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第四百九十六話 呪い水~実験奇譚・なんか妖怪ー13 [文学譚]

 ネットで購入した赤い水の瓶を、誤って落として割ってしまったというユー

ザーから、「水が動く」とクレームが入ったのは昨日のことだった。eコマース

の責任者から報告を受けた根津は、何を寝ぼけたことを言ってるんだ、あれ

はただの水だ。赤い色に惑わされているだけだ。根津は、そう言って部下を

叱りつけたのだが、その部下からトレイの上をのたくっている赤い水を見せ

られて青白い顔をいっそう青くして部下に言った。

「あ、なんだそれは! 誰がそんなものをネットで売れと言ったんだ! だか

ら俺は、そんな気持ち悪いものは止せと言ったんだ」

 典型的な嫌われ上司だ。赤い水の販売を言いだしたのは根津自身だった

のだから。 とにかく、販売を中止しなければ。そう部下にいうと、とっくに在庫

はなくなっています。すべて売り切れました、と答えた。こうなったら、売り逃げ

で今後何も起こらないことを祈るか、大赤字覚悟で回収して回るかのどちらか

だ。当然、根津は前者の売り逃げで後は素知らぬ顔を決める方を選択した。

しかし、この赤い水は、なんで動くんだ? 瓶に詰めていたときにはまったく

気がつかなかったが。これは生き物なのか?

 赤い雨は、かつてインドのケーララ地方に降り注いだ事がある。二千一年

七月のことだ。赤い雨は二ヶ月に渡って断続的に降り続け、ときには衣服を

ピンクに染めるほどの色だったという。その雨水を分析すると、生物に似た

複雑な構造をもった細胞が含まれていた。当時は宇宙から微生物が飛んで

来たと騒がれたのだが、結局、その成分の中に含まれていたのは地元に生

える気生微細藻類であるということで決着している。原因として、ケーララ地

方に降った大量の雨が、杉の木などにつく気生微細藻を繁殖させ、大量の

胞子が空気中に放出されたためではないかと考えられたが、それが正しか

たのかどうかは、今持って特定されていない。しかし、少なくとも、その雨水

が動いたとか、人体に影響を引き起こしたという報告は一度もない。

 根津は、赤い雨について調べさせた部下から、このような報告を受けて、

胸をなでおろした。

「ふふん、これなら大丈夫だ。きっと何も起こらない。俺は強運の持ち主だ。

必ず逃げ切れる、大損はしない」

 ひとり自分に安堵を言い聞かせているところに、鬼木太郎が飛び込んできた。

「おい、ねづみ男! その後、赤い水はどうなった? まだ売ってるのか? もう

販売は中止しろ!」

「おいおい、なんだよ鬼太郎。それに俺のことをねづみ男というな。」

「お前こそ、鬼太郎と呼ぶな、俺は鬼木太郎だ」

「で、なんなのだ? 販売中止とは?」

 根津は内心ドキドキしながら、平静を装って事務所の椅子にふんぞり返りな

がら鬼塚に尋ねた。

「あの水、購入者から、何かクレームはなかったのか?何か問題は起きていな

いのか?」

 根津は、どうしようかと迷った。あのことを鬼塚に伝えれば、いっそう大きな騒

ぎに成るに決まっている。ここはシラを切ったほうがよさそうだ。

「いいや。なあんにも変なこてゃ起こっちゃぁいないぜ。お前こそ、どうかし

たのか?」

「根津、よく聞けよ。最近、ニュースを見たか? あの、町で騒ぎになってい

る奇病の話を聞いてないのか?」

「奇病? なんだそれは」

「赤い雨が降ったのと同じ地域に住んでいる、または働いている人々が、み

んな病院に駆け込んでいるんだ。人によって症状は違うが。共通して言える

のは、みんな身体のどこかが急に異常に発達しているということと、どうやら

あの赤い雨に全身を濡らしてしまった人たちらしい。」

「ふーん? 赤い雨に? 全身を?」

「そうだ。あの日、天気がよかったから、傘を持っている人など一人もいなか

った。そこに急に厚い雨雲が集まってきて、あの赤い雨が降り注いだ。みん

な慌てて屋根のあるところに駆け込んだが、多くの人が、逃げそびれて、下

着までびしょ濡れになったような人が続出したらしい。」

「ほぉお? で、あまり濡れなかった人は?」

「どのくらい濡れたかというよりも、どの部分が濡れたか、そしてその人物が

どういう人間だったかが問題なんだと、俺はふんでいる」

「つまり?」

「どうやら、雨に濡れてもなんともなかった人も結構いるんだな。俺もその一

人なんだが。だが、顔しか濡れてないのに、耳や目や口が大変なことになっ

ている人がいれば、尻や性器までがとんでもないことになっている人もいる

んだ。俺は、悪霊図書館で読んだことがあるんだけれど、あの雨は、もしや

呪い水ではないかと思うんだ。」

「呪い水?」

「そうだ。呪い水とは、憤怒の気持ちや恨みを蓄積させた誰かが、その妖しい

感情を込めた呪詛を吐くことによって、目の前にある水に呪いの魂を吹き込む

ことがあるんだ。もちろん、普通の人間に出来るようなことではないけどね。よ

ほどの強い怨念をためこんでいる人間か、もしくはもともと妖力をもった人間だ

けが起こせる奇跡だな。」

「奇跡だって? それは神様の能力みたいなものか?」

「うん、それに近いと思うな。イエス・キリストが数々の奇跡を起こしたように、

負の奇跡を起こす神だっているかも知れない。たとえば悪魔だな。そんな奴

が呪詛を吹き込んだ水が雨となって降ってきたのだとすれば」

「すれば?」

「世界は大変なことになる」

「た、大変な……ことって?」

「人間の世界は終わってしまう……かも知れない」

「終わってしまう……」

「で、その、呪い水って……、どういうものなんだ?」

「呪い水は……血のように赤く……」

「血のように赤く?」

「化学成分としてはただの雨水と変わらないのだが、ときが経てば」

「ときが……経てば?」

「自由に動き回って、人間を襲う」

「お、お、お、襲う?!」

「そうだ、人間を襲うんだ」

「襲うって……人を食っちゃうのか?」

「いいや、そうじゃない。人間を悪魔に変えてしまうんだ」

「あ、悪魔に?!ひぇーぃー」

「根津、お前、なんか様子が変だぞ」

「そ、そそそ、そうか?」

「ほら、急に心臓の音が早くなってるだろ?」

「そ、そうかかかか?そそんなははずは」

「根津、お前、何か隠してるな!」

「な、な何を言う? 隠してなんか」

 そこへ、社員が飛び込んできた。

「しゃ、社長、大変です!また一人、水が動いたってクレームを……」

 鬼木は根津を睨みつけた。根津はそっぽを向いて鬼木の視線をかわす。根津

はそーっと部屋から出ようとする。鬼木はその首根っこを捕まえる。さあ、これが

いつもの二人のパターンなのだった。

                               了

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