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第六百八十四話 連鎖 [文学譚]

 両親は共に長子ではなかったが、母は若いうちから、きっといつか年寄りの

面倒をみることになると予感していたそうだ。実際、十数年後に予感は現実と

なった。母が面倒を見ることになったのは、まず実母の面倒をみるために里帰

りし、父は養子でもないのに義理母と暮らすようになった。そうこうするうち

に今度は父の実兄が亡くなることによって一緒に暮らしていた兄嫁と姑の問題

が悪化して、夫の母親も引取る塩梅になった。結局、母は同時に二人の老婆の

面倒を看ることになったのだ。

 目と耳が悪くて気が強い八十過ぎの実母と、死にたい死にたいと口癖のよう

に言い続けた疑心暗鬼な八十過ぎの姑を、母は同時によく世話したものだと思

う。だが実際には年寄りが漏らす不満に苦しんだり、言うことを聞かない義理

母に辛く当たったり、母の内面では相当な葛藤があったのだと後に聞いた。そ

の詳細は知る由もないが、後に母の口から「業」という言葉となって現れた。

 その後、実母も義理母も、相次いで人生を全うし、母はようやく十数年にわ

たった老人介護から解放されたのだった。

 母は晩年肺癌を患った。そのとき父はすでに逝去しており、今度は私が母の

面倒を看る立場になった。癌が見つかったときには早期癌であるとの看たてだ

ったのに、切除手術の為に開腹してみると、播腫であることが判明し、まもな

く末期であると余命宣告がなされた。しばらくは抗癌剤治療を受けていた母だ

ったが、治る見込みのない病に対して行われる抗癌剤治療の苦しみに耐えられ

なくなり、ついに延命措置である抗癌治療を拒否した。もともと母はニュース

などで報道される、高度医療による延命というものに懐疑的だったのだから、

当然の気持ちだったと思われた。肺癌との闘いを止めた母は、在宅医療を望ん

だ。終焉を受け入れ、その代わりに苦しまずに安らかに逝くことを希望した。

だが、癌はそれほど甘くはなく、母の身体を蝕み続け、胸に堪え難い痛みを突

きつけ続けた。日々死への不安と痛みへの恐怖と向き合い続けた母は安楽死と

いう言葉を口にしたが、その望みは叶わないものであるとわかったとき、「業」

と呟いた。

 それがどういう意味なのか、本当のところは残されたメモなどから推察する

しかないのだが。かつて二人の親の世話をしたときに、年寄りに対して辛く当た

り、また自分自身も苦しんだ。そして輪廻のように、今度は思いもしない早い時

期に、自分が世話をされる側に周り、子供の手を焼いて苦しめている。そして自

分自身も病だけでなく、思い通りにならない人生に苦しんでいる。そういうこと

を総括して「業」とつぶやいたのに違いない。

 「業」とは、因果応報につながる、仏教の基礎を成す考え方だ。いまの行為の

責任を、将来自らが引き受けるということだ。母が仏教を理解して言ったかどう

かは定かではない。翻って私自身もまた、晩年を共に過ごし、母の最期を看取っ

たものの、その内容が心底恥じることのないものであったかどうかは正直、自信

がない。母にしてみれば、かつて自分が親に尽くせなかったことが、因果応報と

なって自らに返ってきていると感じて言ったのではないだろうかと案ずるのだ。

これは、このときの母に対して行った、あるいは行わなかった数々の所行に対す

る人としての責任を、巡り巡って次には私自身で負わなければならない日が来る

まで、きっとわからないことなのだろう。

                     了


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