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第五百三話 祈り [怪奇譚]

 私たち日本人は無宗教な国民だ。もちろん、神も仏も祀られているし、冠婚

葬祭のほとんどは神前で執り行われてはいるのだが。「神様を信じています

か?」そう問われて、すぐに「はい」と答える人は少ないのではないだろうか。

 ところがアメリカあたりでは、多くの人が神を信じている。その多くがクリスチ

ャンでありその中でもカソリックだ。彼らは、食事の前に必ず祈りを捧げる。実

は、この祈りを捧げる習慣こそが、神を信じる気持ちを育んでいるのだと、私は

思う。 日本ではこのような習慣を守っている人は皆無に近いのではないだろう

か?

「今日一日私たち家族が平和に健やかに過ごせたことを感謝します」

山田一郎は、彼の家族と共に囲む食卓で祈りを捧げる。

「父よ、あなたの慈しみを受けて、今日のこの食事をいただける幸せ

に感謝します。ここに用意された食べ物を祝福し、わたしたちの心身

を支える糧としてください」

 日本では食事のときにこのような祈りを捧げる家族を見ることは稀

である。先週、山だけの隣に引っ越してくるや、すぐさま顔見知りにな

り、翌週には山田家の夕食に招待された。そもそも人付き合いは好き

な私は、遠慮なく申し出を受け、ケーキを手土産に山田家を訪れた。

しかし、出会って一週間ほどで食事の招待を受ける等、私の経験では

はじめてだ。食卓にはほっこりと湯気を立てている旨そうなシチューと、

分厚いステーキの皿が並べられている。そして山田の祈りはまだ続い

ている。

「父よ、こうしてまた今日だけでなく明日の糧まで用意いただいたことに

も深く感謝し、私はこれからもあなた様を信じて、あなた様の未来永劫

の繁栄に尽くすことを誓います。今宵の晩餐の終わりと共に、あなた様

にも血と命の生贄を捧げ、その残り物は明日の我が身に取り入れさせ

ていただけることに感謝します。オーメン」

 なんだか気味の悪い祈りだ。キリスト教に生贄などという儀式がある

のか? それに、アーメンではなく、オーメン? 何かおかしい。おかし

いとは思いつつも、それから始まった晩餐の旨さに忘れてしまっていた

が……ワインの酔いが回ってきたのか、私は不甲斐なくも……山田家

の食卓でフォークを握ったまま、子供のように眠りに……就いてし……

                   了


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