SSブログ

第六百九十四話 常套句 [文学譚]

 降りそぼる雨の中をとぼとぼと歩を進めていた私は、雨傘がぼろ雑巾をかぶ

せているのかと思えるほど穴だらけであることに気がついた。それまではさっ

ぱりそうとは思いもしなかったのに、身体を覆っている一張羅が濡れ鼠になっ

てしまっている。真冬でしこたま着込んでいるから、肌身にまで雨が染み込ん

でこなかったために、どうやら気づかなかったようだ。この寒空に、下着まで

濡れてしまうようなことになったのではたまったものではない。と、そのとき

首筋にぽたりと冷たい感触が降りてきたので、これはいけないと破れ傘を見上

げると、穴だらけの骨の間からどんどん雨が滴り落ちていて、それが襟元へと

伝ってきているのだ。なんてことだ。せっかく分厚い衣服でしのげていたと思

ったのに、これでは台無しじゃないか。外套を経由することなくいきなり皮膚

へと侵入してくる雨にこれはたまらんわいとばかりに道端にあった店のテント

の下に逃げ込んだ。これでひとまずは安心だと思わず胸を撫で下ろす。しかし

安堵したのもつかの間。やはり雨が落ちてくるのである。なんだこれは。思わ

ずテントを見上げると、な、なんと店のテントも穴だらけではないか。なんと

まぁ驚いたことに、店の中は結構新しく改装されているにも関わらず、予算が

足りなかったのか、テントは古びた破れ腰巻きのようによれよれで穴が開いて

しかも一部は破れた箇所の布が垂れ下がってしまっているという塩梅なのだ。

 それにしてもよくまあこんな外装で商売ができるものだと呆れ返りながら、

仕方なく店の中に足を踏み入れた。と、次の瞬間、店内から大きな声が飛ん

できた。「へい、いらっしゃい!」な、なんなのだ。ここは寿司屋か? そ

れとも魚屋か? 威勢のいいのは生鮮を扱う飲食店と決まっている。

「まいど、何かお探し物でも?」

 それにしてもこの親父、ノリノリではないか。この雨の中、いったい何を

そんなに威勢良くしているのだ。こんな天気では客足も少なかろうに。だが、

すぐにそれが間違った認識であることに気がついた。なんとまぁ、狭い店内

はすでに人で溢れかえっているではないか。実はこの店は雨具も扱っている

雑貨屋、今風に言えばコンビニなのだ。老損とか七拾壱とかいう名前の大手

ではない個人商店には違いないのだが、親父、こざっぱりしたユニフォーム

でニコニコ愛想を振りまいて、ビニール傘やビニール合羽を客に売りつけて

いる。それだけで驚いてはいけない。店の奥に目をやると、なんとそこには

脱衣場が設置されていて、衣類乾燥機やらドライヤーやらが無料で使えるよ

うになっているのだ。そんなものを只で使わせていては儲からないであろう

と思うのだが、よく見るとタオルや櫛、靴下、下着、ワイシャツまで、備品

に安い値をつけて販売しているのだ。乾かせばそんなものはいらなさそう

だが、やはり乾かしたといえども、それをもう一度着るのは抵抗があるよう

で、衣服を乾燥させた客のほとんどが新しい靴下や下着を購入して着替えて

いるようなのだ。なるほど、この雨を商売に生かしているわけだ。

 だとすると、表のテントが破れているというのも、あながち予算不足によ

るものということでななさそうだ。うん、そうに違いない。あそこで雨宿り

などされたのでは、店に客が入ってこない。それどころか、入店しようとす

る客の妨げになってしまう。むしろ、一見雨宿りができそうなテントのしつ

らえで雨宿り客を引きつけておいて、実際には雨宿りなどできないような状

況にしているわけだ。そうしておいて、立ち止まった客が店内に入らざるを

得ない、という仕掛けになっていると来た。これはまるで食虫植物か何か、

罠のようだ。親父、よくまぁそんなこと考えたものだ。

 私は乾燥機やドライヤーを使うほどには濡れていなかったので、しかしこ

のままこの店に長居をするわけにもいかないので、何かしら雨具を購入して

退散することにした。

「親父、一番安いビニール傘を一本、いただけますか?」

「ああ、申し訳ない、一番安い傘は300円、その次のは500円のがあったの

ですが、ご覧のようにみなさん大勢がお買い求めになられましてなぁ、あと

はこちらの千円のものしか残っておりませんが。しかし、これはワンタッチ

ですので、後々も便利に期しよういただけますが」

 ああ、やはり。ビニールのが見えないからそんなことだろうとは思ったが。

私は仕方なく千円を払ってジャンプする傘を購入した。まぁ、これで雨を避

けることができるのだから仕方があるまい。私は早々に店を出て右手に傘を

掲げて親指でボタンを押した。ワンタッチで開く傘は片手しか使えないとき

に便利なのであるが、いまの私は別に両手が開いているわけで、あまりどう

ということもない。傘は文字通りジャンプするかのごとくぱさっと勢いよく

空に向かって全身を広げた。

 おや? なんだかおかしいぞ。傘は開いたが、役に立っている気配がない。

そうなのだ。たいていの場合、雨を避けるために傘などを買ってしまうとこう

いう目に遭うものだ。つまり、その、なんです、先ほどまであんなに降りしだ

いていた雨はすっかり上がっており、空には青いところすら見えはじめていた

のは言うまでもない。

 

 ……とまぁ、いわゆる常套句を多様してこんなものを書いてみたのですが。

どうです? なかなか便利なものでしょう?常套句。これはこうした立派な小

説に見えるものをお書きになる人のために見繕った言葉を使った「小説風常套

句サンプル」ですな。あ、ほかにも「ビジネス常套句集」「冠婚葬祭常套句集」

それから、これなんかいかがです? 「上等な常套句集」お安くしときますよ、

旦那さん、一家に一台、便利ですよ、おひとついかがかな?

                     了

 


読んだよ!オモロー(^o^)(5)  感想(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。