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第五百十話 兄貴 [可笑譚]

「兄貴ぃ、だ、大丈夫なんですか、ここ」

 いい年をして怖がりの晋平は、ほんとうに情けない腰抜けだ。これしきのこ

とで腰が引けて、しかも声を震わして俺の身体を掴んでくる。

「ええい! 触るな、気色わりぃ。それに俺のことを兄貴というな」

「ええーだって、兄貴だけが頼りなんだからさぁ。そんなつれないこと、言わ

ないでくださいよぅ」

「だから、兄貴と言うな。俺はおめぇの兄でもなんでもないわ!」

 ついつい声を荒げてしまうのは、ほんとうは俺だって恐いからだ。わいわい

言いながら俺と晋平がいるのは、古いビルの中だ。ほとんど廃墟となりつつ

あるほど古いビルは、昼間でさえ薄暗く、日が暮れてしまうと、それこそ幽霊

屋敷のような不気味さが漂う。俺たちは、このビルに入居している親父から

金を返してもらうために来たのだ。昼間は留守だった。ドアのところに、用事

がある方は十時以降に、と書いてあったので、十時きっかりにやって来た。

 俺たちの会社は金貸し業、いわゆる街金だ。ここの親父に五百万の金を

貸したのだが、期日までに返済されないので、こうして何度も督促に来てい

るわけだ。親父は、家も売り払い、事務所にしていたこのビルに住み着いて

いる。家を売った金は、俺たちへの返済に当てられる前に、右から左へと消

えてしまったらしい。

「兄貴ぃ、親父、ほんとうに戻ってるんっすかねぇ?」

「知るか! そんなこと。それより、兄貴と言うなって言っているのに!」

「あ、兄貴。親父の事務所、灯りがついてますぜ」

「おお、ほんとうだ。帰ってるんだな」

 俺たちは親父の事務所、首藤ボクシング倶楽部のドアに手をかけた。ドアに

は鍵はかかっておらず、ギギィと音を立ててドアが開いた。事務所はシーンと

静まり返っていて、空気も冷たい。リングのある広間の灯りは消えたままで、

奥の事務所にしているパテーションの中から明かりがもれているのだった。

「おぅい! おやっさん、いるのかい?」

 声をかけたが、返事はない。奥に向かってゆっくrと歩いていく。リング横の

通路は薄暗く、足元にはゴミのようなダンボールやボクシング用具が積まれ

ているので、下手をすると躓きさおうだ。晋平がますます俺にしがみついてく

る。

「おいおい、そんなにくっつくな、鬱陶しい!」

 俺がそう言ったとき、晋平が大きな声を上げると同時に俺のシャツを掴んで

いる手に力が入った。

「なんだ?」

 通路を曲がったところに、天井から何かがぶら下がっていた。

「きゃぁ! な、なあに? いやぁ!」

 大声を上げてしまったのは晋平ではない、俺だ。俺だって、怖いものは恐い。

晋平には言えないが、俺は少しパンツの中に尿を漏らしてしまった。

「な、なんだ。兄貴、これ、サンドバッグですわ」

 晋平は、気が抜けたように言った。

「てっきり、親父が首でもくくったのかと思ったぜ」

 俺たちはサンドバッグの向こうにあるパテーションの扉を開けた。中は親父

が使っている社長室兼居室となっている。汗臭い空気がむーんと伝わってく

。俺は、こういう男臭さは苦手だ。たとえ男であろうとも、清潔性肝心だと思

っているからだ。汗臭い男とは、金輪際付き合いたくない。

「おい! 親父! いるか?」

 親父はソファの上で青白い顔で目をつぶって横になっていた」

「あ、兄貴ぃ。こいつ、死んでるんじゃ……」

「し、死んでる? う、うっそ〜。やめて! いやよ、そんなの! 俺、死体

なんか見たくないわ」

 俺は思わず目を背けた。

「親父! おいっ、親父!」

「う、うーん」

「な、なんだ。兄貴、こいつ、寝てただけですぜ」

「おや、お二人さん。来てたのかい?」

「来てたのかいじゃねえょ。今日は、金、あるんだろうな」

晋平の言葉に、親父がにんまりして言った。

「まぁ、そう急ぎなさんな。さ、そこにかけて。いま、茶でもいれましょうな」

 俺たちは、親父の様子がいつもと違って余裕なのを訝りながら、ソファに

腰を下ろした。

「まぁ、兄さん、あ、いや、櫻井さんは今日もお美しい。晋平さんが羨ましい

ですな、こんな美人が兄貴分だなんて」

「おいおい、おやっさんまで、やめてくれよ。俺はこいつの兄貴じゃない」

「そうですな、どうして姉貴とかいわないんでしょうな」

「それは、俺も断る。それじゃぁまるきり兄弟みてえだからな。そんなこと

より」

「ほっほっほ。今日は大丈夫だ。ちょっと、臨時収入があってね。ほれ、五百

万。きっちりあらぁな。あとの利息は、まぁ、もう少し時間をくれないかね」

「おお、どうしたんだ、急に。何か悪さでもしたんじゃねえのか?」

「とんでもない。それは綺麗な金だ」

「親父、偉いぞ。俺もこれで、社長に申し訳が立つ」

「櫻井嬢ちゃんも、大変ですな。エライ父親の娘に生まれちまって。こんな男

っぽい仕事の上に立っちまって。それじゃ、嫁にも行きにくかろう」

「うるせい! 俺は、こういうのが好きなんだよ。いまさら、なよなよしてアタシ

アタシだなんて、言ってられないのよ!」

 晋平は思った。そうだよ。兄貴は兄貴さ。俺は兄貴が男であろうが女であろ

うが、どこまでもついていく。こんな素敵な兄貴分なんtげ、そうは見つからな

いからな。ま、ときどきオカマ言葉になるのは、愛嬌だけどさ。

                               了


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