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第四百六十三話 黄昏時の恋。 [恋愛譚]

 「秋ちゃん、ちょっと待って。」

 秋生の足は早い。秋生と並んで歩いていた春代は、そのうち息が切れて遅れ

がちになってしまった。もともと体力に自身がない春代は、最近、頓に息が続か

ない。こんなことでは、来月、皆で出かけるハイキングへの参加もおぼつかない。

 歩くことが大好きな二人のデートは、もっぱら近所のお散歩だ。たまには喫茶

店に入ったりもするが、安上がりだし健康的でなかなかいい。何より、二人は同

じ住所に住んでいるから、わざわざ何処かで待ち合わせしなくても、どちらかが

部屋の扉をノックしさえすれば、いつだって散歩に出かけられるのだ。

 住まいからの行き道は何通りもあって、今日は川沿いの公園に向かっていた。

この地域で最も大きなこの川は、街全体に飲料水を供給する役割を持った川な

のだが、昔はすごく汚れていた。こんな川の水を飲んでいるのか、とがっかりさ

せられるくらいに汚かったのだが、市が率先して環境の浄化を始めてからは次

第に美しさを取り戻してきた。今では河川敷も整備されて、市民の公園として憩

いの空間を提供している。西海岸のゴールデンゲイトブリッジとまではいかない

けれども、恋人たちの恰好のデートスポットにさえなっているのだ。

 私たちも、週に一度はこの場所でデートする。公園のそこここに設けられた花

壇には季節毎に美しい花が咲き乱れるのも好ましいが、ぼんやり二人でベンチ

に腰掛けて、入道雲を身近に感じる夏もいいし、厚手のコートを着ていても凍え

そうになる真冬に、二人でマフラーを分け合うなんて、若いカップルの真似をし

てみるのも楽しみだった。

「春ちゃん、大丈夫?ごめんごめん、僕がちょっと調子にのって早く歩き過ぎた

ね。なんだか今日は調子がいいので、ついつい頑張ってしまったみたいだ。」

「ふぅー、ま、許す。元気だってのはいいことだから。」

「よかった。」

「でも、おかげで早く付いたわね、今日は。さぁ、どこかに腰掛けて休みましょ。」

特にお弁当とかお菓子を持ってきているわけではないが、春代はいつペットボ

トルの水は持ち歩いている。販売機で買うジュースなどよりも、水がいちばん。

常に体に水を供給してやるっていうのは、何よりも重要なのだ。美容にとっても、

健康にとっても。それに、薬を飲んだりするのにも水が必要だし。

 ペットボトルの蓋を回して一口飲んでから、春代は秋生にボトルを差し出す。

「飲まない?」

「あ、ありがとう、いただくよ。」

冷えていない、生ぬるいくらいの水だけど、少し歩いて汗ばんだくらいの体に

はそれさえもひんやりして心地いい。若い頃はキーンと冷えた水分を欲しがっ

けれど、冷たすぎる飲み物は体を冷やすから、本当はよくない。常温くらい

の水が体には丁度いいのだと、どこかの医者が言ってたっけ。

 この河川敷の公園は、二人のようベンチでくつろぐこともできるが、全体に芝

生が養生されていて、地面に直接寝っ転がったり、レジャーシートを敷いてお

弁当を広げるカップルも多い。そんな若い人たちの様子を眺めながら、春代

たちも、若者の一員になったような気分を楽しむのだ。

「なぁ、僕たち、百歳になるまで一緒にいようなぁ。」

「あらぁ、急になあに、ロマンチストだったっけ?」

「ほら、そんな歌があったじゃない?百歳になるまで~かなんか言う歌。」

「そう?そんなのあったっけ?二人合わせて二百歳とか?」

「ばぁか。僕の方が十も年上なんだから、それだと君が九十五歳で僕が百五歳

ってことになるだろ?そんなの不公平だし、そんなに生きられないよ、僕。」

「あ!ああーダメー先に死んじゃ。死ぬときは一緒!一緒がいいわ。」

「ダメだなぁ。百歳になるまで一緒にいようって話をしてるのに、なんで一緒に

死ぬ話になるんだい?縁起でもない。」

「ごめんごめん。つい、そんな話になっちゃっただけよぅ。」

「ま、仕方ないな、僕たちはもう年なんだからね、ハッハッハ・・・ゴホッゴホッ!

ゴホッ!ゲボゲボ!」

「だ、大丈夫!どうしたの?」

「グオホッツぐぉグオッホ!」

「しっかり!背中さするね!」

 春代はゆっくり秋生の広い背中をさする。肩を揺らして咳き込んでいた秋生

も徐々に落ち着いて、平常の呼吸に戻ってきた。

「はぁはぁ、少し歩いた後だったのに、大きく笑っちゃったから、なんか喉が

かしくなったみたい。やっぱり、季節の変わり目は喘息がでるなぁ。」

「そうね、気をつけなくっちゃ。喘息で息ができなくなっちゃうこともあるん

でしょう?」

「うん、喘息は侮れない。息が詰まって、若い人でも死んでいった人を、

僕は何人も知っている。」

 ああ、嫌だ嫌だ。病気なんていやだ。病気も嫌だが、加齢も嫌だ。だけど嫌

だと言ってもやってくるのが老いだものね。それからしばらく自然の風を楽し

んだ私たちは、またゆっくり歩いて住まいに取って返し、二人して秋生の部

に戻って休憩した後、静かにエッチした。エッチと言っても、私たちのは、

静かで可愛いものだ。若い頃のようなことはない。少しキスをしてから、お

互いに服を脱がせ合い、陰部を密着させて抱き合うのがメイン。秋生があ

まり元気じゃないとき等は、挿入しないことさえある。それでも愛し合ってる

二人にとっては、裸の皮膚を合わせ合うことが何よりも大切なことなのだ。

夕食の時間が来るまで二人でベッドで過ごし、薄暗くなるまで仮眠する。

そして頃合いを見計らって夕食をしに食堂へ向かうのだ。

 それから一週間ほど過ぎたある日、太陽がだいぶん高くなった時刻に、いつ

ものようにお散歩に出かけようとって私は秋生の部屋のドアをノックした。だ

が、返事がない。胸騒ぎがした。管理人さんに部屋の鍵を開けてもらう。秋生

はベッドの中にいた。だが、もう、呼吸はしていなかった。口の周りが涎で汚れ

ていた。発作だ。明け方、喘息の発作に襲われたのだ。遺体はまだ少し温か

かった。秋生、享年八十九歳。春代は八十四歳。老人ホームに暮らす恋人た

ちの晩春の出来事。

                               了


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