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第八百八十七話 小説至難 [脳内譚]

 もうストーリーを考えるのはやめよう。今野文学は思った。小説を読んでも、映画を観ても、自分が面白いと思うのはそこに描かれているストーリーだと思っていたし、いくら素晴らしい文章や映像であっても、ストーリーがつまらなければそれは駄作であると信じていた。だけど今やそれは間違いで会ったことに気づいてしまった。今野はこのところ小説というものを書いてみたいと努力をつづけているのだけれど、数枚書いては躓いてしまう。書けなくなってしまう。小説は書き出しが大事だと言われているのだが、今野は頭の中に思いついたことをすぐ書きはじめることができた。しかし、ある程度書き進むと、そこから先には進めなくなるのだ。ストーリーが作れない。自分で面白いと思える物語が浮かばない。自分が読む小説や映画に対してだけ厳しいというわけにはいかないのだ。もしいま書いている最中の作品ができあがったとして、それを読んだ自分は面白いと思えるだろうか。いいや。こんな自問自答を繰り返すばかりで少しも先に進めないのだ。

 思いあぐねた今野は、なにか指南本でも読んで勉強しようと考えた。いくつかの「小説の書き方」を指南する本を読んでいくうちに、墓嵯峨渇児という自分と同世代である作家が描いた「牡蠣飽くね手入れ碑との小説」という妙なタイトルの入門書に出会った。この人が書いている指南は、他の入門書とはかなり趣が違っていて、そもそもこの墓嵯峨という人が書く小説自体が少々変わっているのだが、今野はすっかりこれに毒されてしまったのだ。というよりも、小説初心者である自分が常々感じていたことや薄々思っていたことにかなり近いことが並べられていたことにいたく感激してしまったのだ。

 小説とは何か、小説を書くということはどういうことなのかをいつも考え続けることが大事だと言う。なんだ、それは日々考え続けていることじゃないか。今野はすぐに飲み込んだ。小説というものは物語ることではないと書かれてあれば、その通りだと思い、テーマなど考えてはいけないとあれば、その通りだと信じた。人物を形容詞で表さない。余計な修飾をしない。風景描写を一生懸命に書く。テクニックなどいらない、等々。

 わかった。ぜんぶ正しかった。日々俺が思っていたことは、間違っていなかった! 今野はすっかり嬉しくなって読み終えるのも待ち遠しく、パソコンに向かって書きはじめるのだった。

 俺はあまりにも疲れ果てて歩くのをやめようかと思っていた道の途中で、とにかくいったん立ち止まってあたりを見回した。目の前にはかなり急高配のアスファルト道路がまっすぐに続いていて、先の方は車や建物に遮られてよくわからない。立ち止まったまま見上げると青空の中に銀色に塗装された信号機が長く伸びていて、こちら側に赤い光を見せている。その脇には幾筋もの黒い電線が垂れ下がりながら道と並行して走っている。よく見ると、向こう側にもその隣にも、つまり四つの角すべてに信号機があって、それぞれの役目を果たしている。銀色の柱の足元には太い白線が道の上に描かれていて、人や車の立ち位置を決定している。俺もちょうどその白い線の手前のところで立ち止まっているわけだが……(中略)……側溝の淵を歩いている蟻の行列は俺と同じ方向に向かっていて、やがて蟻は蟻は、蟻ありあ、、、、、、、

 わが意を得たりと信じた今野は、いつまでもいつまでも主人公が立っている道の風景を書き続けていたが、道の端に見つけた蟻の描写をはじめたところで眠気に襲われ、蟻の行列が道を渡りはじめる前に不覚にも深い眠りに落ちてしまったのだった。

                                        了


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