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第九百六十二話 同級生 [文学譚]

 出先での商用を済ませて帰社しようと北村通りを歩いているときだった。歩道に立ち並ぶポプラ並木の影からひとりの男がすっと現れ片手を上げて挨拶した。見たことのない男だった。ぼくに向けられたものではないと思ったから、男の横を通り過ぎようとすると男が声をかけてきた。

「おいおい、つれないなぁ。忘れたのか、俺だよ」

 え? ぼく? ぼくが声をかけられたのかどうかまだ疑わしく、立ち止まって周りを見渡す。だが、男の近くにいるのはぼくだけだ。

「え? ぼくですか?」

「そうだよ、青山くん。ずいぶん久しぶりじゃぁないか」

 名前を呼ばれて、はて知り合いだったのか? でも記憶にはない。どこで会ったのだろう。得意先か? それとも協力会社か? まったく覚えがなかったが、向こうが知っているのなら無視するわけにもいかず、曖昧な笑顔で男の顔を見つめた。ぼくと同じくらいの背丈だがぼくより痩せている。着用している派手目のジャケットは、どうみても普通の会社員ではない。うっすらと無精ひげを生やし、サングラスと帽子が顔の三分の一くらいを隠している。男はぼくの表情を読み取ったのだろう、サングラスを外しながらもう一度言った。

「ほら、同じ中学、高校だっただろ、俺たち。わからないか? ノリだよ」

 ノリ? 覚えていないけれど、そういえばこんな男はいたような気がする。見覚えのある顔であることには違いない。名前を名乗られてもちゃんと思いだせないなんて、老化しはじめているのかな? 同級生だと言っているのに知らないなんて言えない。ここは知っている思いだしたフリをして早々に切り上げよう。

「あ、ああ、ノリかぁ。懐かしいなぁ。元気なの? あ、でもぼくちょっと、急いで会社に帰らなきゃあならないんで、また今度」

 男が返事するのも待たず、では、と言って足早に立ち去った。申し訳ないが仕方がない。ほんとうに急いでいるのだし。しかし連絡先も伝えずにまた今度だなんて、ぼくも適当だなぁ。

  一週間が過ぎた。なんとかサービス残業を終えて家にたどりついたのは九時を少し回った時刻。マンションのドアの前にあの男がいた。やあ、と片手を上げた男は前よりは少し大人しめのジャケット姿だった。

「な、なんです? なんでここを?」

「同級生だもの。連絡先くらいわかるよ。それより、入れてもらっていいかな?」

 ちょっと気味が悪かったが、無下に断るわけにもいかず、鍵を開けて部屋に入れた。

「ほら、ビール」

 ワンルームのリビングに入ると、男は提げていたビニール袋から缶ビールを二缶取り出して、一缶をぼくに投げて寄こした。反射的に手を出して受け取り、サンキュと礼を言うと、男はおう! と答えて缶のプルトップを開けた。袋の中にはまだ何缶かビールが入っていて、どさっとテーブルの上に置きながら「乾杯!」と言うので、ぼくもつられて「乾杯」と返した。

 ビール好きの上に喉も乾いていたぼくはすっかりいい気分になって、ぐいっと飲み干す。そうだ、腹は減ってないか? おう、なんかあるのか? そうだな……答えながら冷蔵庫を漁るとなにかしらアテっぽいものが出てきた。チーズ、ちくわ、小魚甘露煮、そんなところだ。男は中学や高校の頃のことをよく覚えていた。男子に人気のあった女子、委員長がつきあっていた相手、クラスの中のドジなやつ、ウザい英語の教師、学校出たての化学の教師……昔話は盛り上がる。共通の思い出だからお互いに知っていて当然なのに、二十年も過ぎると案外忘れてしまっているものだ。だが男はぼくが忘れていたことも、知らなかったことも、すべてを覚えていた。缶ビールを飲みきってしまうと、ぼくは押入れから焼酎の一升瓶を取り出した。同級生同士で盛り上がってしまい、週末ということもあってすっかり酔っぱらってそのまま床の上で眠ってしまった。

 翌朝遅めに目を覚まし、朝食を作ってやると、そうだなお前はこういうの上手そうだったよな、うまいうまいと言いながら食べた。一息ついたら帰るのだろうと思っていたら、ちょっともうひと眠りさせてくれと言ってぼくのベッドにもぐりこんだ。ダメだとも言えないまま夜が来て、結局その日から男は僕の家に住みついてしまった。

 男がなんの仕事をしているのかわからないが、朝一緒に家を出て、同じくらいに帰って来る。毎晩軽い酒盛りになった。昔の話が尽きると、仕事の愚痴を離したり、テレビで野球を見たり、将来の話をしたり。

「お前、辞めたいんだろ、いまの会社」

「そうなんだ。忙しすぎる割には給料は安いし、残業代はないし」

「なんだ、そういうの、ブラック企業って言うんじゃないのか」

「しかしもう二十年も勤めているんだぞ」

「お前はまだ管理職じゃないのか」

「もしそうだったらこんな愚痴言わないだろう」

「迷ってんだな、これからのこと。誰かに背中を押してもらいたいんだろう?」

「ま、まぁな。ぼくは優柔不断だからな、昔から」

「辞めちまえ辞めちまえ、そんな会社」

「でも……」

 何日かそういう会社談義が続き、ぼくは遂に決心した。その日のうちに退職願いを書いて、翌日上司に叩きつけた。

「そうか、ついにやったか。よかったな」

 ほんとうのところ、相談できる友人もなく、悩み続けていたのだ。胸のつかえがとれたような気分だ。

「次の仕事は自分で探せよ」

 缶ビールで乾杯したその日、男は上から目線で言った。

「そうだな、しばらく休養してからな」

 ぼくはとっくに気がついていた。男は、これまでのぼくが諦め続けてきたことを諦めなかったぼくの姿だ。なぜこんなことができたのかわからないが、いまのぼくとは違って、金も名誉も未来も手に入れたもうひとりのぼくだ。ノリというのは則輔のノリで、ぼくの高校のときの呼ばれ方だ。男は不甲斐ないぼくが呼び寄せたぼく自身だった。缶ビールを飲み干すと、男はどんどん影を薄くして遂には消えていった。

                                                了


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