第九百七十六話 川の流れのような [文学譚]
バス停に向かっていつもの道を歩いていると川に出くわした。こんなところに川などあったかなと考えたが記憶にない。いつも歩いているよく知った道なのにこんなことってあるのだろうか。川が急にできるなんてことがあるのだろうか。川の幅は三十メートル以上もあって、降水量が多かったからできたようなものではない。しかも岸壁はちゃんとコンクリートで固められていて、その様子も昨日や今日できたような感じではない。しかし実際に川があるのだから記憶違いなのだろうと思うほかはない。そう思うとなんだかおかしくなった。「七度狐」という古典落語を思い出したのだ。
七度狐は伊勢参りの旅人が道中で見つけた茶屋で盗んだ木の芽和えの鉢を道端に投げ捨てたところ、それが七本の尾を持った妖怪狐に当たってしまう。怒った狐はさまざまな方法で旅人を化かすというお話なのだが、その最初に出てくる化かし方が、いきなり目の前に大井川が現れるというものだった。旅人は川を渡ろうと裸になって川と思っているところに入っていくのだが、そこは田んぼの中。田の持ち主が稲を荒らされてはかなわないと、旅人を目覚めさせる……そんな話が延々続いていく。
まさか狐か狸に化かされているわけでもあるまいし。しかしどうやってこの川を渡ろうか。バス停はこの先なのに。ふと見ると、いつの間にか隣に男が立っていた。黒い鞄を持ち会社員風の背広を着た初老の男で、同じように所在無げに川を眺めていた。同じ思いだろうと思って聞いてみた。
「こんなところに川なんてありましたっけ?」
男は顔だけこっちに向けて私の顔や体を見てからようやく口を開いた。
「さぁ……私にもわかりませんなあ。昔からあったような、なかったような」
「あの、このあたりの方なんでしょう?」
「ええ、そうですけど、なにか?」
「だったらこんな大きな川が昔からあったかどうかなんて、なんでそんな言い方するんです?」
「あんただって同じじゃないんですか? あんたもこのあたりに住んでいるんでしょう」
男が言うとおりだ。私もあったようななかったような、あいまいな感じなのだけれども、大の大人が二人ともそんな惚けたことを感じてていいのかと不安になったのだ。
「まぁ、しかしこうして実際に川があるんだから仕方ないじゃありませんか。ほら、向こうまで行けば橋が架かってますよ」
男はそう言って橋のある方向に歩いて行った。私もこんなところで突っ立っているわけにもいかないので、男の後をついて行った。
翌日も、その翌日も、川は存在していた。やっぱり何か勘違いしていたのだろう。川は前からあったのだ。だが、注意をして川の様子を観察してみると、川幅は毎日微妙に変化しているような気がするのだ。いきなり巨大になったり小川になったりするわけではない。気持狭くなったのではないか、広くなったような気がする、そんな程度だ。注意してなければ気がつかないだろう。橋を渡るために迂回しなければならないのが少し面倒だけれども、それ以外は取り立てて害になっているわけでもないので、私は平穏な日常を繰り返し続けた。川の向こうでは今日も原子力発電に反対する団体が街頭演説を行っている。私も橋を渡って彼らが配っているビラを手にすると、そうだなぁ、この問題も難しいなぁ。だけどやっぱり私も反対かな、などとそのときだけは心にとどめる。しかし、仕事を終えて家に帰ってしまうと、そんなことはすっかり忘れてしまっているのだ。
家では妻が食事を並べて待っていた。
「遅かったわね」
更年期が近いせいか、近頃の妻は機嫌が悪い。
「ああ、サービス残業だ」
「サービスって、そんなのしなくちゃいけないの?」
「しかたないな、仕事だから」
「ほらぁ、先月の電気代こんなに。なんでかしら」
「やっぱりエアコンだろ?」
「わたし、節電だと思ってずいぶん我慢したんだけど」
「俺だってそうさ。だいたい冷房は好かんからな」
「あら? じゃぁ私わたしが一人で冷房かけてたとでも?」
「……そんなことは言ってないよ」
「ふーん、そう」
妻はまたもや不機嫌な顔になった。」
「あれじゃないの、原子力が止まってるからとか」
もう妻は答えない。黙って箸を動かしはじめた。ちょっとした言い回しにすぐに反応してしまって、不愉快だと思ったらもうしばらくは治らない。こっちだって疲れているんだぞ。
気がつくと、部屋の真ん中に川が流れていた。あれ? 家の中に川なんかあったけ? 部屋の中に川が流れているわけがない。眼の錯覚だろうと思って見直すが、やはり小さな川が部屋を横切っている。おかしいな、でも現にあるんだから仕方ないか。私はもうそれ以上川を見続けるのはやめて、夕食にとりかかった。
了