SSブログ

第四百七十六話 Sweet&LittleTales6-いつまでも溶けない雪 [文学譚]

 中国地方で雪が見たいと思ったら、北の山の中に行けばいい。広島なら恐羅

漢という立派なスキー場があるし、岡山なら蒜山スキー場がある。西日本でス

キーが出来るなんて、スキーをしない人にはあまり知られていないのではない

だろうか。スキーをしない人でも雪は見たいと思う。岡山に住んでいるのなら、

その行き先は、おそらく津山温泉あたりではないだろうか。

 私たち家族がまだ岡山に住んでいた頃、父の会社の部下も伴って、この津山

温泉に出かけた。小学生にもなっていなかった私は、温泉に入ること等目的で

はなく、ただただ初めて見る白い雪に驚いていたのだと思う。人は、楽しい思

い出というものをよく覚えているかというと、案外記憶に残っていないものだ。

初めて目にした雪を見た私が、どのように驚いたのか。はしゃいで走り回った

とか、三つ違いの兄と雪合戦をしたとか、父が雪だるまを作ったとか、そうい

う記憶が何故だか一切欠落しているのだ。だが、この家族での小旅行が、子供

にとって楽しくなかったはずがない。雪というものは、それほど人を興奮させ

るものなのだから。しかし、この津山温泉旅行で、たった一つだけ鮮明に脳裏

に焼き付いている記憶がある。その話を今から書こうと思う。

 冬でも比較的暖かい岡山から一山越えるといきなり寒くなる。一行は、岡山

市内ではほとんど必要のない大げさな外套を着込んで、岡山駅から津山線の急

行列車に乗り込んだ。津山まではおよそ一時間。たった一時間の間に風景はあ

っという間に雪景色に変わる。雪が積もった駅舎を出ると、旅館の送迎バスが

私たちを待っていた。駅前から坂道を走り、さらに山に向かう、その当時はま

だ舗装もされていない道を十分ほど走ると、鄙びた感じの旅館に辿り着いた。

 旅館の前にも雪がどっさりと残っていて、子供たちは初めて見る雪を触って

は母親に見せてはしゃいだ。もっと遊びたいとごねる子供の手を母親が引っ張

って、一行は中居さんの後ろをついて旅館の廊下を歩く。通された部屋は小さ

な和室の二部屋続きで、ここに一家四人と父の部下の良介の、五人分の布団が

敷けるのだろうかと父が心配した。

 冬を過ごす旅館らしく、一方の部屋には炬燵が据えられている。雪の道中で、

すっかり身体が冷えてしまった私は、母に言われるまでもなく、すぐに炬燵の

中に潜り込んだ。

「うわぁ、あったかい」

「うん、あったかいね、生き返る」

 そう言ってほっこりするのも束の間。さぁ、風呂に行こう、と父が言い出し

て、みんな揃って浴衣とどてらに着替えて、旅館の離れにある大浴場に向かっ

た。

 兄は父と良介さんと一緒に男風呂へ、私は母と一緒に女風呂へ。子供にとっ

て、プールみたいに大きなお風呂はさぞかし楽しかったに違いないが、ここの

ところは全く記憶には残っていない。

 風呂から部屋に帰ると、もうすっかり夕食の準備が整っていた。温泉旅館の

食事は、大人にとっては豪華なものだったに違いないが、ハンバーグもコロッ

ケもない食膳は、私たちには少しも嬉しいものではなかっただろうと思う。い

や、もしかして旅館が気を効かせてお子様向けのメニューを出してくれていた

のだろうか。

 普段から酒好きの父は、上機嫌で盃を傾けたことだろう。もしかしたら、部

下の良介を連れてきたのは、ゆったりとした酒宴を楽しむ相手にするためだっ

たのかも知れない。子供たちはさっさと食べ終わって、家と同じようにテレビ

の前に張り付いている。いつもは酒など飲まない母もこの時は、いつまでも終

わることのない父と良介の宴会にしばらく付き合っていた。

 仕事帰りに飲む酒と違って、こういう温泉旅館でくつろいで飲む酒は、量を

こなすことなく程よく酔うことが出来る。内線電話でお酒の追加を頼んだのは

一度きりで、父はいい調子に酔って、中居が敷いていった布団に潜り込んだ。

同じように、良介も「申し訳ありません、これでお開きに」と母に一言詫びて

から父の向こう側の布団に潜り込んだ。

 翌朝、焼き魚と煮付け、味噌汁という、子供にとってはあまり嬉しくはない

朝食を済ませてしまうと、しばらくは何もすることがない。家から持ってきた

玩具を所在無げに炬燵の中でいじくり回している私たちの横で、父がニヤニヤ

しながら何かを始めていた。

 どこから持ってきたのか、父は割り箸を半分に折って十字に重ねる。そこに

糸でくるくると巻きつけて縛り、縦横同じ長さの十字架を二つ作った。さらに

その割り箸が交差する部分に長い糸を結びつけて、二つの十字架を、釣りをす

るように吊り下げて見せた。

「これ、なんやと思う?」

さぁ、分からんと答える子供に、「見ててみ」と言って、父は炬燵の背中側の

窓を開けた。窓外の雪景色は寒そうだが、ポカポカ陽気で窓を開けても意外と

暖かい。父は十字架を一つ持って、窓から下に垂らした。しばらく窓の下を覗

き込みながらちょんちょんと糸を上下させていたかと思うと、ゆっくりと持ち

上げた。すると、どういうわけだか十字に組んだ割り箸に窓したの雪がくっつ

いているではないか。

「どうや、手づまみたいやろ」

 父は、手品のことを手づまと言った。私と兄は、うわぁと叫んで父に駆け寄

った。我先にと父が持っている糸をほしがる兄弟に、「慌てんでも二つ作った

から」と言って、雪が付いたのを私に、まだ新しいのを兄に渡して、窓下に垂

らすように促した。

 ちょんちょん、ちょんちょん。

 私と兄は、同じ窓に身を乗り出して、地面の雪に十字架が届くように糸を垂

らし、大きくなっていくなっていく雪の重みを楽しんだ。私が雪で膨らんだ先

っぽを持ち上げて兄に見せると、兄も負けじとばかりに大きな雪の塊を持ち上

げてみせる。

 ちょんちょん、ちょんちょん。

 雪の上で上下させる度に大きく膨らんでいく雪玉で、とうとう割り箸は見え

なくなってしまった。子犬の頭ほどある雪の塊から伸びる糸。その糸の先を持

つ二人の子供が窓から身を乗り出している。外から見たら、さぞかし不思議な

光景だったに違いない。

 雪釣りの道具を作ってくれた父は、その後、また別の割り箸と輪ゴムを器用

に組み合わせて、輪ゴム鉄砲を作った。これもまた子供たちには大好評で、今

度は雪のことも忘れてひとしきり輪ゴム鉄砲で遊んだ。

 どこで、誰に、あんな手作り玩具を教わったのだろう。父はそんなに器用な

人だったろうか。父が何かを手作りしてくれたのは、あの時と、五月の節句に

新聞紙で作ってくれた特大の兜限りだ。

 仕事熱心で、家にいたという記憶が薄い父。遊びに行くのも、買い物に行く

のも、母との思い出はたくさんあるのに、そこには父の姿はほとんどない。そ

の父が見せてくれた雪釣りの手づまは、私にとっては父にまつわる貴重な思い

出となった。

                               了

続きを読む


読んだよ!オモロー(^o^)(2)  感想(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。