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第四百十二話 踊る演芸場。 [脳内譚]

 映画禁止令が出て世の中は禁映時代に突入した。これで四つ目の禁止令が制

定された事になる。最初は禁煙令。それは順当なものには思えたが、何も法律で

禁止することもなかろうにという声は高かった。そして悪名高き禁音令。さらに禁漫

令というとるに足りない法律が出来、そして今回の禁映令だ。

 もともとはポルノ取り締まり条例に端を発している。この条例そのものは古くから

あるものだが、近年インターネットの普及と相まって、児童ポルノやSMポルノなど

かつてはアンダーグラウンドの遥か底にあったものが表に浮上してきて問題化し

た。同時に、投稿ビデオやユーストリウムという手法を得た個人が、それぞれに映

像作家となって、ありとあらゆる映像が世の中に溢れかえった。同時に盗撮マニア

が急増した。スマートフォンやデジタルカメラに搭載されたビデオカメラ機能によっ

て誰もがいとも簡単にビデオ撮影が出来るようになったからだ。このこと自体は問

題にはならないように思えるが、人物のビデオを映しては投稿するという行為が、

世のプライバシー保護法や、肖像権保護法に抵触するということで、これを排除

するためには、ビデオ撮影そのものを禁止するしか方法が編み出せなかったわけ

だ。撮影してはいけないとなると、当然のように映写も禁止された。かくして、世は

禁映時代に入ったのだった。

 禁映法が施行される以前、映画産業は脈々と長い百数年の歴史を刻んできた

とはいえ、決して好調とも言えなかった。閉鎖する映画館も少なくなく、大手経営

によるシネマコンプレックスという形態のみが生き残っていた。制作会社も、そう

滅多やたらにヒット作が生まれるわけでもなく、低予算作品も多くなっていた。そ

んな状況を背景に禁映法が施行されたものだから、映画産業はあっという間に

崩壊した。

 映画がなくなった今、人々は昔ながらの実演パフォーマンスに娯楽を求めた。

つまり、演劇であり、寄席である。映画館は演劇や寄席の小屋として再利用され、

俳優はもちろん、映画制作者たちも演劇や寄席の舞台を職場とするようになった。

映画があった頃は、映画の蔭に隠れていたこれらの演芸は、みるみる活性化した。

映像による記録ができないかわりに、制作者は日々のパフォーマンスを文字に書

き出し、レビューとして、あるいは演芸ドキュメントとして出版された。これがまた、

漫画も音楽も禁止されている世の中であったから、思わぬヒットとなり、活字業界

もまた潤っていったのだ。

 禁映法が施行されて十年ほど過ぎた頃、一人の青年がパフォーマンス業界に

現れた。彼は音も映像もなく地味に公開されていた舞台に新たな表現を持ち込

もうとしていた。踊りと振付だ。音楽がない今、ミュージカルもまた廃れていたの

だが、その方法論を掘り起こそうとしていたのだ。音楽を使わずに、映像もなし

に、地味な演芸に賑やかさを加える。彼は舞台で行われるきわめて日常的な

動作を誇張し、ある種の振付によって今までなかったユニークな動きによる表

現力を考案した。さらに、生活音や心音や呼吸音など、肉体が発する音、動

物の鳴き声、風の音、海の波音、そんなものをサンプリングして編集を加え、

音符には書けないが何かしら音楽にも似た効果を生み出すサウンドを編み

出し、これに合わせたユニークな振付をダンサーに与えた。これが大衆に

受けたのだ。今まで見たことも聞いたこともない新たな舞台パフォーマンス。

そこで彼が使った掛け声が街中に流行した。

「ええやんか、ええやんか、これでもええやんか、おっぺけぺんぎんおっぺ

けぺん!」

 はて、どこかで聞いたことがあるような・・・。彼は二百余年も以前にこの国

にある潮流を生み出した芸術家、川上音二郎の子孫で、川上音三郎という

のが青年の名前であった。

                               了

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