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第八百八十五話 平常物語 [文学譚]

 永らく拭き掃除すらしていないデスクの上は雑然としたままおさまりかえっている。真中にノート型のパソコンが据置型のように居座っていて、その周りには電源線や他のデバイスと連携させるためのコードがもつれ合う紐のように広がっている。右側には昨夜飲んだままのお茶が底に残っているペットボトルと口寂しい時に頬張るガムのボトルが、左側には二台の携帯電話が無造作に置いてある。さらにその周辺には、クリップを入れた小箱、ホッチキス、白紙のメモの束、キャンディの袋、読みかけの書籍、書き出すときりのないほとんどゴミと言ってもいいようなステーショナリー小物が散乱している。客観的に見た限りではとても知的な人物の書斎机とは思えない荒廃ぶりだ。 これでも学生時分にはまだ几帳面でそこかしこをきれいに整頓するような人間だった。大人になってから……いつ頃からなのかは覚えていないが、片づけてもすぐに散乱しはじめるモノをどうにかすることをやめてしまったらしい。実際、試しに片づけてみることがあるけれども、翌日にはほぼ元通りに汚く広がってしまうのだ。なんとかいう自然法則……そう、ブラウン運動とかいう自然節理があるが、あれが働いているのだと思う。ブラウン運動とは、液体の中に置かれた粒子が、熱によってどんどん拡散していく動きのことなのだけれども、私のデスクの上でも同じことが起きているのだろう。いや違う、エントロピー増大則かな? いずれにしてもそういう雑然として色気のないスペースで私は日夜過ごしているのだ。机上だけでもこんなことであるから、視界をデスクの周りに広げるとどういうことになっているかは想像にまかせたいのだが。 さて先ほどから身の回りの様子を表して私がなにをしたいのかと言うと、何も起こらない日常から物語は生まれるのかという実験だ。デスクの上のモノたちは、ただの物体ではあるが、私とのかかわりの中で何かしら物語を内在させている。しかしだからといってその物語が勝手に立ち上がったりはしないようだ。たとえば書類ケースの上に並べられている小さな木造りの人形。猿の姿であったり、猫の姿である五体の人形は、数年前にインドネシアの観光地であるバリ島を訪れたときの土産物で、人にあげそびれた残りだ。ほんの小銭で買ったものだけれども私自身はずいぶん気にいって友人たちに配って歩いたが、こんな土産物など、誰が喜んだのだろう。我が家に残されたこの五体はも何年も同じ場所に固定されているが、実は私が不在の時には動きだすようだ。その証拠に、ときどき座っている順番が入れ替わっていたりするのだから……などということでもあれば何かしらファンタジーな物語がはじまってくれるのだが、実際にはそのようなことがあるわけがない。

 デスクの隅で書籍の中に埋もれてしまっている干し首もそうだ。これは昔ペルーに行った友達からもらったもので、エクアドルのヒバロー族の勇者の首だと言って渡された。長年本物だと信じて疑わず、手を触れるのも畏れたのだけれども、ある日裏側にラベルを見つけて、どうやら模造品であることを知った。ばかばかしい。なにを怖がっていたのだろう。当初は夜な夜な夢の中に現地人風の戦士が出てきて追いかけられていた自分が馬鹿らしい。これだけの物語を内在させていて尚、何も立ち上がっては来ないのである。探せばほかにもありそうだ。引き出しの奥にしまいこまれた猿の手や、足元の段ボール箱に放り込まれたままの得体の知れない毛の塊。同じ箱には隕石だと思われる石が入った小箱や、ときどきその内部が青く光っているように思える八角形をした金属の物体など。どれもこれもただの物質にしか過ぎず、内在する何かは私の記憶と結びついてしか物語化しないのだ。


 ああ、今日も何も考えつかないなぁ。私は意味もなくため息をついて椅子の上に座りなおす。いったん伸ばした背筋はすぐに丸く縮こまって、肩からデスクにだらしなく垂れ下がった腕の先だけはパソコンキーボードに乗せられている。画面には白いままの画面が開かれている。もう何時間も何時間も白いままで薄笑いを浮かべている。                                                                      

                                         了


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