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第四百二十話 段差イン・ザ・ダークネス。 [脳内譚]

 「はい、ツタタン、ツタタン、ツタンタタタン!ああー違う!違うなぁ!」

山際庸子は、ジャズダンスのインストラクターだ。以前はプロのダンサーを

目指しつつ、ニューヨークから来日した黒人ダンサーの教室でアシスタント

をしていたが、ある時、右足の腱を痛めてプロになるのを諦めた。そして自

分のダンス教室を始めてもう十年になる。

 「もう、何度言ったら出来るのよ。あなた、もう十年もダンスやってるのに、

まだそんな簡単なステップが踏めないの?」

庸子の指導はかなり厳しい。アマチュア相手の教室とは思えないほど手厳

しい言葉が投げられる。もともとプロ志向だっただけに、アマチュアといえど

も、拙い動きが許せないのだ。

 ダンスは肉体的な技巧と表現する感性の両方が求められる。いくら器用

に踊れても表現力がなければ伝わらないし、豊かな表現力を持っていても

自在に動かせる肉体がなければ表現できない。だからプロへの道は遠い

のだ。庸子は両方の素養を十二分に持っていたはずなのだが、腱を痛め

たのが致命的だった。いや、それなりにプロは目指せたのだろうが、そん

な中途半端な生き方は許せなかったのだ。自分にも厳しいぶんだけ、人に

も厳しい。だが庸子自身は、プロであれアマチュアであれ、ダンサーが究極

を求めるのは当たり前の事だと思っている。だって、人に見せる芸術なんだ

から。美には中庸なんてないのだから。

 庸子から罵詈雑言を受けているのはこの教室では古株になる西村真理だ。

最初はこの教室にも五〇人近くの生徒が集まっていたのだが、庸子の厳しさ

についていけないのか、あるいはダンスを楽しむ姿勢が違っていたのか、一

人減り、二人減り、気がつけば今やたった六人の教室になっていた。真理は

思う。なんでみんな辞めていったんだろう。確かに庸子先生は厳しいけれど、

私はそれでも楽しいと思うから十年もやってこれた。でも、最近は私への風

当たりはきついなぁ。みんなこういう個人攻撃を受けて嫌になったんだろう

か?

 「あなたはね、みんなと違って基礎が出来てないのよ。あの子たちはほら、

小さい頃からクラシックやってたから、身体が柔らかいし、リズム感も抜群。

なのにあなたときたら、もうちょっとやる気出してもらわないと困るわ。発表

ライブまでもう2カ月もないのよ。」

 困ると言われても、こっちだって困る。私は目いっぱいぎりぎりまでやる気

出してやってるのに、どうしてそれが分からないのかしら?

 もともとプロダンサーを目指していた山際庸子にとって、ダンスにアマもプ

ロもないのだ。ステージで人に見せる限り、自分の美意識に叶うものでなけ

れば受け入れられない。だから本当は自分よりも技術が劣る生徒たちのダ

ンスはどれ一つ満足には至らないのだが、その中でも最も年長で動きの鈍

い西村真理子のダンスに目が言ってしまうのだ。この子がいるから、他のメ

ンバーも足を引っ張られている。実際にはそんなことではないのだが、勝手

にそう思い込んでいる。だから彼女にばかりきつく当たるのだ。

 山際庸子はダンスを教える傍ら、実はボイスレッスンに行っている。ダンス

という時間芸術をやっている以上、いつかは総合的な舞台を演じてみたいと

思うからだ。つまり、ミュージカルだ。ミュージカルという限りは、歌も歌えなけ

ればならない。庸子は抜群のリズム感を持っており、それがダンスにも活か

されているのだが、どういうわけか音痴なのだ。自分ではそこそこ上手に歌

えてると思っている。だが、皆の前でカラオケで歌うと、たいてい失笑されて

しまう。十年ほど前にそのことに気がついて、ボイスレッスンを受けるように

なった。

 「♪ムラーラァアー~ンア~!」

「山際さん、何その発声は?いつも言ってる通りに、どうして出来ないの?あ

なた、もう十年もここに来てるのでしょう?いつになったら分かるのよ!」

ボイスレッスンの先生は元プロ歌手だった三浦鈴子だ。厳しい事で有名だが、

厳しい分だけたくさんのプロ歌手を世に送り出している。庸子は自分が歌唱

力を手に入れるには申し分のないコーチだと思っている。だが、いつまでた

っても上達出来ないでいるのだ。

「あなたはね、信じられないほど音感がないのよ。あれほどリズム感には優

れているのに、どうしてなの?不思議だわ。もう少し真面目に取り組んでみ

らどうなの?」

 そんなこと言われたって、私は精いっぱい真面目にやってきたのに。この音

感だけは持って生まれたものなのかしら?私にはわからないわ。どこがどう違

うって言うのよ!毎回毎回、同じ指摘ばかり。もう聞き飽きたって言いたいくら

い。先生には音痴の気持ちが分からないのだわ!

 悔しい思いでいっぱいになりながらスタジオを後にする庸子は、この悔しさを

自分のダンス教室で晴らしてやる、今日もまたそう考えるのだった。

                               了

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