SSブログ

第四一〇話 おバカンズ王国。 [日常譚]

 テレビジョンが発明されて以来、国民の活字離れが叫ばれていたが、映像文

化はさらに進み、メディアの多様化とともに、さらに文字を読まない人口が増

えた。中でも活字離れ文化に大きく寄与したのが漫画だ。漫画は世界中に広ま

っている表現文化なのだが、この国は世界の中でもトップクラスの漫画文化が

発達した。

 漫画が独自に進化してきた理由には、手先が器用だという国民性もあろうが、

何よりも、天才と呼ばれた漫画作家を何人も排出したことと、彼らの才能を開

花させて来た漫画マーケティングというビジネスをプロデュースする出版社が

いくつもあったという事が大きな理由だ。

 最初、漫画は少年たちを顧客に貸本という形態で進化しはじめたが、やがて

習慣雑誌という姿が主流になり、そのうちに少女たちも漫画の輪の中に加わっ

ていった。そして少年少女たちは漫画が好きなまま大人になり、彼らの成長と

共に青年漫画雑誌が生まれ、大人が読む漫画雑誌もどんどん増えていった。こ

れが活字離れといわれはじめた時代の出来事だ。

 やがて、雑誌は活字による文学と変わらぬ支配力を持ちはじめ、独自の文化

を形成した。ここまで来ると、漫画を敵視していた大人たちは姿を消し、むし

ろ歴史や科学、数学や文学を語るためのツールとして、漫画という表現形式は

書かせないものになっていった。何しろ、文字だけでは理解しにくい難しい事

柄も、挿絵を加える事によって数段わかりやすくなる。挿絵の数が増えて図解

というものに変化し、さらに図説となったその先に行き着くところは、もはや

漫画しかないわけだから。漫画は活字を極限まで少なくして読まずに見るだけ

で理解出来るという魔法の道具だ。活字が苦手で漫画を好む人々は、もはや活

字に戻る事は困難で、そうなると何でもかんでも漫画に頼るようになった。教

科書や指南書はもちろん既に漫画によるものは多く存在していたが、家電製品

の取り扱い説明書も漫画、会社の書類も漫画、企画書も漫画、ついには役所や

政府の公文書までもが漫画になっていった。

 こうなると、かつて活字離れ文化を指して一億白痴と揶揄されていたことは

もはや厳然たる事実となり、大人たちの大半が「おバカ」を当たり前のことと

し、おバカであることこそ賢いみたいな妙な概念すら生まれた。子供たちの学

習能力も教育史上最悪のものとなった。

 ごく少数派だが、昔ながらの活字表現にこだわる者もいた。だが、彼らが文

字だけで伝えようとすると、多数派の漫画びとたちは、文字でしか表現出来な

い無能な人間だとして彼らを叩いた。漫画メディアの中でも、どうしても文字

が多くなってしまうような内容のものもあるのだが、そうした表現は漫画力の

ないブザマなものとして扱われた。

 新聞社も優れた報道のために優秀な漫画作家を擁し、政治政党のマニフェス

トも漫画家が総出で作成しなければ、民意を得る事は出来なかった。はたと気

がつくと、かつては優秀な国民性が評価されていた我が国は、ほとんど文盲に

近い人民を抱える漫画大国になってしまっていた。だが実は、こんなことにな

っているのはこの国だけで、他国はもともと漫画後進国だったことが幸いして、

活字と漫画は絶妙のバランスを保っていたのだ。

 ここに来てようやく国の一大事に気がついた政府高官は緊急国会を収集した。

そしてあの忌まわしき禁漫政治が始まったのだった。これまで漫画だからこそ

物事が理解出来ていた人間からいきなり漫画を取り上げてしまったのだ。こう

なると、人々のコミュニケーション能力は一気に十分の一にまで低下し、お互

いの気持ちを伝える事が出来なくなった。もちろん、ビジネスどころじゃない。

学校も崩壊状態。とにかく、情報伝達のために一切の漫画を使用してはいけな

いというのだから、こんな難しいことはない。歌を忘れた小鳥のように、国民

はすでに言葉を忘れてしまっているのだから。○という画を描けば済んでいた

ことが、○という画を使わずにどうやって伝えればいい?ましてや複雑な形状

のものなどとんでもない。かろうじて色だけは、絵でなくても文字そのものを

赤とか青とかにすれば伝える事が出来る。大きさや堅さや、あるいは物事の手

順や歴史の流れ、お話の展開、すべてが漫画があってこそ可能だったものなの

に文字だけでどうやって伝えるというのだ?

 漫画文化によって潰されていった作家や文筆家たちももれなく白痴化してお

り、俄にはかつての文力を思い出す事が出来なかった。絵文字という表現は既

に存在していたが、これは法律違反になるのかどうか微妙で、文字を使った絵

であると判定されて有罪になるケースが相次ぎ、禁止はされていないものの、

一般的には絵文字を使う事は憚られるようになった。こうして我が国の経済も

文化も崩壊の一歩手前かと思われたが、必要は発明の母とはよく言ったもので、

新たな表現が生み出されたのだ。

 「こぉーーーんなまぁーーーるいでかーーーーーーぁい、ききゅうという大

きなふうせん。」

「くるまがびゃーん!と走ってきて、ババーンとぶつかってきた。」

「君、ぼわぁーーーんって感じだね。」

そう、従来からあるオノマトペ言葉が漫画に変わって多いに使われはじめた。

そして日本語はますますおかしな方向へと進化しはじめた。

                          了


読んだよ!オモロー(^o^)(3)  感想(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。