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第九百五十一話 癒し犬太郎 [妄想譚]

  携帯メールの着信があった。犬友のテルさんからだ。犬のお散歩に行こうという誘いだった。平日はそれぞれの仕事で時間が合わせられないが、日曜日にはときど き誘い合って夕方のお散歩を共にする。五年前に夫を亡くしたテルさんは、夫が可愛がっていたパピヨンを忘れ形見として大切に育てている。私はというと最初 から独り者で、気まぐれで人から預かった雑種犬を飼いはじめて六年になる。朝夕公園辺りを散歩しているうちに夫を亡くして間もないテルさんと知り合って犬友だちになった。独り身の中年女同士と犬というのは寂しさを忘れるのには恰好の組み合わせといえるだろう。

  犬のお散歩なんて、そう遠いところまで行くわけではないが、休日はたっぷりと時間があるので近所の公園だけでは飽き足らず、少し離れた城山公園とか、川沿いの緑地にまで足を伸ばすと、たっぷり二時間ほどのコースになる。小さな犬の足取りに合わせてゆっくりと歩く上に、二匹の犬が交互に排尿や排便をするのを待 ちながらなので、それはもう運動になどならないような歩き方になる。その代わり女二人は身の回りのことだのテレビ番組の話題だの、取り止めのない会話を存 分に楽しみながら歩くのだ。

  こないだサンプルをあげた保湿クリームの具合はどう? ああ、あれはいいわね。けど買うとなったらちょっと高級過ぎて。それよりおとといのテレビ、見た? ほらダイエットの。あら見てない、どんなの? 痩せるホルモンっていうのが発見されたっていうね、話。

 こういう話を延々しながら歩いていると、二時間なんてすぐに過ぎてしまう。もちろんその間には愛犬の健康状態や、病院に連れて行った話が加わったりするのだ けれど、このひと月ほどはなぜだか一切犬の話題が出てこない。ちょっと前まではテルさんとこの愛ちゃんのお腹の具合が悪かったという話がほとんどだったの に、テルさんはそのことにも触れない。愛ちゃんは元気そうだしきっとすっかりよくなったということなのだろう。うちの犬はまだ若いし、ほとんど病気などしたことがないのだが、予防注射の季節だとか、爪を切るときなんかに病院に連れて行く。

「ねぇ、ほんとうに大丈夫なの?」

  テルさんが聞いてくる。なにが大丈夫なのかわからないが、私の健康状態のことかなと勝手に理解して、ええ、大丈夫だけど、テルさんは? と聞き返す。

「あら、私はぜんぜん問題ないけれど」

  なんだかテルさんの口ぶりがいつもと違う。なにかそう、奥歯にものが挟まったようなっていうのはこんなときに言うのかしら。

「もう、無理につきあわなくてもいいのよ」

「え? なにが?」

「なにって、お散歩よ」

  なにを言ってるのかしら、一緒にお散歩したくなくなったってこと? 自分から誘ったくせに。しばらく黙っていると、別の言葉が繰り出された。

「こんどね、知り合いのところに子犬が生まれるから、もらってあげようか?」

  テルさん、なにを言い出すのやら。うちは太郎一匹で精一杯。子犬は可愛いから好きだけど。いまは無理だわ。言うと、テルさんは困ったような悲しみを堪えるような妙な顔になった。

「ほんとうに大丈夫?」

  またおかしなことを聞いてくる。私は面倒臭くなって公園の広いところに向かって走り出す。手に持ったリードの先についた、この頃妙に軽くなってしまった首輪がずるずると追いかけてくる。そこにはもう太郎の姿はない。

                 了


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