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第四百十七話 三文作家の私小説。 [文学譚]

 私は売れない小説家だ。小説家と言ってもまだ出版物があるわけでもなく、

最近流行りのブログを立ててそこに投稿するという極めてローカルな作家活動

をしているに過ぎない。もちろん、いつかは書籍に、いつかはなんとか賞にとい

う夢だけは持っているのだが、なにしろ昨日今日始めたばかりの素人作家だか

ら、まだ誰からも認められていないわけだ。

 そんな私でも筆の力を蓄えるために自分に課しているものがある。それが

「毎日一本の短編を書く」という行為だ。マラソンランナーが、日々走り込んで

いるように、作家だって毎日書き続けることこそが、基礎体力を身につける唯

一の方法であろうと勝手に思い込んでやっているわけだが。

 しかし、たかだか毎日一本の短編を書くということが、なかなかままならない。

何しろ、書く内容が見つからないのだ。いや、書く内容など無いようでいくらで

もある。ところがそれを何らかのお話に仕立て上げるためにはアイデアなり、

工夫なりが必要なのだ。ただの日記やエッセイなら思うことをだらだらと書け

ばいいのだろうが、これは日記やエッセイではない、小説なのだと、そう自分

に言い聞かせて、それなりのアイデアを考え出さないと書き出すわけにはい

かないのだ。しかし、その日の体調や仕事量によっては、なかなか小説書き

にまで手が回らない事がある。いやこれは嘘だ。今の私はちっとも仕事なん

かしていないのだから。だが、コンディションと言うのは大いに影響する。日

曜などは気が抜けてしまって、書く態勢にすらなれないでいる。それって、も

しやもはや、それだけで作家として失格なのではないのか?自らそう戒めも

するのだが、モノを書く気持ちになれないのだからどうしようもない。

 常日頃私は、「天才とは、いつまでもそのことをやり続けることができる人

間」と考えているのだが、その自分の座右の銘にすら反する。実際、他にす

ることがなければ、私はいつまでも書き続けていられるように思う。だが、日

曜日は他にやりたい事があるのだ。人目もはばからず眠り続けるとか、映画

を見続けるとか、音楽を聴き続けるとか、料理をしてみるとか、そんなごく普

通のことだが。そういう心の糧となるような事をしなければ、書くという高度な

作業は出来ない。

 こんな風に自分と葛藤しながら、毎日一本の短編小説を書き続けてようやく

一年が過ぎた。ようやくというのは、本当に息が切れそうになっているからだ。

それでも歯をくいしばって四百十五話までを書きあげ、四百十六話目はちょっ

と中編にしてみようかなと書き出したところで筆が倒れた。筆が倒れたというよ

りは、私自身の心が折れた。

 私は実に真っ正直で小心者で、ちょっとした環境の変化にすらおどおどして

隠れ家に隠れてしまうシマリスのような人間だ。他の人にとってはどうというこ

ともないような社会での出来事が、時に私を打ちのめす。あの日、仕事場で

ちょっとだけショックな事が起きたのだ。そのこと自体は、本当に他の人たち

にとっては些細なことなので、ここには著さないが、そういう事柄に出会った

とき、私は微妙に反応する。

 ある時はほんの一時的にフリーズしてまもなく再起動する。もう少しひどい

時には私は池に沈む。池に沈んでしばらく浮かんでこない。きっと池の中で

泣いているのだと思うが、池の中なので自分でも泣いているのかそうでない

のかは分からない。やがて息が苦しくなると、浮上して周りに誰もいないこと

を見定めてから大きく息を吸って地上に戻る。さらにひどい時は繭になる。繭

になったらしばらくは表に出て来れない。

1週間か2週間あるいは一か月も過ぎてから繭にひびが入り、卵の孵化のよ

うに繭が割れて私は復活する。繭から孵るのだから、羽が生えているとか姿

が変わっているとか、そんなことを期待するのだが、今までは一度もそうなっ

たことはない。ただただ繭に閉じこもる前の姿のまま出てくるだけだ。

 あともう一つ最悪のケースがある。化石化だ。化石になってしまうと、もう二

度と元には戻れない。ということは、まだ私は一度も化石化したことがないと

いうことだ。もし、化石になっていたら、今頃は家のどこかに飾られているか、

どこかの資料館に売り飛ばされているのかもしれない。

 今回はどうだったのかと言うと、実は先に書いたどれでもない、化石化の一

歩手前の石化していたのだ。そのまま戻れなければ、化石になっていたかも

知れないという状態だ。最初に顔の一部、頬と目尻が乾燥して堅くなり始め、

やがて顔全体が粉をふいたように白い状態になった。そして固まり始めた紙

粘土のような状態が手足にも現れはじめ、同時に脳も襲われた。この時点で

もはや何かを書き記せる状態でないことはご想像いただけると思う。それでも

私は書き続けようとパソコンの前に座ったものの、もはや網膜にはパソコン画

面も何も映し出されない。頭脳は何の指令も出そうとはしない。なんとか書き

かけの文章に中途半端なエンディングを加えてピリオドを打った。

 翌日も、その翌日も、石化している私は何も出来なかった。三日目になって

私の頭脳の小さな部分が「こんなことではいけないよ。」と赤い点滅を出して、

石化する私の身体に警報を鳴らした。そのお陰で私は石化するのを中断し、

少しづつ元に戻ろうと薄い石の膜の下でもがいた。そうして四日目の午後、

ようやく石化していた身体の表面の石膜がひび割れて落ち、その隙をついて

私は熱いシャワーを浴びて石化から甦った。

 こんなわけで、この四日分の原稿が抜け落ちてしまった。しかし、今日から

また書き始めて、願わくばタイムマシーンで日程を繰り上げて失っていた四日

間もいつか埋めようとは思っているのだが。二度とこんなことになりたくはない

と思うのだが、体質はそう簡単には変わらない。出来る限り、そういう環境に

出くわさないように暮らしていくしかない、改めてそう考えているのだ。

                                        了


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