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第四百六十四話 アイドル。 [日常譚]

 テレビ画面に往年のアイドル、森野昌子が映し出されている。その姿を見て

いた太田美紀は言った。

「昌子ちゃん、今になってやっときれいになったわね。デビュー当時、確かに歌

は上手だったけれども、あのタワシみたいな頭はひどかったもの。」

 当時、森野昌子は、同年代のアイドルだった山口白恵、桜木淳子と共に中三

トリオとして売り出していた。美紀は彼女たちより少し上の世代だが、当時の事

をよく話す。

「実はね、私はあの人たちと一緒にデビューするはずだったの。ほら、あの子た

ち、みんなスカウト番組の先駆けだった”アイドル誕生!”って番組から出てきた

でしょ?私も、あの番組で十週勝ち抜いたのよ。今では誰も覚えていないとは思

うけど。それで、あの子たち三人と一緒に、アイドルカルテットってニックネームで

売り出そうかって話になってたの。ところがね、三人は当時中学生、私はもうすで

に高校生になってたから、困ったなってことになって。」

 同じ中学生の三人組をトリオで売り出したほうが絶対にいいということになった

という。では一人残された美紀はどうするのか。歌は上手いが高校生だし、一人

で売り出したらどうかという方向で進み出していた矢先。美紀を妬む誰かが、美

紀のプライベイトを暴露する手紙が美紀がいるタレント事務所に投げ込まれた。

 手紙はもちろん匿名で、書かれていたのは一言だけ。そして医学辞典の一頁

をコピーしたものが同封されていた。

『太田美紀は女じゃない。』

 これはどういうことだ?本当なのか?美紀は事務所の社長に詰め寄られた。

美紀は、小さな声で「私は、女性です。ですが・・・・・・女性です!」と答えた。で

すがなんだ、今、ですがと言いかけたな、とさらに突っ込まれて、美紀はとうとう

白状した。

 クラインフェルター症候群。1942年にハリー・クラインフェルターが発表した遺

伝子異常の症例だ。通常男性はXY、女性はXXという一対の性染色体を持って

いるのだが、千人に一人という割合で、男性のXYよりも一つX染色体を多く持っ

て生まれてくる赤ん坊がいる。つまり、XXYという性染色体を持って生まれてくる

わけだ。これは果たして男性なのか女性なのかというと、通常、外性器は男性型

で現れる。そして、二次成長期に至って初めて女性特性が表出し、胸が膨らんで

きたり、声変わりが無かったりするのだ。美紀の場合は、さらに陰茎無形成という

異常が併発していた。

 美紀は女の子として育てられただが、生物学的には、女でも男でもない、そ

の中間。そして何よりも美紀自身は自分を女性として認識していた。

 昨今でこそ、はるな愛子とか、佐藤佳代美とか、男性でありながら女性とし

て生きている人がタレントとして活躍しているが、三十年も前の事、まだまだ

そういう個性が受け入れられる時代ではなかった。見世物小屋の生き物の

ように世間にさらされ奇異の目で見られるのが関の山だった。それに、はる

な愛子や佐藤佳代美はもともと男性出会ったことがはっきりしているが、美

紀の場合は、それさえも曖昧なのだ。もともとわかりにくい性であるのに、

世間を偽ってデビューさせることは出来ない、事務所の社長はそう言った。

 だけど、と美紀はさらに付け加える。もし、自分に男性器が形だけでもあ

ったなら、郷田ひろみのように女の子のような男の子として売り出す手立て

はあったのだ。だが実際には男性器はないので、それもできずにいたら、

そのうち郷田ひろみがデビューしたのだという。

 「ああ、私が本当の女の子だったなら!私は間違いなくいい歌手になって

いたわ!だけど、世間は残酷だわ。性別ひとつで人を判断するなんて!」

 こうした美紀の世の中への怒りは、彼女のパワーになったという。歌手と

してのデビューの道を断たれた彼女は、それから懸命にダンスのトレーニ

ングをし始める。やがて、トップダンサーと並ぶほどのテクニックを身につ

けて、自ら不思議なダンスを創造したという。氷の上を後ろ向きに滑るよう

に踊ったというのだ。美紀はこの新しいダンスウォークに”アイス・スライド”

と名前をつけた。まもなくこのダンスを抱えて渡米した美紀は、アメリカで大

ブレイクするかと思いきや、そうはならなかった。アメリカでのつてを持たな

い美紀は、路上でダンスを披露していたところ、隣でブレイクダンスのパフォ

ーマンスをしていた黒人に珍しがられて、踊り方を教えた。すると、そのジェ

フリーなんとかという男が自分のバンドのステージで、美紀のアイス・スライ

ドを披露したところ、大ウケに受けたのだ。さらにその後、彼のジャイケル・

マクソンがこのダンスを自らのパフォーマンスに取り入れて”ムーン・ウォーク”

と名前を付けたのは、万人の知るところだろう。

 美紀は独白する。その後も、マンドナや、最近ではテディ・ガガというアー

ティストとも親交を持ち、自分は影のアイドルとして生きてきたのだと。

 周りで聞いているものは、みんなよくわからないままに「へー!」とか「ホ

ー!」とか、感嘆の声を上げているが、実際、美紀の話はどこまでが本当

なのか分かりづらい。よく考えてみると、つじつまの合わないことだらけの

ような気もするのだが。まぁ、だけど、そういうことで美紀の気分が少しでも

よくなり、快方に向かうのならば、好きに言わせておくがいい。誰かに危害

を及ぼすというものでもないのだから。

 「さぁ、美紀さん、そろそろお部屋に戻りましょうかねぇ。」

私はそう言って、美紀が座っている車椅子の背中に着いたハンドルを握り

直す。美紀が話す内容は、もう大体覚えてしまったが、夢のある、とても楽

しい話だ。もし美紀のような妄想を描いて生きていけるのなら、それもまた

幸せなのではないかな、看護師という地道な経歴しか持たない私はそう思

うのだ。

                                了


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