SSブログ

第六百八十二話 旅路 [文学譚]

 窓外には稲穂が刈り取られた後の切り株だけが残る水田と、その奥にはすっ

かり紅葉した山々が控えていて、どの光景も秋風とともに列車の後方に流れて

いくのが見える。行楽日和というのは、こういう日のことをいうんだろうな、リクラ

イニングシートに身を沈めてぼんやりと列車の外を眺めながら思った。四人掛け

の向き合ったシートを三人で独占している。隣には妻の美知子、向かい合って娘

の美代子が気持ちよさそうに眠っている。この線路の先には、目的地である温泉

場があり、三連休を使って二泊泊まりでゆっくりと贅沢しようということにしたのだ。

 しかしほんとうはそういう旅を私自身は好まない。せっかくの三連休を、どうして

そんなことに費やさなければならないのだ。休みというものは、文字通り身体や

精神を休めるためにあるものではないのか、と思っている。こんな考えは私だけ

なのだろうか。妻も娘も、休みが近づくと、どこかに行きたい、遊びに連れてって

としきりにせがむ。我が家だけではなく、ニュースを見ていても、休日になるとみ

んな決まったようにどこか家から離れた遠いところに行きたがっているように見

える。なぜだ? 家を離れるのがそんなにいいことなのか? 家を離れないと

リフレッシュできないものなのか? 私は不思議に思うのだ。

 今回も、温泉に行くという提案を妻からされて、心の中では、また疲れるのか

と思ったが、これを渋ればのちのち家の中が気まずくなる。だから表面上は笑

顔ですぐに賛同した。温泉の近くには遊園地もあるということで、娘も大喜びで

飛び回っていた。その喜んだ二人は今、電車の中で眠っている。旅というもの

はその道中も含めて楽しむもののはずなのに。こうして見ると、妻も娘も、ただ

ただ目的地だけを楽しみにしているようだ。道中の景色や旅情などというもの

は、ただ眠る時間にしか過ぎないのだ。実際そうだと思う。疲れるだけの移動

時間を眠って過ごすというのは理に叶っている。その道中までも楽しみに替え

るというのは、単なる意味合いのすり替えに過ぎない。

 私にとっては目的地ですら意味を感じない。温泉? そんなもの家の風呂に

ゆったりと浸かった方がよほどいい。温泉の効能を期待したいのなら、そのよう

な入浴剤はいくらでもあるし、家の風呂が嫌なのなら、もっと近場に湯治場はあ

る。なんでわざわざ遠いところにまで泊まりがけで行きたがる? 旅館の広い部

屋が素敵? そうか? 旅館は一室だけだぞ。3LDKの家の方が広いぞ。上げ

膳、据え膳だって? それなら近くにファミレスがあるじゃないか。

 とにかく本当は旅というものが好きではない。いや、好きではないのではなく、

嫌いだ。そんなものに出かけなくても、私たちはすでに旅をしているのだし。もう

これ以上の旅は必要ないじゃないか。過去から現在へ、現在から未来へ。この

長い人生という旅を、私が好きじゃない、嫌いであろうがなんであろうが、否応

なしに続けていかなければならないのだから。

                               了


読んだよ!オモロー(^o^)(4)  感想(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。