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第八百七十三話 神の子 [文学譚]

やはりあのことは誰にも話すべきではなかった。狭い居室の白壁を見つめながら私は自分の行為を少し悔いた。

 私は販社に勤める父が築いた家で三十になるこの歳までを大人しく過ごした。さほど裕福でもないのに、両親に無理を頼んで大学院まで学費を払ってもらい、院を出てからも研究室に残るでもなく、就職先も見つからないままに二年ほどを過ごすという、いわゆるニートという立場を続けていたのだが、母の知り合いに紹介されて印刷会社で働くようになったときにはすでに二十七歳ということになっていた。正直に言うと、大学院に残ったのも、就職先が見つからなかったのも、学びたいとか不況だからだとかの理由からではなく、単純に働きたくなかったからだ。正確に言えば働くなどということは私に与えられた使命ではないと信じていたのだ。だが、まっとうな人間として仕事を持ってほしいと涙を流して懇願する母親に逆らうことはこれ以上できなくなっていた。

 就職先でも問題が起きた。母の知人である工場長は可愛がってくれたのだが、私は一切彼の言うことを聞かなかった。つまり工場に勤めてもほとんど仕事らしい仕事などしなかったのだ。ついに工場長は困り果てて私を会議室に呼んで訊ねた。どうして仕事をしないのかね? 私はかねがねこの人には話してもいいのかもしれないと思っていたことを打ち明けることにした。

それは私が生まれ落ちた瞬間から腹の底に持ち続けてきた誰にも言えない秘密。私がなぜここにいるのか。私がなぜこの国に生まれたのか。なぜ私がこの世のすべての人間を見下すのか。この世に生きているからと言って私自身が人間と同じように働かなければならない理由がどこにあるのか。これらすべての答えは、本当は私が何者なのかという真実に含まれている。私は見識の広い工場長にだけは理解されたいと思い、父にも母にも話さなかったこの話を真剣に語った。工場長は最初は困惑して、次には驚愕して、最後には共鳴して私の話を聞き終えた後、私を家に帰した。翌日、母親は私を連れて丘の上にある病院を訪れ、私を残したまま帰ってしまった。あれからもう三カ月。私は家にも帰れずずっとこの白い壁を見つめている。この国に広がっている「神は死んだ」という神話は真実だったのだなと呪いながら。

                        了


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