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第四百七十七話 Sweet&LittleTales7-蜜の味。 [文学譚]

 私が小学生だった頃は、市街にもまだ田んぼで稲作が行われていて、田植え

の時期が来るまでは、子供にとっては恰好の遊び場所となっていた。春先にな

ると、家の前の田んぼは蓮華の花が咲き誇り、誰だってこの小さな花が広がる

野原に入ってみたくなる。小学1日年生だった私たちは、学校帰りにランドセ

ルを背負ったまま桃色の小花が広がる畑に入るのを楽しんだ。畑の中にしゃが

みこんで、比較的大きめの蓮華の花を探すのだ。

 今考えれば、所詮小さな花のこと、少しくらい大きかろうが小さかろうが、

何の違いもないのかも知れないが、子供にとっては違った。大きいほうが大量

の蜜を含んでいるに違いない、そう思っていたのだ。適当な大きさの蓮華の花

を見つけたら、うやうやしく摘み取る。それから、摘み取った花の花弁を残ら

ず千切ると、まるで虫か何かのような、雄蕊と雌蕊だけの存在になる。花びら

を失って奇妙な物体となった花を口の中に差し込んで、小さなストローを吸う

ように、ちゅうちゅうと花の蜜を吸い上げるのだ。

 昭和のその時代に、ほかに甘いお菓子やチョコレートがなかったわけではな

い。世の中に美味しいおやつはたくさんあった。うちが貧しくて、そのような

おやつが充てがわれなかったというわけでもない。田んぼの中に自然に生えて

いる草花にから、秘密の宝物をせしめ取るという遊びが面白かったのだ。花弁

のない花をちゅうちゅう吸うと、死ぬほど甘い蜜が大量に出る訳ではない。ほ

んのささやかな甘味が口の中に広がるだけだ。だが、そのほのかな甘さが子供

にとっては不思議だったし、大自然の秘密とつながり合うことが出来ているか

のように感じたのだ。

 春という短い季節にだけ許された、ほんとうにささやかな子供の遊戯。それ

を楽しんでいたのは、いつまでだっただろう。私たちが引越しするまでだった

か、あの田んぼに家が立つまでだったか。それとも私が蜜取りゲームを馬鹿馬

鹿しく思う年齢になるまでだったか。そうだ、思い出した。あれは三年生にな

ったばかりの春だったろう。

 一年生の時に上級生から教えてもらった蓮華の蜜取り遊びを、二年生になっ

た春も楽しんだ。そして、三年生になった春、学校に向かう朝、ついに蓮華が

咲き誇っているのを見つけて、今日の帰り道では、蜜が吸える!そう思って楽

しみにしていた。その日の午後、学校を終えた私たちは、最も美味しい蜜の吸

い方について話をしながらあの田んぼに向かっていた。家に近づいた道の角を

曲がって、田んぼの様子が見えてくる端っこの家の前を取り過ぎた時、いつも

と違う空気を感じた。

 犬だ。犬が田んぼの中にいる。それに背広を着た大人の男の人が何人も。な

んだろう。何をしているんだろう。私たちが狙っている田んぼには、今朝はな

かった柵が出来ていて、黄色いテープで囲まれている。私たちがそのテープを

くぐって田んぼの中に入ろうとすると、一人の男が「入っちゃダメだ!」と叫

びながら走ってきた。

「なんで? ここは僕らの遊び場だよ。」

 一人の男の子が勇気を振るって男に言った。

「どうしても、今日はダメなんだ。」

 改めて男たちをよく見ると、走ってきたグレーのスーツ姿の若い男のほかに、

コートを着たおじさん、制服を着た警察官が二、三人、お医者さんみたいな白

衣を来た人、そして近所で見たことがあるおじさんとおばさんが立っていた。

おばさんは顔を両手で覆い、泣いているように見えた。おじさんは、おばさん

の肩に手を回し、抱きかかえるようにして立っていた。

 いったい何があったのだろう。確か、あのおじさんたちの家には、私立ち寄

り少し大きい子供がいたはずだ。その子に何かがあったのだろうか。私は直感

的にそう思った。

 その夜、食卓でテレビのニュースを見ていた父が驚いた声で言った。

「おい、これってすぐ近くの?」

「そうよ、ほら、最近この近くで変な人をよく見るって噂、あったでしょ? 

どうもその変質者か何か知らないけど、男の人が、女子中学生に悪さをして命

を奪ってしまったらしいのよ。怖いわねぇ」

 母は、自分たちじゃなくてよかったというニュアンスを含みながらそう言っ

た。既にその男の人は捕まったらしく、命を奪われた少女はかわいそうだが、

私たちはもう安心していいらしい。

 春先になると、あちこちに花が咲き、蜜の味を求めて蜂や虻がやって来る。

私たちは、その年を最後に、もうあの田んぼで蜜を探さなくなった。

                                 了

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