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第八百六十話 屋根裏の卵 [文学譚]

 


 数日前からおかしな気配がしていた。古い戸建だからちょっとした風で窓が揺れたり、柱が軋んだりするのはわかっているが、そうした自然現象ではない何かが感じられた。さほど広くもない家の中でひとりで暮らしていると、とりわけ深夜の物音には敏感になる。

 かさこそかさこそ。

 鼠だろうか。いやだなぁ。家の中に鼠なんて。しかしここ何年も鼠など見かけたこともないのに。こうした深夜の物音ほど不気味なものはない。たとえ相手が小動物だと想像できても、自分以外の見知らぬ生き物が同じ屋根の下にいるのかもしれないと想像することは恐怖ですらある。

 かさこそかさこそ。

 耳を澄ませて気配の出処を探ってみると、どうやら頭の上であるらしい。

 おおい、誰? 何してるの?

 人間じゃないなら言っても通じないのはわかっているけれど、声を出さずにはいられない。しかし声を出すと気配が消えることを思うと、向こうも何かしらこちらを意識しているのだろう。もしや人間? そう考えることは一層不気味であるので、考えないようにした。「おおい」と声をかけて「なんだ?」とか返事が返ってきたら恐ろしすぎる。

 翌日、勇気を出してテーブルの上に椅子を重ねて屋根裏を覗いてみることにした。この家に住むようになって、屋根裏を覗くのははじめてだ。アンテナ工事を頼んだときに業者が屋根裏に配線を行ったので、どこから屋根裏を覗けるのかはわかっていた。気配を感じたあたりに最も近いところに狙いを定めて、懐中電灯を手に恐る恐る天上板をずらして屋根裏を覗き込む。

 屋根裏は思ったほど気持ち悪くはなかった。懐中電灯が照らし出すのは誇りが積もったただの空間。気味悪い蜘蛛の巣も、恐ろしげな人形も、悪魔の古文書もないようだった。戸建を構成する建材と断熱材とアンテナ線以外にはなにも怪しいモノはないように思えたが、ぐるりと見渡した懐中電灯の光の中に、ひとつだけ異物を発見した。つるりとした白いなにか。もう少しで手が届きそうなあたりにぽつりと存在しているそれは、丸く白いピンポン玉のように見えた。だれかがピンポン玉を置いたのだろうか。眼を凝らして白い玉を観察すると、ピンポン玉にしては少しこぶりな感じ。

 卵? そうだ、あれは卵だ。小動物の卵だ。鼠の卵? 一瞬そう思ったが、よく考えると哺乳類で卵を産むのはカモノハシだけだ。鼠が卵を産むはずがない。ではなんだ?   考えつくのは鳥しかいない。こんなところに鰐やコモドドラゴンなんて爬虫類が迷い込むわけがないからだ。鳩? それがいちばんありそうな話だが、この屋根裏に鳩が入り込むような出入り口は見当たらない。

 丸い卵を取り除くことを考えてみたが、ものの本で鳥類の卵は鳥獣保護法という法律で守られているという記事を読んだことがある。たとえ自分の家中であっても、生まれた卵を撤去すれば法律に違反することになるのだ。

 鳥という具体的な存在を確認できただけでもよかったと思い、しばらく様子をみることにした。それに、屋根裏にあった気配も、そのうち消えてしまったので、忘れてしまっていた。

 ひと月ほど過ぎたある日、急に卵のことを思い出し、その後孵化したのなら、掃除をしておかなければと思って再び屋根裏を覗き込んだ。天上板をずらして屋根裏に頭をつっこみ、懐中電灯で件の場所を照らすと、もう孵化して消えているはずの卵が、依然あった。しかも大きくなっていた。前に見たときにはピンポン玉よりも少し小さいと思っていたのだが、改めて見えたものは、野球のボールよりも少し小さいくらいに成長していた。

 卵って成長するものなんだたっけ? 不思議に思ったが、事実そうなっているのだから仕方がない。あるいは前のとは違う卵が置かれているのか? 可能性を考えてみたが、それは考えにくいと打ち消した。

 天上板を閉じてから、「成長する卵」をネットで検索してみた。生物は卵の中で成長していくという内容のものはあったが、卵そのものが大きく成長する話はどこを探しても見当たらない。うーむと頭をひねったが、それ以上調べるすべも、相談する相手も考えつかなかった。

 気にはなったが、二、三日するとまた卵のことは頭から消えていたが、ときどきは屋根裏の卵を確認するようになった。ひと月後、卵はさらに少し大きくなっているような気がしたが、計測したわけではないのでそれは定かではなかった。それに鳥の卵ならいくらなんでももう孵化しているはずだとも考えた。死産? いや、卵そのものが多少なりとも変化しているのだから生きているに違いない。

 半年後、思い出して屋根裏を見ると、卵は依然そこにあって、また少しだけ大きくなっているような気がした。それに、この不可解な卵の存在を、わたしは意識的に忘れようと思った。なぜなら、これはもはや自然界の話ではないような気がしたから。だからといって、なにか困ったことが起きているわけでもなく、できればこのままそっとしておこうと思ったのだ。

 その後、屋根裏を覗いたことがないまま三年ほどが過ぎたが、いまのところ何も悪いことは起きていない。屋根裏を見たい気もするが、もし、サッカーボール程に成長してたらと思うと、気が進まない。できれば自然消滅してくれていることを願うばかりだ。

                                      了


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