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第八百七十話 愛犬の病気 [文学譚]

「パピーがね、入院しちゃったの」

 近所の動物病院で、秋庭さんが眉を真ん中に寄せながら言った。私は夏場に向けて愛犬の太郎をフィラリア予防のために連れてきていたのだが、秋庭さんは待合でぽつんと座って呼び出しの順番を待っていた。パピヨン種のパピーちゃんは今年十三年目だそうだが、先月から鼻水をよく出していて、最近ではそれが青洟にかわってきていたところ、一昨日になって急に元気がなくなってからだに熱を持っているのがわかったので急いで病院に連れてきたのだという。すると肺炎に罹っていることが判明して緊急入院ということになったのだという。

「今日は、経過を聞きに来たんだけど……」

 もう二、三日様子を見て、元気になったらCT検査をするという。

「なんで、CTを?」

「それがね、肺炎の原因は青洟が気管支から肺に流れ込んだことが原因だというの。だから青洟が出ないようにしなきゃならないのだけれど、その原因が腫瘍かもしれないって」

 秋庭さんは医師が書いた落書きみたいな絵を見せてくれた。犬の顔が描かれていて、額のあたりが黒く塗られていた。

「ここに鼻口腔腫瘍がある可能性が高いって」

 つまり鼻の奥にできた腫瘍のために膿が溜まって、それが青洟として流出している。また青洟が喉に入って肺炎を引き起こしている。もし、そうだとしたら腫瘍を取り除く手術が必要で、この手術は顔の真ん中を切開して鼻の骨を一旦取り除き、腫瘍を摘出してからまた蓋をするという大手術なのだった。

「いますでに十五万くらい費用がかさんでいて、手術となったらさらに五十万くらいいるって」

 還暦を過義で一人暮らしをしている彼女は、パートをして生活費を稼いでいる。蓄えはある程度あるとしても、この出費はかなり大きい。でも、家族のように大事な愛犬のこと、お金では計れないものもある。

「でもさ、まだそうと決まったわけじゃないでしょ? ただの副鼻腔炎かもしれないじゃない」

「うん。だけども先生は腫瘍の可能性が高いって」

 ここの医師は最悪の場合を想定したモノの言い方をする。私の経験上そういう気がする。そう言ってやると、秋庭さんも頷いてみせた。

「だけどやっぱり……心の準備も必要だし、最悪のケースを想像していたほうがね……」

 そうとも言える。だけどそんなの杞憂かもしれないわけだし。いや、きっと大丈夫。悪い結果は出ないよ。

「もし、太郎ちゃんにこんな腫瘍が見つかったら、どうする?」

 聞かれるまでもなく自分のことだったら、と考えていたのだが、返事に窮してしまった。私ならきっとそんな痛々しい手術はせずに、残りの命を大事にしてやると思う。そう言おうとしてから口を閉じた。でも私のこの考えに同意して手術をしなかった場合、また膿が流れて肺炎になって、そう遠くない未来にパピーがなくなってしまったとき。秋庭さんはすごく後悔するかもしれない。後悔して私を恨むかもしれない。

 手術をして回復したとしても、十三歳のパピヨンは、あとどのくらい生きるのだろう。二年? 三年? そう思うと痛い目をさせるだけ気の毒な気もする。五十万という出費位だって、どれほど生活費を圧迫することになるのかわからない。

 昨今、医学の進歩によって動物の寿命も伸びた。その分、動物病院も年々忙しくなっているように見える。年老いて病気になった犬や猫が頻繁に連れてこられるからだ。

「人間だってねぇ、延命治療はされたくない、寿命通りに死んでいきたいっていう人が増えてるよね」

 私が言うと、秋庭さんは微妙な表情で小さく笑った。

                                   了


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