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第四百八十一話 マツケン散歩 [可笑譚]

「ちょっと、そこのあなた。私と踊りませんか?」

 金色の派手な着物姿の男が誘ってきた。

 なんなのだ、いったい?

「あなた、どこのどちら様?」

「松平ケンです。」

「松平健? ちょっと、それ違うんじゃないの、清盛役は松山ケンイチだよ!」

 私がそう言うと、そのハンサムなオジサマは

「松ケンサンバじゃない? こりゃまた、失礼!」

 と言ってサンバを踊りながら、逃げて行った。

 今年の大河ドラマは、松山ケンイチ主演の「平清盛」だ。松ケンは人気のあ

る俳優だし、他にもそうそうたる俳優陣が出演しているというのに、どういう

わけだか今年の大河ドラマは史上最低の視聴率だという。

 私はほとんど知らなかったのだが、神戸には平清盛ゆかりの地がたくさん点

在している。そこで、神戸市が企んだのが、便乗イベントということなのだろ

う。清盛に因んだイベントが、神戸駅=ハーバーランドと、和田岬にある中央

市場前の二カ所で開催されている。賑やかなハーバーランドだけで完結させて

もよさそうなものなのだが、和田岬こそが清盛が福原遷都を行った際の入口と

なった拠点なので、人々をこちらに誘引したかったのであろう。結果、二箇所

で同じような内容のイベントが執り行われているのだった。  

「これってNHKの宣伝じゃないの」

 そう思ったが、今更文句を言ってもお金が戻るわけでもなく、それでも知らな

かった福原遷都の歴史に少しだけ触れてみる私だった。

 私たちはこのイベント会場を皮切りに、清盛所縁の地を散策することにした。

福原京は、今となっては跡形も残っていない。だが、清盛の塚だとか、奉納し

た寺社などに、清盛の名残が残されているわけだ。清盛が歩いたかもしれない

和田岬につながる道を、十数人の同趣の友がそぞろ歩く。

 中央市場から十分ほど歩くと能福寺に着いた。ここは、清盛が出家した寺で

あり、京都で亡くなった後には遺体が福原まで運ばれて、この寺で葬られたと

される場所。だが、遺体そのものは、ここには存在しなかったらしい。だが、

清盛由佳理の寺であることには違いない。ところで、初めて知ったのだが、こ

んなところに大仏様が祀られている。奈良ほどではないが、立派な大仏様が鎮

座しておられるのだ。

「大仏さん、大仏さん、あなたは奈良にいらっしゃったのではないのですか?」

 不遜にも誰かが尋ねた。すると、大仏は口を開けずに答えた。

「なーにーをー言う。そなたは無礼者じゃな。奈良には奈良の大仏、兵庫には

兵庫の大仏があるのじゃ。我は奈良の大仏、鎌倉の大仏と並ぶ、日本三大仏の

ひとつなるぞ」

 大仏様がそうおっしゃったとたん、天から別の声がした。

「兵庫の~何を言う~三大仏の三体目はそなたではない、私、京都の大仏だ」

 さらに別の声。

「京都のぉ、そなたはもう消失してしまって、ないではないか。富山の高岡に

おわす我こそが三体目なるぞ」

「ちょーっと待ったぁ!おのおのがた、三体目の大仏は私、岐阜大仏である」

 もう、何が何やらわからなくなってきたが、いくつもの声が、いい争いを始

めたので、 寺人が大仏の意識を反らせて怒りを鎮めるために、楽しげな祭事を

始めた。

「あ、それ、あ、それ! さては南京玉すだれ!」

 何故南京玉すだれなのかはわからないが、自らノンちゃんと名乗る女の子が

陽気なショータイムをおっぱじめた。これが仏の祀りとも思えないのだが、私

たちがノンちゃんにせがまれて手拍子を併せ打っていると、いつの間にか隣に

やって来た大仏までもが一緒になって、「あ、それ。あ、それ」とはしゃいで

いるではないか。十数分間さまざまな形に変化する南京玉すだれを楽しんだ後、

大仏様はドシドシと台座の上に戻っていった。  肝心の清盛はどこに眠ってい

るのかと言えば、能福寺の斜め向かいに清盛 塚というものがある。ところが、

立派な塔や荘厳な石碑と石像はあるのだが、 ここにも清盛は眠っていないらし

い。清盛の骸の在り処は、未だ謎なのだ。

「私の塚のまーえで~祈らないでください~そこに私はいません~」

 突然どこからか、清盛の歌声が聞こえてきた。そうかそうか、清盛は千の風に

なったわけだ。

 さらに十数分南西へ歩いていくと神社が出現した。広い神社の境内に停められ

た軽自動車の前で、神主がお祓いをしている。ははーん、事故でも起こして亡く

なった被害者に祟られたか? 私はそう思って眺めていたら、そんなことではな

いらしい。ここでは車の安全祈願を行なってくれるらしいのだ。つまり、成田さ

んと同じように、交通安全の神様というわけだな。実はこの神社は、海の守り神

様だという。その昔、福原遷都にあたって、清盛がこの場所を貿易の拠点にする

ために、大輪田泊の改修工事を行なったが、海が荒れて難儀をしたのだ。その際

に、難航する港工事の成就とこの地の発展を祈願して、清盛は宮島の市杵嶋姫大

神を勧請した、それがこの和田神社なのだ。

 私は賽銭箱に五円玉を投げ込んで祈った。

「海の守り神だそうだけど、もっと面白いお話が書けるように、私の想像力、

”生み”の能力も守っておくれ」

 ここまでで、約一万歩。私が平素目標としている歩数は十分に歩いた。もう

既に脚が辛い。そろそろオーラスにしよう。私たちはそう決めて、南京町まで

繰り出した。松ケン散歩の〆は、美味しいものを、平らげ酒盛りだ。                              了

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