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第五百十一話 月 [文学譚]

「それは美しいものじゃった……」老人は、パオに住む若者たちに語りはじめ

た。ある者は目を輝かせて、またある者はどうせ年寄りの思い出話だろうと斜

に構えて、それでも老人の言葉に耳を傾けた。「十五夜と言うて、お月様のよ

うな団子を用意してな、まん丸いお月様が天に上るのを眺めるのじゃ。昔の家

の縁側に座ってお茶などすすりながらな」老人はプラネタリウムにも似たドー

ム型の天井を見上げて言った。若者たちも真似をして天井を見上げたが、むろ

んそこには染みだらけになったパオの布天井が見えるだけだった。

 老人は、目覚めてからまだ三年しか経過していない。老人が目覚めたときに

は、世界は大きく変貌してしまっていた。荒野は荒れ果て、文明は過去を遡る

ような事態に陥っている。何故、こんなことになってしまったのだ。老人は何

度も反芻するかのように思考を巡らせる。老人が冷凍睡眠装置に横たわった時

代にも闘争はあった。だが、必ず世界はいい方向に進むと信じて目を閉じたは

ずだ。ところが、老人が眠りについている間に、一部の人類がとんでもない暴

走をはじめてしまったのだ。核ミサイル実験。K国から発射されたそれは、意

外なほどの推進力を発揮し、軌道は大きくそれて空高く飛び上がり、大気圏を

も突破した。もはやコントロール不能になった巨大な核ミサイルが真空地帯を

突き進み、ついに地球の回りを公転していた月に到達し、燃え上がった。

 月の爆発は、それは美しいものであったという。だが、一瞬の花火のような

天体ショーの後、夜空は暗闇になった。人類は自らの手によって、美しい星を

ひとつ失ってしまったのだ。月の核爆発は、地上にも大きな悪影響を与えた。

放射線の雨が降り注ぎ、野は枯れ、海は荒れ、生き物の多くが死滅した。かろ

うじて生き残った人類は、いまこうしてパオの中でひっそりと暮らし、月が消

え去った暗い星空を眺めることになったのだ。

 一度失ったものは、二度と手にすることが出来ない。そう思い知った人類は

しかし、もはやなす術もなく、滅びのときを待つばかりなのだ。

                      了

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