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第四百九十一話 脱皮する男~実験奇譚・なんか妖怪ー8 [文学譚]

 昨日買ったばかりの靴が、いささか窮屈で、今朝おろしたてで会社に履いて

きたら、もう靴擦れが出来て痛い。もうワンサイズ大きいのにしとけばよかった

かなとも思うが、靴というものは大き過ぎると、それはそれで踵が擦れてしまっ

て痛くなる。ぴったりのサイズを見つけて、少し履き慣らして使うというのがベ

ストなのだ。

 しかし、今日はもう、履き慣らさずにいきなり履いてしまったのだから仕方が

ない。しばらく痛むが我慢しよう。そう思って、事務所のデスクに居る時は、と

きどき靴を脱いで足を休ませていた。ところが、靴の中で窮屈に縮こまってい

た足紗季は、靴を脱いでもまだおかしい。痺れているのかな? そう思ったが

そんな感じでもない。靴を脱いでるのにまだ窮屈な皮の中に押し込められて

いるような感じなのだ。おかしいなと思いながら足先を持ち上げて手で揉んで

やると、掌の中で何かが破れた。

「ぐしゃ。」

 新聞紙でくるんだ生卵が割れた感じ。いや、もう少し華奢な手応えだな。玉ねぎ

の茶色くなった外皮が剥けた感じ。あれぇ?なんだこれは?慌てて靴下を脱いで

確かめると、踵とつま先の皮が大きく外れている。

「え?」

水虫というには、皮の取れ方が尋常ではない。こわごわ指で外れた皮を引っ張っ

てみると、ズルリと取れてしまった。皮がめくれたその下には、これが俺の足か?

と思えるほどえぐい紫の皮膚が見えている。しかも、指で触れた感じでは結構硬

いのだ。大変だ。何かエラいことが、俺の身体に起きている。

 マサオは第三セクター系の電力会社に勤めるエリートだ。まだ入社して数年しか

経たないが、こういう仕事は世の中のためになると信じて入社した。だが、数年前

に起きた天災で、関東の発電所で大事故が起きて以来、自分の仕事に疑問を持

ち始めていた。それで、エネルギー会社に勤めていながら、国が行うエネルギー

政策に対するデモに参加したり、原子力反対者の集会に出たりしていた。

 ある日、上司から呼ばれて大叱責を受けた。

「円くん、どういうことかね。君が原熱電反対デモに参加しているのをたくさんの人

が目撃してるんだよ。ウチの社員でありながら、国のエネルギー制作に反対する

集会に出るというのは、困るんだよ。」

 マサオは反論することが出来なかった。部長の言うとおりだからだ。自分たちが

行なっている事業に反対するなら、会社を辞めるべきだ。だが、辞めてしまっては

外から非力に闘うしかないではないか。内部にいるからこそ、裏で行われている

こともわかるし、国民が何をするべきかが見えるんだ。だが、マサオが言っている

とは、ほとんどスパイみたいなものだ。

 天災で事故が引き起こされた発電所は、原子力発電によって電力供給をしてい

た。そのときはじめて原子力発電の危険性がクローズアップされ、国民の多くが猛

反対したために、全国の原子力発電所では、継続した運転が困難になった。しかし、

原子力発電に代わる強力なエネルギーが存在せず、国内の経済活動への影響が

問題視された。そのときにある研究者から技術提供がなされて、それに国が乗った

んが、原子熱発電だった。

 原始力発電では、核融合によって排出されたエネルギーで蒸気を発生させ、蒸気

が生み出す圧力によってタービンを動かして電気に変換するのだが、原子熱発電

では、核融合で生まれた熱を直接エネルギーに変換するというものだった。この方

法だと、仕掛けがシンプルで大きな設備は必要なく、そのためにリスクが少ない、

しかも効率良く電力を発電出来るのだと政府は発表した。だが、ほんとうのところは、

直接エネルギーに置き換えるという手法は危険極まりないやり方だったのだ。一部

の研究者は反対したが、切迫するエネルギー問題を目前にした政府高官は、提案

してきた科学者の論理に気圧されて、安全であると信じ込んでしまった。また一度

そのような安全イメージが構築されてしまった以上、周囲の関係者の多くも、右へ

習えをしてしまった。

 こうしたことの成り行きを知った良識派の学者とその取り巻きが、反対運動を行

なっていたのだが、マサオもこの運動に参加していたのであった。

「そろそろ君も、大人のビジネスマンとして脱皮したらどうだ」

 大声で叱責する部長は、脱却という言葉の代わりに”脱皮”と言った。そしてこの

言葉がマサオの体内に眠る何者かを発動させてしまったのだ。

 マサオは、身体の異変に驚いて、すぐに病院へ向かった。事務所のあるビルを

出て、大通りを歩き、街の中央を流れる大きな川に差し掛かったとき、一気に異変

がマサオに押し寄せた。マサオは人目を忍ぶために橋桁の下に駆け込み、身に

付けている衣服を破いた。衣服の下から現れたマサオの身体は黒紫の光りを放

ち、天空にどす黒い雲を集めた。俄かに周囲は薄暗くなり、激しく降り始めた雨粒

に、人々は軒下を求めて右往左往した。

「うぉおー」

 橋の下で、人知れず唸り声をあげるモノがいる。それはもはや人とは言えない

者か。マサオの意識は残されていたが、それ以上に、世の中の悪意を憎む想

に満ち満ちている。

「ぐぉおおおお! 頭の悪い部長め。馬鹿な人間どもめ。今に大変なことが起きる

と思い知らせてやるわ」

 黒紫の獣は、もともとはマドカマサオだった。正義の人間であってほしいと願って

父親が名づけた円正王という名前は、皮肉にも、エンマオウ、閻魔王とも読めてし

まう。そして今、彼はその名の通り、地獄の神、閻魔王と姿を変えて、背中から伸

び開いた黒い翼で何処かへ飛び去っていった。

                                  了

続く:第四百九十二話 降り注ぐ贖罪の雨   前回:第四百九十話 予知する男

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