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第六百七十六話 フィクション [文学譚]

 小説同人誌の講評会が終わった。文子はまだこの会に参加して半年も経って

いない。アラフォーと呼ばれる年代の文子は、若い頃は読書が好きで恋愛小説

を中心に、様々なジャンルの小説を読んでいた。いつかは自分でも何かを書いて

みたいとも思っていたのだが、学校を卒業して社会人になると、日常の忙しさ

にかまけ、いつしか本というものから遠ざかってしまっていた。

 三十路にさしかかったときに、偶然女流作家の小説と出会い、久しぶりに小

説はやっぱりいいなぁと思った。よし、自分でも書いてみようと思いついて、

その頃すでに普及していたワープロに向かって書きかけたのだが、なんのスキル

もなく、誰かの指導を受けることもなく、勝手にはじめたためか、十行ほど書い

たところでもう行き詰まってしまい、それきり自分には無理だと諦めていたのだ。

 さらにそこから十数年が過ぎ、子供たちも大きくなり、子育てを終えたタイミ

ングで再就職した文子は、身を置いた職場で思いもよらない不本意な処遇や上司

からのセクハラまがいの体験をしてしまうことになった。久しぶりに社会に出て

働くことをとても楽しみにしていたのに……もちろん、ほとんどの時間は楽しく、

またやりがいを感じて働いていたのだが、慣れてくるに従い、会社の暗部が目に

入るようになるにつれ、嫌な面や不快なものも感じはじめたのだった。

 入社して五年後、文子は派遣社員という立場の弱さ、未だに男性社会であり続

ける企業の体質、一部の者だけが優遇されるような同族会社のシステムについに

嫌気がさしてきた。というのも、さしたる理由もなくあとから入って来た若い女

子社員に仕事を譲り渡さなければならないという立場に追いやられてしまうよう

な事態になってしまったからだ。この処遇をきっかけに、それまで頑張ってきた

業務への意欲を失い、同時に会社を辞めてしまおうかなぁと思いはじめた頃、書

店で見つけたのが、「きうい」という名の同人誌だった。

 キウイとは、イタリアやニュージーランドで生産されているフルーツの名前だが、

ビタミン含有量も多く、文子は大好きなフルーツのひとつだ。その果物の絵が表紙

を飾る薄っぺらい本に興味を持ったのが、店頭で手に取った理由だった。中表紙に

は、キウイであると同時に鳥のキーウイとも意味がかぶせられてあることと、ほん

とうは「奇生意」と書いて”怪しく生きる意思”みたいな会の理念が書かれてあった。

なんだかよくわからないが、面白そうだと思って最新の一冊を購入して読んでみる

と意外と面白く読めた。しかもそれらを書いているのがアマチュアだと知って、驚

くとともに、文子の中の文学魂が再燃したのだった。こういうことなら、私にもで

きるかも知れない。若い頃は諦めたが、あれから私も人生経験を重ねて来た。書く

技術は訓練して来なかったが、書きたいことはいろいろある。そう思った文子は、

今度はパソコンの中にワープロソフトが入っていることを確かめ、同人誌キウイへ

の参加を決めたのだった。

 キウイはアマチュア作家五人で構成されていた。そこに文子も参加することにな

ったのだが、それぞれ作品を持ち寄り、互いの作品について講評をして掲載作品を

決める。さらに掲載作品の中から優秀作品一作を選出するという活動を行っていた。

参加した時点ではまだ何も書いていなかった文子は、講評に参加することで多くの

ことを学習した。そして参加してから三冊目の同人誌のための講評が開かれるとき

には、ようやく短編小説をひとつ提出することが出来たのだった。

 文子が書いた短編は、会社で受けた屈辱とも言える出来事をモチーフに、自分で

はなく男性目線で書き綴った、言ってみれば愚痴みたいな作品であったが、さほど

酷評は受けなかった。もちろんみんなの評価は甘くもなかったが。最初だからみん

な優しめの評価だったのかも知れないが、とりあえず掲載してもらえることになっ

て、文子は大満足だった。その講評が終わった後、同じ動じん仲間の内田という男

が話しかけて来た。

「文さん、あの話はフィクションですか?」

 さほど深い意味もなく訊ねてきたのに違いないが、文子はそう訊かれて一瞬返事

に淀んだ。フィクションと言えばフィクションだが、ほんとうは自分身に降り掛かっ

た事柄が元になっている。でも、やっぱりあれは作り話だ。

「ええ、もちろんフィクションですよ、事実な部分もありますけど……」

 小説を書くということは、半ば自分をさらけ出すことだ。自分の中にあることしか

文子には書けないからだ。どんなに想像をたくましくしても、まるっきり未体験なこ

となど自分には書けるわけがない。だとすると、これから書けば書くほど、恥をさら

すことになるのかしら。そう思うと、少し心配になった。そんな身をさらすようなこ

とを書き続けていくとしたら、それは恥じに恥を重ねていくことなのではないかと、

そう思ったからだ。だが、内田の顔を見ながら、次の瞬間にはもう違うように考えて

いた。

「何を書いても、フィクションだと言い張ればいいのだわ。仮にノンフィクションだ

としても。そんなこと、誰にもわかりやしないんだから」

 だが、リアリティーが追求された小説であればあるほど、ほんとうは作り話だった

としても、読み手はそれを真実だと思ってしまうのだということを、そのときには思

いつきすらしない文子だった。

                           了

 


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