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第八百六十三話 666は獣の番号 [怪奇譚]

 聞いたことがあるだろうか。これは日本では一般的ではない話ではあるが、西洋すなわちカトリック教会に属する者には有名な話だ。新約聖書にあるヨハネの黙示録によると、666という数字が獣の数字であると書かれているのだ。だが、その意味については、神の子の代理とするラテン語説や、ローマの暴君ネロを指すとする説、凶兆を示すとするエホバの証人説など、はっきりはしていない。だがこの三つの数字を有名にしたのは近年のホラー映画オーメンで、この映画の主人公である少年にはこの3つの数字が刻印されていて、それこそが悪魔の子供である証なのだという話になっている。

 そう、666とはこの世で最も不吉な悪魔の数字なのだ。本来キリスト教国ではない日本において、この数字にまつわる不吉な暗示を信じるモノは少ないと思うけれども、もし自分の身体のどこかに666と読める痣を発見したとしたらどうだろう。それでもそれが単なる痣であると笑って済ますことができるのだろうか。私は笑うことができなかった。

 得てしてこういう証は目につくところにあるものではない。脇の下だとか足の裏だとか、人目につきにくいところに刻印されて生まれてくる。私の場合は頭皮だった。なぜ両親がこれを見つけなかったのか、あるいは知っていたけれどもただの痣だと思っていたのか、それは両親亡きいまではわからない。私は青年の頃パンクに傾倒してモヒカン刈にした時に額の後ろに何か黒い印があることに気がついた。普通は髪に隠れて見えないところなのだが、頭頂に逆立つモヒカンヘアーの付け根のあたりに6の数字が3つくっきりとあったのだ。鏡の前でもう一枚手鏡を操りながら何度も確認して、ようやくそれが3つの数字であることを私は確認した。

 頭の中に三つの6という数字がある。だからどうだというのだ。実はそれはわからない。様々な文献を探しても、だからどうなるとは書かれていないのだ。ただ、あの映画の通りであるとするなら、私は悪魔の子であり、いつか悪魔としての自分に目覚めるのではないか。あるいは、獣の数字というからには、ある年齢に達した約束の日に獣に変身するのではないか……たとえば狼人間のように……こうした妄想ばかりが沸いてくるのだ。

 約束の日とは? それすらわからないが、少なくとも6が三つ並ぶタイミングこそがその比ではないかと、毎年六月六日の六時になる瞬間を凍りついて過ごしてきた。そして今日がその日なのだ。

 六月六日午前六時。私は昨夜から眠ることも出来ずにこのタイミングを待ち続けた。一時、二時、三時……五時を回るともはや時間の経過が長いのだか短いのだか、寝不足で朦朧とした時間が過ぎていく。昨年までは何ごとも起きなかったのだが、今年はどうなんだ。

 時計の針が五時五十九分を過ぎ、三十秒前、二十秒前、五秒前……ついにその時刻になったその時。今年こそは全身から血の気が引く感覚に襲われた。遂に約束の日に遭遇してしまったのか。いまやモヒカンではなく、通常の髪型である私の頭部に緊張が集まる。私は獣に返信するのだろうか。よろめきながら洗面の鏡の前に移動した。震えながら鏡の前に立つ。そこには青白い私の顔が見えている。狼に変身しつつある私の顔は…………なにも変わっていない。だが、頭頂部の髪がさわさわと立ち上がり、あたかもモヒカンのように逆だって立ち上がっていた。恐ろしい三つの数字は、どうやらモヒカンを促す数字であったらしい。

                                             了


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