第九百七十九話 踊るように生きろ [可笑譚]
社長でありインストラクターであるトミーの目の前で、麻子はギクシャクしながら手足を動かしている。足と手は交互にリズミカルに動かさなけれならないのに、どうしても同時に同じ方向に動いてしまうし、トミーのカウントとまったく合わない。
ワントゥスリーフォー、ワントゥンタタン、ワントゥスリーフォー、ワントゥンタタン。
かっくんかっこんずれるずれる、ぴんすここんすこんんととと。
「おいおい、まだできないか?」
トミーは業を煮やしてカウントをやめる。なんでこいつはこうもリズム感がないんだ。しかし、なんとかしてやらないとなあ。
トミーがダンスをはじめて三十五年。若い頃はダンサーに徹していたが、三十を過ぎた頃から自分のスタジオを持つようになり、いまではいくつものダンススタジオから数々の若手ダンサーを世に送り出しているスタジオの経営者だ。ダンスが義務教育に取り入れられて、ますます生徒も数を増やしてすべてが順調だ。
ところが最近、麻子という二十歳になる叔父の孫の面倒を見てくれと頼まれてしまった。麻子はダンスインストラクターになりたいそうで、これまでも町のダンス教室でレッスンしてきたが、どうも上達しないというのだ。できれば、トミーのスタジオで事務員として雇いながらダンスを教えてくれないかという無茶な注文だった。叔父には昔、出資してもらった手前、断ることもできない。まぁちょうど古い事務員が辞めたところだったので、軽く引き受けてしまった。
麻子は短大を出ていて頭はいい方だと思うのだが、計算をさせても書類を作らせてもどうも要領が悪いというか手が遅い。丁寧だというのならまだしも、ミスも多い。ダンスだってレッスンを受けていたようには思えないのだ。
事務所で計算をしている後ろから覗き込んでみると、なんだかもたもたしている。
「麻子ちゃん、もっとこうーなんていうか踊るようにできないかな?」
「は? 踊るように、ですか?」
「そうだ。ワントゥスリーフォーってリズミカルに電卓が叩けないか?」
「リズミ……カルですか?」
麻子の電卓は、たんたった……た。た……たったんたた……た、と、ちっともリズミカルじゃないことに、本人はさっぱり気がつかない。
「あのな、踊るようにすればどんなことでも上手くいく、おれはそう思ってる」
「はぁ」
そんなこと言われても、麻子にはさっぱりだという顔をする。
コピー機と悪戦苦闘しているときでも同じことを麻子は言われた。何枚もの書類を複写していたのだが、きちんと複写しようと思うと一枚一枚手間取ってすっごく時間がかかっている。その様子を見ていたトミーは後ろから近づいて、ほら、こういうのでもタンタタタンたんたたたんってリズムをつかんで踊るようにやってごらん。貸してみろとコピー機を使ってみせる。トミーの動きは、それは見事に踊るようなスマートさで、しかも正確にスピーディに複写が取れていく。
むろん、麻子はトミーとは違う。同じ人間ではないのだから、まったく同じようにはいかないだろう。だがコツさえつかんでくれたら、どんなことだって踊るように気持ち良く楽しくこなせるのに。
「先生。トミーさん、わたし、やっぱり上手く踊れません。なにかコツみたいなもの、あるんですか?」
麻子は汗が滲んだTシャツの首元をタオルで拭いながら聞いてきた。だからさぁ、何度も言ってるけどね、トミーは思う。
「どんなことだって、ダンスだって同じだ。何度だって言う。いいか、よく聞け」
トミーは真剣な眼差しで麻子の顔を覗き込んで言う。
「上手に踊るコツはな、踊るように踊るんだ」
了
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