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第九百五十九話 自惚れハントトラップ [文学譚]

 平日の表参道はまだ午前中だからか人がまばらでごく普通の街並みと変わらない風情だった。信号機の下あたりに立って、ああこの辺だろうなと思った。遥か昔、モデルクラブのスカウトマンがアンテナを張り巡らせて徘徊していたといわれる一角だ。その頃の私はまだ田舎にいて、こんな東京のど真ん中になど来たこともなかったのだけれども、週刊誌や譲歩番組で知った情報だった。いつかこんな華やかな場所に来てみたいなと思っていたのだが、この歳になってそれが実現するとは思わなかった。就職で東京にやって来たのはもう随分昔だが、原宿や表参道に来る機会はあまりない。偶然取引先がこの近くにあって書類を届けに来ることになったついでにふと思い出してこの交差点を見に来たのだ。

 ぼんやりと立っているとふいに誰かが声をかけてきた。

「すみませーん、ちょっといいですか?」

「はい?」

 さっきの事務所の人かしらと思ったが、まったく見覚えのない黒スーツに細いネクタイを締めたわたしの横に男が立っていた。道を訊ねられてもわからないんですけど、と思いながら男を見つめる。

「あの、こちらにはよくいらっしゃるのですか?」

「あ、いいえ。わたしこのあたりは・・・・・・」

「ああ、そうですか。そうだと思った。こんなちゃらちゃらした街には似つかわしくない上品な方だと思いました」

「は、はぁ・・・・・・」

「実はですね、僕はモデルエージェンシーのものでして・・・・・・」

 差し出された怪しげな名刺には英文字の社名とキャスティングディレクターという肩書の下に綾小路賢太郎という名前が印刷されていた。男が言うには新企画のドラマに出演してくれる美女をさがしているのだとか。美女と聞いてそれが自分となんの関係があるのかしらと思いながら黙っていると、どうやらわたしをスカウトしようとしているのだった。

「そ、そんな。わたしなんて。おばさんですよ?」

「なにをおっしゃってるんですか。そんなに若々しいのに」

 たしかに表参道に来ることを考えていつもより少し若づくりにしてきてはいたけれども、それでももう四十半ばの中年ど真ん中だ。こに男はなにを考えているのだろう。

「お姉さん、あのですね、高齢成熟社会って聞いたことあります?」

 コウレイセイジュク・・・・・・知らないがなんとなくわかる。要は年寄りが増えてるってことでしょ? それにお姉さんといわれて少しだけ気持ちが和らいだ。

「そうなんですよ、いま、われわれのターゲットは、お年寄り。あ、いや。中高年齢者以上なんです。彼らは若い女性も好きだけれども、現実的には年相応の美女を求めているんですよ」

「はあ・・・・・・」

「つまり、今度の新企画では、中高年アイドルを創出しようとしているのです。いいですか? アイドルですよ!]

 アイドル? まだティーンの女の子たちがひらひらパンツが見えそうなミニをはいて歌って踊るやつ。そういえば三十年も前にすこしだけ憧れたっけ。でもそれがわたしとなんの関係が?

「あなたほど品のある、中高年アイドルにふさわしい人は見たことがない。どうかお話だけでも聞いていただけませんか?」

 怪しむわたしに男はああだこうだと理屈をこね、その一方では褒め言葉をちりばめて攻めてきた。こういうことはまったく未経験な身としてはつい強引な言葉にのせられておと音一緒にカフェに入った。テーブル席に落ちつくと、男はショルダーバッグの中からパンフレットを取り出して、真剣な表情で説得してきた。

「ほら、これですよ。脚本はいまをときめく秋山さん、メガホンを取るはほらCMでも有名な小林監督ですよ。お姉さん、僕に発見されてラッキーでした。ほんとうにこれは千載一遇の出会いだ。ああ、神様! 感謝します。きっとこれでこの企画は大成功間違いない!」

 天を向いて手を合わせる男にはあきれたが、わたしはすっかりその気になっていた。まさかこの歳でアイドルデビューだなんて。でも、たしかにそう。これから高齢社会になったら、こういうことだってありうるわ。テレビの中でインタビューを受けている自分の姿を想像した。

「表参道でスカウトされたって本当ですか?」

「ええ、そうなんです」

「美人のなせる技ですね」

「まさか、そんな。わたしなんてちっとも」

「でも、スカウトマンに見染められたのですよね?」

「ええ、まあそうなのですが……」

「で、中高齢アイドルになったご気分は?」

「そりゃぁもう、まさか自分がこんなことになるとは……」

 はっと目を開けると男がテーブルの上に書類を開いていた。

「ここと、ここにですね、サインをお願いできますか?」

 書類は契約書のようだった。そういえばさっきからそういう説明を受けていた。プロダクション契約というものを交わすそうだ。これによって他のプロダクションとは三年間は契約できなくなる。事務所からは仕事の都度ギャラが入って来るのだが、最初だけはプロフィールブックに載せるための撮影費やスタイリング、メイク料、印刷費などが必要で、もちろん事務所が半分負担するが、残りの半分は本人が支払うことになっているという。聞けば50万だという。50万は微妙だ。払えなくはないが、それだけあったらそうとうな買い物ができるし……。

「そこは、自分への投資だと思って」

 投資・・・・・・デビューしたら嫌でもお金がどんどん入って来るし、そんなことよりも有名になれるんですよ! たたこれっぽっちの投資で! そう言われてそうかなと思った。そうだ、わたしはアイドルになるんだ。中高齢アイドル! これからの世に問う新企画の中心人物! わたしは男が差し出した書類にサインした。ここと、ここと、そこに。会社に言わなきゃ。辞表も出さなければならないわね。そうだ、旦那に相談するべきだったかな? でもあの人もきっと喜んでくれる。あの人は昔アイドルオタクだったんだし。すっかり頭に血が上っていたわたし。男は唇を少し歪めてニマリとほほ笑む。さぁ、これであなたは僕たちが言う通りにするんですよ。いいですか?

「言う通り?」

「そうです。もう、この瞬間からあなたはアイドルへの第一歩を歩きはじめたんですからね!」

 男はなにかを含んだような笑いを浮かべて立ち上がった。

                                                  了


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