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第四百八十三話 小さな妄想。 [文学譚]

 私は穴を掘っている。気が付けば、狭い穴の中で掘っている。

 ここはどこ?

 私はどうなっているの?

 昨夜は結構飲んだ。仕事仲間と別れたあと、いつもの飲み屋で焼酎を飲んだ。

常連客となら仕事の愚痴もいらない。家のごたごたを考える必要もない。ただ

ただ飲んで酔って笑って食って、飲んだくれてしまえばそれでいい。だが、焼

酎だけにしておけばよかった。調子に乗って日本酒にも手を出してしまった。

「日本酒!」

 店の大将が、「大丈夫ですかい?」という顔をしながら、グラスになみなみと

冷酒を注ぐ。私は大丈夫さ加減を示そうと、よせばいいのにグビッと一気に流し

込む。三口くらいで飲み干して、また一杯。これがいけなかった。三杯目を注文

したのかしなかったのか、全く記憶にない。気が付けば、ここにいた。

 自由が効かない。二日酔いか?いや、確かに頭は重いしぼんやりしているが、

それだけではなさそうだ。第一、このくらいジメジメした空間はなんなのだ? 

布団の中とは思えない。これは、土だ。私は土の中にいる。 自分の身体に尋ねて

みる。いったいどうなっている? 縛られているのか?  私は夕べ何かしでかし

たのか? どこか情婦のところにでもしけこんだというのか? 身体が答える。

いいや、そうではない。これは普通ではない、異常事態だ。

 私は身体の一つ一つを調べようとする。だが、どうやらそれは無理な相談のよう

だ。なぜなら、私には目がない。見ようとしても真っ暗で何も見え ない。見えない

というよりも、やはりどうにも目が無くなったとしか思えない。

 仕方なく、腕を動かそうとするが、動かない。動かないというよりも、動かすもの

がない。腕がないのだ。脚は? 脚はどうなってる? 細長いトンネルの 中に身を横

たえたまま、キックしようとするが、腕と同じように動かない。動かないというより

も、脚そのものが存在しない。

 これは、縛られてるのではない。かと言って、手足をもぎ取られたのでもなさそうだ。

痛みもなければ、疲弊感もない。元々腕も脚もなかったかのよ うに。

 冗談じゃない。これは夢か? 夢じゃなければ、まるでカフカの小説ではないか。腕

も、脚も、頭もない身体。虫なのか?私はトンネルを進んでみた。

 ぐにょり、ぐにょり。

 前進するためには、芋虫か何かのように、身体の表面を波打たせ皮を蠕動させなければ

ならない。身体を蠕動させながら動いていく。どうやら、身体全体に刻み込まれたいくつ

もの節を前後に動かして前進しているらしい。しかも、行き場のないトンネルの先に道を

作るために、私は土を身体の中に取り込んでいる。

 ミミズだ。私はミミズになっている。咄嗟にそう気がついた。何故。どうして。 私は何

か罰を受けるような事をしたのか? 神様が私をこんな風に変えたのか? 空出張で会社の

経費を少しくすねたからか? 妻に内緒で若い女と遊んだからか? そしてそれを嗅ぎつけ

た妻を殴ってしまったからか?  私が神に懺悔しなければならないようなことは山のように

ある。だが、どれもこれも小さなことで、ミミズにされなければならないようなことは何一

つしていない。

 なんでだ。どうしてこんな目に会うのだ。私は胸が苦しくなって身悶えした。すると身体が

蠕動して、伸びて、縮んで、また伸びて、少しづつ前に進んだ。目を凝らそうとしても目がな

いから何も見えない。音が聞こえないのは、ミミズには耳がないからだろう。私は大声で叫ん

だ。いや、叫ぼうとした。だが、私には声帯 どころか、口そのものがない。 私に出来ること

は、土を食いながら前に出ることだけだ。だから私は土を食った。死に物狂いで土を食った。

そしてトンネルを掘って、また進んだ。夕べの酔いからはとっくに覚めている。二日酔いも消

えている。土を掘って、食って、進んで、 また土を掘る。

 私はまるでミミズだ。ミミズそのものだ。所詮、人間だってそんなもんじゃないのか。食っ

て、働いて、働いて、金を儲 けて、その金で酒を飲んで、憂さを晴らして、食って飲んで、寝て、

また働いて。 それでどうなる。やがて朽ち果てるだけじゃないか。それなら、ミミズだって同じ

じゃないのか。彼女? 結婚? 家族? 子供? そんなものなくったって、ミミズなら 自分一

人で生きていける。ミミズに仲間などいらない。一人の方が気楽でいい。

「あなたはいつもそうなのよ!」

 怒り出した妻の形相が一瞬脳裏に浮かんですぐに消えた。妻など最初からいなかったのだ。全て

は妄想だ。全ては夢だ。

 土を掘り進みながら、小さな小さな脳を持った生き物の身体の中で、前世では人間だったかも知れ

ないなぁという、粟粒のような妄想がはじけて消えた。

                              了

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