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第九百五十三話 臨界体温 [文学譚]

「明日の試合が終わったら、お前のフォームを見て俺が一から直してやるよ」

 繁太は右半面だけ笑いながら、だから今日のところは帰ってくれと言った。

 繁太と安雄は小学校からの同級生でその頃はとても仲がよかった。中学高校は別の学校だったが、偶然、大学でまた一緒になった。繁太は明るい性格でなにかと積極的な人望の厚い青年になっていた一方で、子供の頃から内向的で疑心暗鬼な性格の安雄はいつもひとりで部屋にこもっているような男になっていた。同じ故郷で過ごし、同じ小学校で遊んだ繁太が仲間に囲まれて楽しそうにしている姿を見ると、安雄はうらやましい気がした。大学には好成績で入ったらしく皆から尊敬もされているようだ。剣道部で活躍する姿も眩しいくらいで、これも偶然高校では剣道をやっていた安雄もまた同じ部活になって、うれしいような反面、あまりにも強さを発揮する繁太が疎ましくもあった。実際、一年生にして、今度の試合に出ることになったのは繁太ひとりだったのだ。

 安雄はなにをしてもパッとしない。この大学を受験するのは無理だろうと言われたし、友人もほとんどいない。剣道だって高校三年間の間にまったく上達できない上に、結局部に溶け込めずに途中で辞めてしまった。だからこそもう一度やり直そうと思って大学でも剣道部を選んだのに、そこに人気者の繁太がいるなんて。悔しい。なんであいつとこんなに差がついてしまったんだろう。安雄は繁太の様子を遠目に観察し続けた。その姿はストーカーに見えたかもしれないほどに。

 あるときにはあまりにも憎々しくて部室のロッカーに入っている剣道着を大学の裏の畑に捨ててやった。困って探しまわる繁太の姿は気味がよかった。もっと困らせてやりたいと思った。繁太が出場選手として選ばれたときには頭の血管が切れそうになった。

 試合の前日、練習帰りに安雄は繁太の後をつけて、学生アパートまで行った。激励だと偽って部屋に入った。酒でも飲まして体調を崩させようと思ったのだが、繁太はその手には乗らなかった。暗い顔をしている安雄の心中を察したのか、繁太は安雄のフォームについてアドバイスをしようとした。

 剣道の基本を教えてやるような言い方をされて安雄は頭に血が上った。なにがフォームを見てやるだ。なにが直してやるだ、偉そうに。なにさまなんだ? かっとして体温が一度上がった。目の前にあった椅子で繁太の頭を後ろから殴りつけていた。何度もなんども殴った。気がつくと手には血だらけのナイフを握りしめ、目の前には腹を刺された繁太が転がっていた。なんだ? どうなった? 俺は……なにをした? 暑い。頭の中が熱い。冷たい汗が流れていた。

                                          了


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