こんなことはない。最初は黒みが入っていてすぐにブルー

か何かをバックに社名ロゴ等が映し出されるものだ。だが、誰か素人が適当に録

画したようなテープは、たいていこのような砂嵐ではじまり、いきなり本編が始

まる。きちんと編集処理がされていないからだ。

 私は我慢してしばらく様子を見た。二秒、三秒、四秒。砂嵐を眺めながらの十

秒はかなり長く感じられる。人間の時間感覚など、その状況によってずいぶん変

わるものだ。鈍い・・・・・・鈍すぎる。ビデオはついに映像を映し出さないまま、ぎ

ぃいいいと不気味な音を発した。TVモニターの砂嵐が再び真っ黒に戻り、VTR

機器の中から異音が発せられている。

 くそぉ! これがノロイのビデオか! 確かに鈍い、ノロイわ。こんなに待た

せるなんて。しかも結局かからない。どうなってるんだ。画面から貞子が飛び出

して来るかと思って身構えていたのに! やがてVTR機器の異音が止まってス

ロットから飛び出してきた! VTRのテープがぐじゃぐじゃになって!

                               了

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第四百八十一話 マツケン散歩 [可笑譚]

「ちょっと、そこのあなた。私と踊りませんか?」

 金色の派手な着物姿の男が誘ってきた。

 なんなのだ、いったい?

「あなた、どこのどちら様?」

「松平ケンです。」

「松平健? ちょっと、それ違うんじゃないの、清盛役は松山ケンイチだよ!」

 私がそう言うと、そのハンサムなオジサマは

「松ケンサンバじゃない? こりゃまた、失礼!」

 と言ってサンバを踊りながら、逃げて行った。

 今年の大河ドラマは、松山ケンイチ主演の「平清盛」だ。松ケンは人気のあ

る俳優だし、他にもそうそうたる俳優陣が出演しているというのに、どういう

わけだか今年の大河ドラマは史上最低の視聴率だという。

 私はほとんど知らなかったのだが、神戸には平清盛ゆかりの地がたくさん点

在している。そこで、神戸市が企んだのが、便乗イベントということなのだろ

う。清盛に因んだイベントが、神戸駅=ハーバーランドと、和田岬にある中央

市場前の二カ所で開催されている。賑やかなハーバーランドだけで完結させて

もよさそうなものなのだが、和田岬こそが清盛が福原遷都を行った際の入口と

なった拠点なので、人々をこちらに誘引したかったのであろう。結果、二箇所

で同じような内容のイベントが執り行われているのだった。  

「これってNHKの宣伝じゃないの」

 そう思ったが、今更文句を言ってもお金が戻るわけでもなく、それでも知らな

かった福原遷都の歴史に少しだけ触れてみる私だった。

 私たちはこのイベント会場を皮切りに、清盛所縁の地を散策することにした。

福原京は、今となっては跡形も残っていない。だが、清盛の塚だとか、奉納し

た寺社などに、清盛の名残が残されているわけだ。清盛が歩いたかもしれない

和田岬につながる道を、十数人の同趣の友がそぞろ歩く。

 中央市場から十分ほど歩くと能福寺に着いた。ここは、清盛が出家した寺で

あり、京都で亡くなった後には遺体が福原まで運ばれて、この寺で葬られたと

される場所。だが、遺体そのものは、ここには存在しなかったらしい。だが、

清盛由佳理の寺であることには違いない。ところで、初めて知ったのだが、こ

んなところに大仏様が祀られている。奈良ほどではないが、立派な大仏様が鎮

座しておられるのだ。

「大仏さん、大仏さん、あなたは奈良にいらっしゃったのではないのですか?」

 不遜にも誰かが尋ねた。すると、大仏は口を開けずに答えた。

「なーにーをー言う。そなたは無礼者じゃな。奈良には奈良の大仏、兵庫には

兵庫の大仏があるのじゃ。我は奈良の大仏、鎌倉の大仏と並ぶ、日本三大仏の

ひとつなるぞ」

 大仏様がそうおっしゃったとたん、天から別の声がした。

「兵庫の~何を言う~三大仏の三体目はそなたではない、私、京都の大仏だ」

 さらに別の声。

「京都のぉ、そなたはもう消失してしまって、ないではないか。富山の高岡に

おわす我こそが三体目なるぞ」

「ちょーっと待ったぁ!おのおのがた、三体目の大仏は私、岐阜大仏である」

 もう、何が何やらわからなくなってきたが、いくつもの声が、いい争いを始

めたので、 寺人が大仏の意識を反らせて怒りを鎮めるために、楽しげな祭事を

始めた。

「あ、それ、あ、それ! さては南京玉すだれ!」

 何故南京玉すだれなのかはわからないが、自らノンちゃんと名乗る女の子が

陽気なショータイムをおっぱじめた。これが仏の祀りとも思えないのだが、私

たちがノンちゃんにせがまれて手拍子を併せ打っていると、いつの間にか隣に

やって来た大仏までもが一緒になって、「あ、それ。あ、それ」とはしゃいで

いるではないか。十数分間さまざまな形に変化する南京玉すだれを楽しんだ後、

大仏様はドシドシと台座の上に戻っていった。  肝心の清盛はどこに眠ってい

るのかと言えば、能福寺の斜め向かいに清盛 塚というものがある。ところが、

立派な塔や荘厳な石碑と石像はあるのだが、 ここにも清盛は眠っていないらし

い。清盛の骸の在り処は、未だ謎なのだ。

「私の塚のまーえで~祈らないでください~そこに私はいません~」

 突然どこからか、清盛の歌声が聞こえてきた。そうかそうか、清盛は千の風に

なったわけだ。

 さらに十数分南西へ歩いていくと神社が出現した。広い神社の境内に停められ

た軽自動車の前で、神主がお祓いをしている。ははーん、事故でも起こして亡く

なった被害者に祟られたか? 私はそう思って眺めていたら、そんなことではな

いらしい。ここでは車の安全祈願を行なってくれるらしいのだ。つまり、成田さ

んと同じように、交通安全の神様というわけだな。実はこの神社は、海の守り神

様だという。その昔、福原遷都にあたって、清盛がこの場所を貿易の拠点にする

ために、大輪田泊の改修工事を行なったが、海が荒れて難儀をしたのだ。その際

に、難航する港工事の成就とこの地の発展を祈願して、清盛は宮島の市杵嶋姫大

神を勧請した、それがこの和田神社なのだ。

 私は賽銭箱に五円玉を投げ込んで祈った。

「海の守り神だそうだけど、もっと面白いお話が書けるように、私の想像力、

”生み”の能力も守っておくれ」

 ここまでで、約一万歩。私が平素目標としている歩数は十分に歩いた。もう

既に脚が辛い。そろそろオーラスにしよう。私たちはそう決めて、南京町まで

繰り出した。松ケン散歩の〆は、美味しいものを、平らげ酒盛りだ。                              了

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第四百八十話 Sweet&LittleTales10-下着で散歩 [文学譚]

 父の妹である叔母は、若い頃からさばさばした性格で、家の中では夫の前

あっても、当時で言うシュミーズのままでくつろいでいるような人だった。そ

の夫である叔父は父と同じ会社の役職者だった。そして叔母夫婦には子供がな

く、同じ社宅に住んでいた私たち兄妹をとても可愛がってくれた。

 ところが、叔父が博多の支店長として転勤することが急に決まって、夫婦は

急ごしらえで九州に引越しして行った。転勤してしばらくは、引越しの後片付

けや、新しいご近所さんとの交流やらで忙しくしていたのだと思う。一年ほど

過ぎた頃、そろそろ新しい地での暮らしにも慣れてきたのだろう、叔母が母に

電話をして来て、遊びに来るようにと促したのだそうだ。叔母とは仲良くして

いた母は、ひとつ返事で「行く行く」と答えたのだった。

 その年の夏休み。私たち兄妹は、母に連れられて初めての新幹線に乗った。

博多で暮らす叔母の家に遊びに行くことになったのだ。叔母の家は博多の中心

地からは少し離れた春日という町にあった。会社が社宅として用意した家族向

け団地に、叔母夫婦は住んでいた。叔父はだいたいにおいて無口で、いつも難

しい顔をしているような人だったので、叔父が在宅している間は、私たちは小

さくなっていた。母にしても義理の弟とはいえ、仕事の上では父よりも上の人

でもあり、何かと気を遣っているようだった。

 日曜日の夕方、早々と風呂から上がった私は、アイス菓子を食べたいと言っ

たのだと思う。叔父は座卓でビールを飲んでいたが、叔母に向かって「買いに

行ってやれ」と言った。じゃあ買いに行ってくると支度を始めた叔母に、私は

「一緒に行く」と告げた。叔母のいない家で、叔父といるのが居心地悪かった

のだ。

 じゃあ一緒に行きましょうということになって、風呂上りでまだ裸にタオル

を巻いただけの私が服を着ようとすると、「いいのよ、服なんか着なくても」

叔母がそう言った。「この辺りは田舎だから、子供なんか下着で表をウロウロ

しているわ。大丈夫よ」叔母はそういうのだ。

 外へ行くのに下着のままだなんて、私はそんなことしたこともない。本当に

小さな赤ん坊だった時なら、そんなこともあったのかも知れないが、もう小学

生だ。いくら子供だからって、下着で外に出るなんて私には信じられなかった。

だが、叔母は強引だった。大丈夫大丈夫と言いながら、パンツ一丁という姿の

私は、叔母に手を引かれてアイスを買いに行った。まだ風呂には入っていない

兄と母も、裸の私の後ろでニコニコ笑いながらついてきた。

 もう、エレベーターで下まで降りてしまったので、今更引き返すわけにもい

かないのだが、団地から通りに出る際には、本当に素っ裸で広場に放り出され

る猿のような気分で、私はとても恥ずかしい気がした。

 菓子店でアイスを買ってもらいながら、きょろきょろと周りを見渡すが、私

のように裸同然で歩いている子供など、一人もいない。叔母さん、裸の子なん

て誰もいないやんか! 私は騙されたような気持ちにはなったが、夏の夜の風

が風呂上りの肌に心地よく、もう、そんなことはどうでもよくなっていた。

                            了

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第四百七十九話 Sweet&LittleTales9-転落。 [文学譚]

 子供というものは、まだ十分に両足を大地に下ろせていないものだ。もちろ

ん、大人に近づくほどにしっかりと地に足を下ろすようにはなるのだろうが、

三歳や四歳くらいでは、姿形は人間に似ているが、実際のところ、まだ人間に

は成りきっていないのではないかと思う。

 ちょうど私がその、人間になりきっていないくらいの年だった頃、家のすぐ

に、幅1m半くらいしかないような小さな用水路があった。大人になった今

なら、ヒョイとまたげるくらいの川幅だ。そして、毎日一緒に遊んでいるお

達の家に行くには、その用水路をまたいでいる小さな橋を渡らねばならなかっ

た。橋といっても橋桁があるような立派なものではなく、用水路の一部分にだ

け蓋をしているような、幅五十センチ程度のコンクリートの板に過ぎなかった。

もちろん普通に歩いてなら、どんなに足の悪い人でも踏み外すようなことはな

いと思うのだけれども、子供の私は遊び道具でありマイカーでもある自転車と

いつでも一心同体だった。だから、橋を渡ってお友達の家に行くためには、ど

うしても自転車に乗って行かねばならなかったのだ。

 朝のうち母は、パートで働きに行っており、ひとり家に残されていた私はし

ばらくは家の中で一人で遊んでいるのだが、やがてそれもつまらなくなって、

外に行こうと考える。子供のことだし、ましてや昔のことだ。電話をかけて

「ねぇ、ちょっと遊びに来ない?」なんてことは金輪際ないのだ。

 母親から何度も教えられているように、留守番中に家を出るときには、鍵

を掛けて、その鍵を首から下げて落とさないようにする。でないと、怖い泥

棒さんが来るからね。怖い泥棒さん。その姿を私は実際には見たことはない

けれども、きっと漫画に出てくる、黒い色眼鏡を掛けた、頭の禿げたおじさ

んみたいな人なんだろうな、そう思って用心する。

 玄関から自分の身体に合ったサイズの小さな自転車を引きずり出して、玄

関の引き戸を締める。くるくると鍵を回して、その鍵を首に下げる。念入り

に自分は鍵をかけたぞと確認してから自転車にまたがるのだ。そこからほん

の少し。そう、歩いたって二十歩も行かない所に、あの用水路があって、細

い落ちそうで恐い橋がかかっている。この橋を渡らないと、お友だちの家に

は行けない。でもいつも、この橋を渡ろうとする度に、身体がゆらゆらして

落ちそうになるのだ。

 橋幅は狭いといっても、小さな自転車が通るには十分ある。だけど、いく

ら子供の身体とはいえ、自転車を降りて押すほどのスペースはない。私は自

転車にまたがったまま、ペダルを漕いで橋を渡る。自転車の後輪には転倒防

止の小さな車輪が両側についているから、普通は絶対に転倒しない。

 だが。橋の幅を意識すればするほど、小さな私の身体は右に左に揺れ動い

て不安定になる。後輪の小さな車輪も含めてちゃんと橋に乗っかっていさえ

すれば、それでも転倒することはない。しかし、手すりもないただの細い板

である以上、本体の車輪が橋の上に乗っかっていても、小さな車輪の方は、

橋の上からはみ出ている。そして、たいてい身体が揺れた末に、その小さな

車輪がはみ出ている方に重心が偏って、おっとっとという状態になって・・・・・・。

 私の身体はゆーっくりと左に傾いていく。自転車に乗ったまま、私は一瞬、

空中の人となり、最後にはドブ水の中に倒れている。用水路の溝はそれほど

深くはない。だから、怪我をするようなことは一度もなかったのだが、いつも

私は泥水の中で泣いているのだった。

 鳴き声を聞きつけた、お友達のお母さんが飛び出してきて、あらあらと言い

ながら自転車共々引き上げてくれる。そして私を上から下まで丸裸にして、家

の外に立たせるのだ。おばさんは家の奥から、多分お風呂から長いホースを引

っ張ってきて、私の全身に水を浴びせる。

 ジャー、ジャジャージャー。

 おそらく私はまだ泣いている。泣きながら、かけられている水が冷たくて、

くすぐったくて手のひらで水の直撃を避けながら、水を浴び続ける。泥は次第

に落ちていき、すっかりきれいになったら、おばさんがバスタオルで拭いてく

るんでくれる。

 子供ってこんなものだ。普通なら何の問題のない橋でさえ、地に足が着いて

いないような存在だから、あっけなくひっくり返る。

 あれからすでに何十年も過ぎて、私はすっかり地に足をつけているはずだ。

だが、実のところ、私は未だに転落し続けているような気がする。私はまだ、

人間に成りきっていないような気がする。

                               了

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第四百七十八話 Sweet&LittleTales8-クッキーおじさん。 [文学譚]

 最初、周囲は適当な区画に区切られた水田ばかりが敷き詰められた地域だっ

た。佐藤はその一画を働き手が居なくなった農家から譲り受け、そこにちょっ

とした工場を建てた。工場といっても工業品を産み出すような施設ではなく、

夫婦が手作りで賄う、いわゆる家内工業による小規模なお菓子工場だった。

 佐藤は工業高校を卒業してから、 専門学校に入り直し、クッキーの焼き方

を中心にお菓子職人への道を進んだ。専門学校を出てからは、市内の洋菓子

門店に就職して修行を詰んだ後、結婚を機に独立を目論んだ。その時に、客応

対は苦手だと考え、一般客を相手にする洋菓子店ではなく、洋菓子店にお菓子

を卸す菓子工場を作ろうと思ったのだった。

 それまでにコツコツと蓄えた貯金は、それは立派な成果ではあったが、かき

集めても大した金額にはならない。そこで、自分の両親と、妻の親にも頭を下

げて、建築費用を捻出した。幸い、廃業農家の水田が安価で手に入った。そこ

に建てたのは、工場といっても、広めの敷地の三分の一と二階を住居にし、一

階の三分の一を制作所にしたささやかなものだった。

 小麦粉を練る機械、広い作業台、型抜き機、裁断機、業務用のオーブンなど、

焼き菓子生産に必要な機器を買い揃え、工場を稼働し始めた時には、佐藤は三

十五歳の頭髪が薄くなった親父になっていた。

 工場の準備をしている間に、周囲の他の水田も徐々に廃業が進んで、宅地醸

成が始まっていた。間もなく次々と建売住宅が立ち並び、水田の真ん中にあっ

たはずの佐藤の工場は、住宅地の真ん中に建つ格好になった。

 住宅地には若い世帯が次々と入った。小さな子供もすでに少なくなかった。

佐藤は、直接お客さんと接するのが苦手でお菓子工場という立場をとったの

だが、皮肉なことに焼き菓子に最も近い顧客が目の前にいるという形になっ

た。工場で菓子を焼くと、子供ならずとも万人の鼻孔を甘い羽毛でくすぐ

ような香りが町内に広がる。工場から流れ出る豊かな香りに誘われて、自然

と子供たちが集まってくるのだった。

 佐藤は、妻とともに菓子を焼く。小麦粉とグラニュー糖を混ぜ、卵黄と

かしたバターを投入する。コンクリートミキサーのような攪拌機で十分に

ぜ込み、丸や四角、時には小さなくるみ釦状に成型してトレイに並べて、オ

ーブンでゆっくり焼き上げる。焼き菓子の表面は白粉状態から次第にまさに

小麦色と呼ばれる健康的な色味を帯び、鼻孔をくすぐる香りを拡散する。佐

藤は魔法使いのような面持ちでオーブンの扉を開けて、トレイの上でほっこ

り並んでいる小さな魔法の実を、清潔なシートを敷いた作業台の上に移動さ

せるのだ。

 そんな様子を窓の外から、いくつかの小さな瞳が背伸びして眺めている。

その小僧たちに気がついた佐藤は、思わずニンマリして手招きする。工場の

扉を開けるとキョロキョロしながら顔を覗かせるこびとたちに、少しだけ歪

な形になってしまったり、端っこが欠けてしまった焼き菓子を集めて小さな

紙袋に入れたものを配ってやるのだ。

 手に手に小さな紙袋を持たされた小さな悪魔たちは、満面の笑みで紙袋の

中を覗きながら、小さな声でおじさんありがとうと言って去っていく。こん

なことをしているうちに、近所では佐藤のことをクッキーおじさんと呼ぶよ

うになった。

 クッキーおじさんが作る焼き菓子は、近隣の洋菓子店に並んでいた。工

の作業台に並んでいた時のような裸の姿ではなく、洒落たペーパーに包

まれたり、いくつかの形が互いに切磋琢磨しながら箱の中に鎮座していた

り。その表現の仕様がない優しい味わいは客の心をとらえ、評判が評判を

呼んだ。注文が殺到して、佐藤が工場の拡大を考えるようになったかとい

うと、そうではない。一日に焼く菓子の数を増やすこともなく、今まで通

りに、手作りに拘って出来る分量の焼き菓子だけを作り続けた。そして子

供たちの顔が見えると、相変わらず小さな袋に菓子を入れて配った。佐藤

は工場経営がしたかったのではなく、ただただ美味しい菓子を焼いていた

かったのだ。

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第四百七十七話 Sweet&LittleTales7-蜜の味。 [文学譚]

 私が小学生だった頃は、市街にもまだ田んぼで稲作が行われていて、田植え

の時期が来るまでは、子供にとっては恰好の遊び場所となっていた。春先にな

ると、家の前の田んぼは蓮華の花が咲き誇り、誰だってこの小さな花が広がる

野原に入ってみたくなる。小学1日年生だった私たちは、学校帰りにランドセ

ルを背負ったまま桃色の小花が広がる畑に入るのを楽しんだ。畑の中にしゃが

みこんで、比較的大きめの蓮華の花を探すのだ。

 今考えれば、所詮小さな花のこと、少しくらい大きかろうが小さかろうが、

何の違いもないのかも知れないが、子供にとっては違った。大きいほうが大量

の蜜を含んでいるに違いない、そう思っていたのだ。適当な大きさの蓮華の花

を見つけたら、うやうやしく摘み取る。それから、摘み取った花の花弁を残ら

ず千切ると、まるで虫か何かのような、雄蕊と雌蕊だけの存在になる。花びら

を失って奇妙な物体となった花を口の中に差し込んで、小さなストローを吸う

ように、ちゅうちゅうと花の蜜を吸い上げるのだ。

 昭和のその時代に、ほかに甘いお菓子やチョコレートがなかったわけではな

い。世の中に美味しいおやつはたくさんあった。うちが貧しくて、そのような

おやつが充てがわれなかったというわけでもない。田んぼの中に自然に生えて

いる草花にから、秘密の宝物をせしめ取るという遊びが面白かったのだ。花弁

のない花をちゅうちゅう吸うと、死ぬほど甘い蜜が大量に出る訳ではない。ほ

んのささやかな甘味が口の中に広がるだけだ。だが、そのほのかな甘さが子供

にとっては不思議だったし、大自然の秘密とつながり合うことが出来ているか

のように感じたのだ。

 春という短い季節にだけ許された、ほんとうにささやかな子供の遊戯。それ

を楽しんでいたのは、いつまでだっただろう。私たちが引越しするまでだった

か、あの田んぼに家が立つまでだったか。それとも私が蜜取りゲームを馬鹿馬

鹿しく思う年齢になるまでだったか。そうだ、思い出した。あれは三年生にな

ったばかりの春だったろう。

 一年生の時に上級生から教えてもらった蓮華の蜜取り遊びを、二年生になっ

た春も楽しんだ。そして、三年生になった春、学校に向かう朝、ついに蓮華が

咲き誇っているのを見つけて、今日の帰り道では、蜜が吸える!そう思って楽

しみにしていた。その日の午後、学校を終えた私たちは、最も美味しい蜜の吸

い方について話をしながらあの田んぼに向かっていた。家に近づいた道の角を

曲がって、田んぼの様子が見えてくる端っこの家の前を取り過ぎた時、いつも

と違う空気を感じた。

 犬だ。犬が田んぼの中にいる。それに背広を着た大人の男の人が何人も。な

んだろう。何をしているんだろう。私たちが狙っている田んぼには、今朝はな

かった柵が出来ていて、黄色いテープで囲まれている。私たちがそのテープを

くぐって田んぼの中に入ろうとすると、一人の男が「入っちゃダメだ!」と叫

びながら走ってきた。

「なんで? ここは僕らの遊び場だよ。」

 一人の男の子が勇気を振るって男に言った。

「どうしても、今日はダメなんだ。」

 改めて男たちをよく見ると、走ってきたグレーのスーツ姿の若い男のほかに、

コートを着たおじさん、制服を着た警察官が二、三人、お医者さんみたいな白

衣を来た人、そして近所で見たことがあるおじさんとおばさんが立っていた。

おばさんは顔を両手で覆い、泣いているように見えた。おじさんは、おばさん

の肩に手を回し、抱きかかえるようにして立っていた。

 いったい何があったのだろう。確か、あのおじさんたちの家には、私立ち寄

り少し大きい子供がいたはずだ。その子に何かがあったのだろうか。私は直感

的にそう思った。

 その夜、食卓でテレビのニュースを見ていた父が驚いた声で言った。

「おい、これってすぐ近くの?」

「そうよ、ほら、最近この近くで変な人をよく見るって噂、あったでしょ? 

どうもその変質者か何か知らないけど、男の人が、女子中学生に悪さをして命

を奪ってしまったらしいのよ。怖いわねぇ」

 母は、自分たちじゃなくてよかったというニュアンスを含みながらそう言っ

た。既にその男の人は捕まったらしく、命を奪われた少女はかわいそうだが、

私たちはもう安心していいらしい。

 春先になると、あちこちに花が咲き、蜜の味を求めて蜂や虻がやって来る。

私たちは、その年を最後に、もうあの田んぼで蜜を探さなくなった。

                                 了

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第四百七十六話 Sweet&LittleTales6-いつまでも溶けない雪 [文学譚]

 中国地方で雪が見たいと思ったら、北の山の中に行けばいい。広島なら恐羅

漢という立派なスキー場があるし、岡山なら蒜山スキー場がある。西日本でス

キーが出来るなんて、スキーをしない人にはあまり知られていないのではない

だろうか。スキーをしない人でも雪は見たいと思う。岡山に住んでいるのなら、

その行き先は、おそらく津山温泉あたりではないだろうか。

 私たち家族がまだ岡山に住んでいた頃、父の会社の部下も伴って、この津山

温泉に出かけた。小学生にもなっていなかった私は、温泉に入ること等目的で

はなく、ただただ初めて見る白い雪に驚いていたのだと思う。人は、楽しい思

い出というものをよく覚えているかというと、案外記憶に残っていないものだ。

初めて目にした雪を見た私が、どのように驚いたのか。はしゃいで走り回った

とか、三つ違いの兄と雪合戦をしたとか、父が雪だるまを作ったとか、そうい

う記憶が何故だか一切欠落しているのだ。だが、この家族での小旅行が、子供

にとって楽しくなかったはずがない。雪というものは、それほど人を興奮させ

るものなのだから。しかし、この津山温泉旅行で、たった一つだけ鮮明に脳裏

に焼き付いている記憶がある。その話を今から書こうと思う。

 冬でも比較的暖かい岡山から一山越えるといきなり寒くなる。一行は、岡山

市内ではほとんど必要のない大げさな外套を着込んで、岡山駅から津山線の急

行列車に乗り込んだ。津山まではおよそ一時間。たった一時間の間に風景はあ

っという間に雪景色に変わる。雪が積もった駅舎を出ると、旅館の送迎バスが

私たちを待っていた。駅前から坂道を走り、さらに山に向かう、その当時はま

だ舗装もされていない道を十分ほど走ると、鄙びた感じの旅館に辿り着いた。

 旅館の前にも雪がどっさりと残っていて、子供たちは初めて見る雪を触って

は母親に見せてはしゃいだ。もっと遊びたいとごねる子供の手を母親が引っ張

って、一行は中居さんの後ろをついて旅館の廊下を歩く。通された部屋は小さ

な和室の二部屋続きで、ここに一家四人と父の部下の良介の、五人分の布団が

敷けるのだろうかと父が心配した。

 冬を過ごす旅館らしく、一方の部屋には炬燵が据えられている。雪の道中で、

すっかり身体が冷えてしまった私は、母に言われるまでもなく、すぐに炬燵の

中に潜り込んだ。

「うわぁ、あったかい」

「うん、あったかいね、生き返る」

 そう言ってほっこりするのも束の間。さぁ、風呂に行こう、と父が言い出し

て、みんな揃って浴衣とどてらに着替えて、旅館の離れにある大浴場に向かっ

た。

 兄は父と良介さんと一緒に男風呂へ、私は母と一緒に女風呂へ。子供にとっ

て、プールみたいに大きなお風呂はさぞかし楽しかったに違いないが、ここの

ところは全く記憶には残っていない。

 風呂から部屋に帰ると、もうすっかり夕食の準備が整っていた。温泉旅館の

食事は、大人にとっては豪華なものだったに違いないが、ハンバーグもコロッ

ケもない食膳は、私たちには少しも嬉しいものではなかっただろうと思う。い

や、もしかして旅館が気を効かせてお子様向けのメニューを出してくれていた

のだろうか。

 普段から酒好きの父は、上機嫌で盃を傾けたことだろう。もしかしたら、部

下の良介を連れてきたのは、ゆったりとした酒宴を楽しむ相手にするためだっ

たのかも知れない。子供たちはさっさと食べ終わって、家と同じようにテレビ

の前に張り付いている。いつもは酒など飲まない母もこの時は、いつまでも終

わることのない父と良介の宴会にしばらく付き合っていた。

 仕事帰りに飲む酒と違って、こういう温泉旅館でくつろいで飲む酒は、量を

こなすことなく程よく酔うことが出来る。内線電話でお酒の追加を頼んだのは

一度きりで、父はいい調子に酔って、中居が敷いていった布団に潜り込んだ。

同じように、良介も「申し訳ありません、これでお開きに」と母に一言詫びて

から父の向こう側の布団に潜り込んだ。

 翌朝、焼き魚と煮付け、味噌汁という、子供にとってはあまり嬉しくはない

朝食を済ませてしまうと、しばらくは何もすることがない。家から持ってきた

玩具を所在無げに炬燵の中でいじくり回している私たちの横で、父がニヤニヤ

しながら何かを始めていた。

 どこから持ってきたのか、父は割り箸を半分に折って十字に重ねる。そこに

糸でくるくると巻きつけて縛り、縦横同じ長さの十字架を二つ作った。さらに

その割り箸が交差する部分に長い糸を結びつけて、二つの十字架を、釣りをす

るように吊り下げて見せた。

「これ、なんやと思う?」

さぁ、分からんと答える子供に、「見ててみ」と言って、父は炬燵の背中側の

窓を開けた。窓外の雪景色は寒そうだが、ポカポカ陽気で窓を開けても意外と

暖かい。父は十字架を一つ持って、窓から下に垂らした。しばらく窓の下を覗

き込みながらちょんちょんと糸を上下させていたかと思うと、ゆっくりと持ち

上げた。すると、どういうわけだか十字に組んだ割り箸に窓したの雪がくっつ

いているではないか。

「どうや、手づまみたいやろ」

 父は、手品のことを手づまと言った。私と兄は、うわぁと叫んで父に駆け寄

った。我先にと父が持っている糸をほしがる兄弟に、「慌てんでも二つ作った

から」と言って、雪が付いたのを私に、まだ新しいのを兄に渡して、窓下に垂

らすように促した。

 ちょんちょん、ちょんちょん。

 私と兄は、同じ窓に身を乗り出して、地面の雪に十字架が届くように糸を垂

らし、大きくなっていくなっていく雪の重みを楽しんだ。私が雪で膨らんだ先

っぽを持ち上げて兄に見せると、兄も負けじとばかりに大きな雪の塊を持ち上

げてみせる。

 ちょんちょん、ちょんちょん。

 雪の上で上下させる度に大きく膨らんでいく雪玉で、とうとう割り箸は見え

なくなってしまった。子犬の頭ほどある雪の塊から伸びる糸。その糸の先を持

つ二人の子供が窓から身を乗り出している。外から見たら、さぞかし不思議な

光景だったに違いない。

 雪釣りの道具を作ってくれた父は、その後、また別の割り箸と輪ゴムを器用

に組み合わせて、輪ゴム鉄砲を作った。これもまた子供たちには大好評で、今

度は雪のことも忘れてひとしきり輪ゴム鉄砲で遊んだ。

 どこで、誰に、あんな手作り玩具を教わったのだろう。父はそんなに器用な

人だったろうか。父が何かを手作りしてくれたのは、あの時と、五月の節句に

新聞紙で作ってくれた特大の兜限りだ。

 仕事熱心で、家にいたという記憶が薄い父。遊びに行くのも、買い物に行く

のも、母との思い出はたくさんあるのに、そこには父の姿はほとんどない。そ

の父が見せてくれた雪釣りの手づまは、私にとっては父にまつわる貴重な思い

出となった。

                               了

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第四百七十四話 Sweet&LittleTales4-プレゼント [文学譚]

 ある冬の夜、母が夕食を作っている間、僕たち兄弟は茶の間の畳いっぱいに

玩具を広げて遊んでいた。「そろそろご飯だから、片付けなさい。」母にそう

言われて、ようやく食事の時間であることに気がついた。父はまだ帰らない。

仕事熱心な父の帰りはいつも遅かった。だから僕たちは三人で夕食を摂ること

が多かったのだ。だが、その日は、まもなく玄関を開ける音がして、父が帰宅

した。

 茶の間の引き戸を開けながら、父は両手いっぱいに下げた紙袋を差し出して

言った。

「今な、そこでサンタさんと会ったんや。」

 そう、その夜はXmasイブだった。そういえば、今夜の夕食はどことなく華

やかだ。鳥の唐揚げ、赤い人参で飾られた野菜サラダの真ん中に雪花菜のサラ

ダ、スープとご飯。貧しいながらも母は出来る限りのごちそうを用意していた

のだ。

「ええー? 嘘やぁ。」

 兄が先に叫んだ。僕も真似をして言った。

「嘘やろー!」

「本当や。本当にサンタさんと遭って・・・・・・ほら、これお前らにくれたで。」

 父が僕たちに渡した茶色いクラフト紙の袋の中には、色の付いた包装紙にリ

ボンがかけられた包が幾つか入っていた。いつもは、朝起きたら枕元に何かし

ら贈り物が置かれていて、母親から、サンタさんが夜中にやってきたのだと教

えられたものだ。それが今回は父が預かってきたとは。

 こうなったら子供にとってはご飯などそっちのけだ。父親が隣の部屋で着替

えている間に、兄弟二人はゴソゴソと袋を開き始めた。母は、困ったな、でも

仕方ないかという顔でご飯を注ぐのを止めて子供たちを見守た。

 兄が袋から最初に取り出したのは、四角い重い包み。兄が開けてみると、本

だった。僕も真似をして同じような包みを開いた。やっぱりこれも本だった。

「のぐちひでよいじんでん」そう書かれていた。僕たちは兄弟揃って本は好き

だった。だが、クリスマスに本の贈り物はつまらないな、そう思った。次の包

はきっと、もっと楽しいものだ。兄は次の包みを手にした。開けてみると、色

鉛筆セットだった。僕も次の小さな包みを開けてみるた。それはアニメキャラ

クターのトランプだった。この外国製のアニメのキャラクターの本は、毎月送

られてくる雑誌のと同じだ。今考えると、トランプだの色鉛筆だの、なんと面

白くもなんともない贈り物だろうと思うのだが、子供にとっては嬉しいものだ

った。

 紙袋の一番底に、大きな箱が入っている。これは何? なんとなく油っぽい

匂いがする。持ち上げると重い。何だろう。兄が袋から取り出して、包を開け

にかかった。僕はドキドキしながらそれを見ていた。紙包の中から出てきたの

は茶色いダンボールの箱。兄がその箱を開けると水色の塊が見えた。

「わぁ電車や!」

「電車や!」

 それはいつかお土産でもらったことのあるカステラくらいの大きさの電車模

型だった。本物の電車のように金属の上に水色の塗装がされていて、サイドの

下半分はグリーンに色が変わっている。天井にはパンタグラフが付けられ、サ

イドには窓や扉の四角い穴が開けられていた。車両が取り出された箱のさらに

下にはたくさんのレールが重ねて詰められている。

「すごい、レールまである。」

 なにしろ、小学生と幼稚園児だ。僕らはまるで本物の電車をもらったくらい

に喜んだと思う。それから母に窘められて、しぶしぶ夕食になったのか、夕食

はそっちのけでレールをつないで遊んだのか、そこまでは覚えていない。だが、

それからしばらくは、いつもその電車で遊んでいたと思う。円形にレールを敷

いて、脱線しないように上手に電車を乗せる。コンセントを差し込んで、スイ

ッチを入れると、「ブーン」と軽い電気音がして、電車がゆっくりと動き始め

る。スイッチの手元には可変式ダイヤルが付いていて、そのメモリによっては

速度が変わる。その当時にしてみれば、きっと高価な模型だったに違いない。

 両親からは、毎年素敵なクリスマスの贈り物をもらっていたに違いない。だ

が、記憶に残っているのは、この時の贈り物なのだ。

「僕らが子供の頃、どんなクリスマス・プレゼントもらったっけ?」

 そう父に尋ねてみたい衝動に駆られる。だが、僕らはもう、あの頃の父より

もずっと年上になってしまった。そしてその父はもう十三年も前に他界した。

                             了

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第四百七十五話 Sweet&LittleTales5-昆虫採集の夏 [文学譚]

 ミンミン蝉の声が喧しい。中学生になった兄は、弟に付き合うくらいのつも

りできたのだと思う。だって、中学校の夏休みには虫取りの宿題等ないのだか

ら。それでも、兄弟同じように白い虫網とグリーンのプラスチックで出来た虫

籠の紐を肩から吊り下げている。ベージュの日傘をかざして歩く母は、まだ若

かったとはいえ、山道には慣れていなかったのではないか。

「あんたら、足が早いなぁ、ちょっと、休憩しよう。」

 そう言っては木陰の岩に腰掛けた。

「はい、麦茶。」

 いつもは買い物かごに使っている網籠からポットを取り出して、順番に飲ま

せる。

「それにしても暑いなぁ。」

 母は冷房が好きだ。この頃の冷房はまだ高級品だったと思うが、新しモノ好

きだった父は、いち早く冷房器具を購入していた。だから母はすっかり冷房に

慣れてしまっていたのだと思う。町の真ん中にある小高い丘程度の山の中腹で、

僕らは立ち止まったまま動かなくなってしまった。

「ちょっと、足に豆が出来てしまった」

 母はそう言って動こうとしないのだ。でも本当は、豆等出来ておらず、暑くて

動くのが嫌だったのだ。休憩している木陰は心地よい風が通り抜ける丁度いい場

所で、言ってみれば天然の冷房が効いているのだった。結局二十~三十分もそこ

で休憩してから、僕たち親子はのろのろと歩き始めた。

 別に山の頂上を目指したいわけではない。虫が取れたらいいわけだ。だが、母

親と子供だけでは、虫が見つかってもなかなか最終出来ない。高い木の上で鳴い

ている蝉を見つけては兄が取ろうとするのだが、子供の網ではとても届かない。

「ちぇーっ!」

 そう叫んで兄は悔しがった。そのうち、届きそうな高さで泣いている蝉を見つ

けて網を伸ばすのだが、その木は崖の端っこに生えていて、高さはないが、崖か

ら手を伸ばさないと届きそうもない。それでも無理に採ろうとする兄を母が制し

た。

「危ないから、やめなさい。」

「でもぉ、まだ一匹も採れてへんやん。」

 こういうとき、母はとんでもない男っぷりを発揮する。

「ちょっと貸してみ。」

 僕の網を採り上げて、兄を押しのけ、その蝉の方へそーっと網の先を伸ばす。

僕らは息を飲んで母の行動を見守っていた。母のパンプスが崖スレスレの所に

ある。ズリッ、ズリズリ。土が崩れる。母は手前の木を左腕で抱えるようにし

て体を支え、右手に持った虫網の竿をギュッと握る。そ〜っと伸びていく網。

もう少しで届く。蝉、逃げるな!母がぱっと右手を伸ばす。

「ギャーギャーギャー!」

 蝉が物凄い声で鳴く。ズリッ!母の足が滑る。

「きゃっ!」

 母が叫んで、尻餅を着いた。もう少しで崖から滑り落ちるところだった。採

ったの? 逃がしたの? 母が握ったままの竿の先では白い網がくるくるっと

巻きついてもつれたようになっている。その中で黒いモノがバタバタ動いてい

た。

「母さん、採ったよ!」

 母は尻餅を付いたまま、注意深く網を引き寄せる。

「お兄ちゃん、これ、逃がさんように虫籠に!」

 兄はわかったと言って、網の中の蝉を右手で掴んで取り出した。逃すなよぉ。

 僕たちは元々都会育ちだ。自然の営みには慣れていない。僕なんか、虫を触っ

たこともない。兄だって同じようなものだったと思う。兄は手で掴んだ蝉を逃さ

ないようにしっかり摘んで僕の虫籠の蓋を開けようとした。

 先に虫籠の蓋を開けて、白い網のままそこに持ってくればよかったのだろうが、

兄が虫籠の入口まで蝉を持ってきた時、蝉が「ギャ!」と言って羽を動かした。

驚いた兄は「あ!」と叫んで手を離した。蝉はすかさず羽ばたいて逃げた。逃げ

る瞬間、僕の顔に液体を飛ばした。

「あっ!おしっこかけられた!」

「おしっこおしっこ!」

 蝉に逃げられたことよりも、蝉のおしっこを・・・・・・本当は樹液なのだが・・・・・・

かけられたことの方がショックで、僕は母に拭いて拭いてと迫った。母は慌てて

ハンドタオルを取り出して、僕の顔やら腕やらを拭いてくれた。

 この蝉のおしっこ騒ぎで、母の武勇伝も、兄の失態も、全て帳消しになった。

僕の顔を拭いてくれる母は香水と汗が混じったいい香りがしていた。

                             了

 

 

母は兄と私を連れて、近隣の眉山に出かけた。夏休みの宿題である昆虫採集

を子供たちにさせるためだ。暑い山道、青葉の匂い、虫網と肩から掛けた虫籠。

私の汗を拭いてくれる若い母の香水の匂いがした。

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第四百七十三話 Sweet&LittleTales3-泥棒。 [文学譚]

 幼稚園くらいまでの私は、ぼんやり生きていて、今考えると起きている間も

ほとんど眠っていたのではないかと思う。犬や猫などのペットが、日長一日う

とうと眠っていて、食事とお散歩の時だけ、むっくり起きだしてうーんと伸び

をして、悠然とご飯を食べに来る、あんな感じ。今ではアルバムの中に収めら

れた古い写真を見ても思い出せないことだらけだが、いくつかの事柄だけは、

なぜかくっきりと記憶の中に刻み込まれている。

 たとえば、私は歩いて通園出来る距離に住んでいたので幼稚園バスにのらな

かったのだが、先生にバスに乗りたいと言ったのだろうか。ある日、先生が

「今日は空いてるから、バスに乗せてあげる」そう言っていったんは幼稚園バ

スに乗せてもらったのだが、その後先生が運転手と話をしてから、結局私はバ

スを降ろされた。走るコースから外れていたからだろうか。だからと言って私

がゴネたとか泣いたという記憶もないが。

 またある時は、授業中にたぶん居眠りしていたのだと思う。休憩時間になっ

て、さぁ、みなさんおトイレに行きましょう、と言われて私が用を済ませたの

は、トイレではなく、みんなが歯を洗ったりする洗面所の床だった。完全に寝

ぼけていたのだ。用を済ませてから、はっと気がついて・・・・・・そこから先は覚

えていない。

 幼稚園からの帰り道に、駄菓子屋があったこと、ロバのパン屋さんを引っ張

るポニーが道で糞を落としたこと、駄菓子屋のずーっとずーっと向こうにある、

母が働いていた駅構内にあるお茶屋さんに通ったこと、その途中にある歯医者

さんでキーンと歯を削られる音が嫌いだったこと。思い出せるのは全て断片だ。

だが、一つだけ鮮明に覚えているお話がある。

 おなじ幼稚園には、ちょっと悪そうな兄弟がいた。兄の方は病気していたの

だろう、髪の毛がちょんちょろりんで産毛みたいな感じだった。でも一年ほど

ダブっているせいか、子供の私から見れば、大人のように大きくて怖かった。

 ある日、この兄弟がお金の札束を持っていて、幼稚園の友達に何か買ってや

ると大判振る舞いしていたのだ。何人もの友達が、近所の玩具屋さんへワイワ

イ騒ぎながら歩いていく。たまたま同じ道を歩いていた私にも兄弟から声がか

かった。

「お前もなにか買ってやるぞ」

 私は誘われるままについて行った。親と行ったことのある玩具屋さんには、

プラモデルや人形など、親には買ってもらえなかった玩具がたくさん並んでい

る。私はその一つを、多分人形か何かだったと思うが、買ってもらった。みん

な手に手に宝物を抱きかかえて、普段から遊び場にしている材木置き場に集まっ

た。それぞれに買ってもらった獲物を見せっこしたり、早速それで遊んだりして

日が暮れるまで遊んだ。

 その翌日、兄弟が母親に手を引かれて我が家の玄関に現れた。親が何事かと親

子を迎えた。兄弟の父親は工場を経営しているのだが、その工場の金庫にあった

お金を、この兄弟がごっそり持ち出したというのだ。つまり、兄弟は親のお金を

盗んだのだった。私の母は何度も頭を下げて誤った。そして後から、私は母に手

を引かれて買ってもらった玩具を、その家に返しに行った。

 断片的な記憶ばかりの中で、何故かこの思い出だけは翌日に至るまでの長いシー

クエンスとして覚えている。それほど強烈な経験だったのだろうと思う。

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