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第九百五十四話 ピロりんの憂鬱 [文学譚]

 定期検診で胃カメラを飲まされた夫が、青い顔をして帰ってきた。どうしたのかと訊ねると、萎縮性胃炎が見つかりおそらくはピロリ菌が原因だと言われたのだという。ピロリ菌って聞いたことあるけど、悪いものなの? 聞くと、うーんそうだな、ちゃんとピロリ菌検査を受けて、菌が見つかったら除菌した方がいいと言われたと答えた。

 そうなんだ、名前は可愛いけどよくないものなんだと知ってネット検索してみるとピロリ菌に関する情報はたくさん見つかった。日本人にはピロリ菌保菌者が多いこと。五十歳以上の八割がピロリ菌保菌者であること。幼児期に感染するもので、大人になってからは感染しないこと。つまり五十年くらい昔の日本は感染しやすい生活環境だったこと。たとえば汲み取り式便所や井戸水によって感染が引き起こされたこと。胃癌の原因であること。薬を飲めば一週間で除菌できることなど。

「お前も調べた方がいいよ、同じ年代なんだからさ絶対にピロリがいるに決まってるんだから」

「いいよう私は。お腹弱くないし」

「バカだな、自覚症状はないんだよ。なのに五十年かかって胃潰瘍とか胃癌になるんだから」

 そう言われるとなんだか恐くなってますます検索なんて行きたくなくなった。人には検査しろと言っておきながら夫も忙しさにかまけて検索する機会を逸していた。しかし忘れてしまったわけではないらしく、人と会うたびに俺はピロリ菌保菌者だ、俺たちはピロりん夫婦だと話のネタにして喜んでいた。

 ピロりん夫婦だなんて嫌だわ。だって不潔な環境で育ったから感染したのだから、それってまるで自らウンチ夫婦だって言ってるようなものなんだもの。もう、あんたひとりでウンチ男って言いふらすのはいいけど私まで巻き込まないでよ。

 こうして二人でピロりんと呼び合っていたのだが、ついに検査を受けることになった。結果は、やはり夫は保菌者で除菌薬を処方された。ところが私は完全に陰性、つまり保菌していなかったのだった。

 これまでさんざんピロりん夫婦だのウンチ夫だのふざけあっていたのに、自分のお腹はきれいそのもので子供時代からいまに至るまで清潔そのものだったのだとわかってみると、にわかに夫が不潔な人間に思えてきた。だってそういう環境で育って感染して何十年もピロリ菌を持ち続けてきたんでしょ。たとえ除菌したとしても、この五十年は消えないでしょ。

 実は私はひどい潔癖性なのだ。気持ちの持ちようだと言われても、一旦夫に染みついた不潔イメージは拭えない。仲良くピロりんと呼び合っていた夫婦はいまや離婚の危機にさらされているのだ。

                        了


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