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第九百六十四話 キレやすい女〜心理描写習作 [文学譚]

 ガチャン!

 まだソースがぐつぐつしているハンバーグが乗せられた大皿が床の上で真っ二つに割れた。両手で持った皿を手放す瞬間には、この手を離せばさぞかしスカッとすることだろうと思ったのだが、ゆかの上に散らばった陶器と肉と野菜の破片を目にしたら級に後悔の気持ちがわき起こった。

 今夜は帰りが早いと言っていたので、今日は夫の好物であるチーズを乗せた牛肉だけのハンバーグにしようと張り切って準備をはじめた。豚肉との合挽き肉ではなく、少し値段の張る牛肉百パーセントのものにしたのは、むろん牛肉好きの夫の喜ぶ顔を想像してのことだ。

 ハンバーグを作り方は単純だ。単純だけど手間がかかる。玉ねぎと人参のみじん切りは粒を揃えた方が口当たりがなめらかになるのだが、丁寧にしないとどうしても大小できてしまう。手早くしないと涙もこぼれてくる。ひき肉をこねるのは泥遊びみたいです楽しくもあるけれども、爪の間に肉片が潜り込むし手が脂っぽくなるのでほんとうは好きじゃない。ボールの中でいい具合にこねたひき肉に卵を加えて、さらに野菜とパン粉を投入してもう一度まんべんなくこねる。ここまでできたらひと安心かといえば、まだいちばん大事な作業が残っている。美味しそうな大きさと形に成型しなければならない。水分の加減によってはべっちゃりしてうまくいかないこともある。いい形にできても、空気抜きをしているうちに崩れてしまったこともある。真ん中に少しくぼみをいれるのは、火通りを均一にするためだ。

 ポテトサラダと人参ソテーもつくり、後はハンバーグを焼くだけにして夫の帰りを待つ。白米もいい感じに炊き上がっている。だが、早いと言っていた夫はまだ姿を見せない。時計の長針が三回回って九時を指す頃、夫はようやく帰ってきた。

「ああ、ごめん。ちょっとビールいっぱいだけつきあわされてね」

「ええーっ。じゃあ、食べてきたの?」

「あ、いや。なにも食べてない、ビールだけ。ああー腹減った!」

 ほんとうかしら。赤い顔して、いっぱいだけじゃぁないでしょうに。おつまみとかあったでしょうに。無理して食べなくてもいいのよと言うと、いや食べる。でも先に風呂に。と言って服を脱ぎはじめた。

 夫が入浴している間にサラダを盛りつけ、ハンバーグに火を入れた。フライパンに蓋をして中火でゆっくり焼き上げる。もう頃合いだなと思った頃、風呂場から夫が呼んだ。おーい、パンツ取ってくれ。もう、そんなもの自分で用意してから入ればいいのに。白いブリーフを持っていくと、それじゃなくって柄のトランクスの、とダメ出し。ほんとうに面倒臭いやつ。風呂場と寝室を二往復している間に、フライパンの温度が上がっていた。嫌な予感。焦げた匂い。

 パジャマを着てようやく食卓についた夫は皿の上に乗ったハンバーグを見て言った。

「あれ、焦げハンだな」

「ごめん、ちょっと目を離して。でも味はいいと思うよ」

「でもさ、焦げは老化を速めるらしいぜ」

 なによ。結局お腹なんて減ってないんじゃない。空腹なら四の五の言わずに食べる人なのに。それに老化って、それは嫌味? 焦げたのはあなたのせいなのに。いろいろな思考が頭を巡ったのはコンマ一秒くらいだと思う。考えるより先にカチンと来て次の瞬間には夫の皿を手に持っていた。そしてそのまま床に叩きつけた。

 夫があっけに取られた顔をしたのは一瞬で、すぐに感情を押し殺して黙って立ち上がった。

「なに考えてるんだ。もう寝る」

言い捨てて寝室に消えた。呆然と床を見つめながら、後始末が大変だなと考えていた。

                                          了


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