SSブログ

第六百八十話 行間 [文学譚]

 男は後ろ手にドアを閉めると、女の手を握ってベッドに誘なった。居室の
中央には円形をした白い海が波打っており、その中に倒れこむようにして
女を投げ入れると、膨らんだ胸のボタンに指をかけた。いやいやをするよ
うに首を震わせる女の閉じた瞼を見つめながら枕元にゆっくりと手を伸ば
す。二人の間には曖昧な夜の気配だけが漂いはじめた。

 何とかここまで読んだ敏子は本から目を上げてため息をつく。さっぱりわ
からない。どうして部屋の真ん中に海があるんだろう。しかも円形って何
よ? それに胸のボタンに指をかけたって、何するつもり? もっとわから
ないのは、いやいやって女が言ってるのに、枕元に手を伸ばすって? そ
の曖昧な夜ってどんな夜なの。この小説、何が何だかわからないわ。敏
子は本を読むのが大好きだ。だが、詩だとか、こういう文学めいた物語を
読もうとすると、なかなか次のページに進めないのだ。
 ミステリーとか、サイエンスフィクションとか、ノンフィクションとかいわれ
るジャンルの本なら、比較的すいすい読み進むことができるのに、なぜだ
ろう。友達に聞くと、それって行間がわからないってことなのではないかと
言われた。行間? それって何よ。何よって、行間といえば行間じゃない。
文章の間に白いところがあるでしょ? それが行間じゃない。言われていっ
そうわからなくなった。確かに文章と文章の間には白いところがあるが、
そこには何も書かれていないからこそ白いのではないのか? いったいど
ういうことなの? 思ったが、それ以上問いただすと、バカにされてしまうよ
うな気がして、ああそうか、そうよねと笑ってお茶を濁してしまった。
 ああびっくりした、行間がわからないって言われたらそれ以上どうやって
説明したらいいのかしらと心配したわ。まだしつこく言うので、めんどくさく
なって少し腹がたってきた。そういえば、行間って、場の空気とも似ている
わね。彼女がまだ言い続けるので、思わず、うるさい、なんでそんな行間
の話ばかりするのよ。もう黙れ。言い捨てて敏子は席を立った。
 文学だかなんだか知らないけれど、そんな、人が理解できないような文
章しかかけないなんて、下手くそよ。もっと書き方の勉強をしてから本を
書くべきだわ。敏子は心底そう思う。ミステリーとかSFとかは好きだと言っ
たけれども、そうした本の中にもとてもわかりにくい、読みにくい本を書く
人もいて、そんな本を読みはじめてしまった場合、たいていは途中で投げ
出してしまう。だから敏子の家には読みかけの本が結構たくさん積んだ
ままになっている。
 それでも本が大好きだと言い張る敏子が最も楽に読めるジャンルは、
マニュアルと取扱説明書だ。そして何よりの愛読書は、国語辞典と電話
帳なのだった。
                                                了

読んだよ!オモロー(^o^)(2)  感想(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。