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第九百七十八話 原始人 [文学譚]

 気がつくと草原の真ん中で眠っていた。背の高い樹木の森に囲まれたサッカー場くらいの草原だ。どこかから叫び声が聞こえてきたので驚いて起き上がると、森の中から巨大な猪が飛び出してきて、その後を数人の人間が追いかけているのだった。猪には槍が突き刺さっていて、間もなく力尽きて倒れた。嬌声を上げながら獲物を取り囲む人々の最後尾にいた一人がこちらに気がついて近づいてきた。どうしよう。逃げるべきなのか。迷ったが、体が竦んで動けない。男はどんどん近づいてくる。人間には違いないが、ホームレスにも似た姿をしている。衣服というよりは薄汚れた布切れか革のようなものを身体中に巻きつけているといった風情だ。いったいここはなんなのだ。あいつは何者なのだ。

 目の前まで来たそいつは私の周りを回りながら珍しそうに観察している。背丈は私とそう変わらない。ボサボサに伸びた髪、彫りの深い端正な顔立ち、布切れから出ている手足は筋肉質ではあるが思いのほか細く華奢に見える。そして膨らんだ胸。膨らんだ胸? そいつが口を開いた。

「あんた、何者?」

 女だった。

「う、あう」

「喋れないのか?」

 私はようやく言葉を発した。

「ここは……なんなんだ?」

 彼女に案内されて集落にいた。どうやらここは原始の村らしかった。見たところ歴史の最初の方に出てくる縄文時代よりも遡った文明に思えた。だが言葉はあった。彼らは私の衣服や腕時計、携帯電話やiPodが入ったばっぐを珍しそうに触りながら、こんなもの見たことがないと言った。だが一人だけ自分は見たことがあると言った。隣の村に私と同じような旅人が現れたことがあるというのだ。その旅人は未来という国からやって来て、突如消えてしまったそうだ。

 ここはどこなのだと聞くと、ここはここだと村人の一人が答えた。いまは何年なのだと聞くとなんだそれは、何年とはどういう意味かと逆に問われた。どうやら私どのようにしてかはわからないが、原始時代にタイムスリップしてしまったらしい。私は隣の村にいたという旅人の真似をして、未来からやって来たのだと言った。

 未来とはどういうことかと聞かれて、説明のしようもないので未来という国から来たのだと答えた。原始人は言葉を持たないと思っていたが、ここの人々は流暢に言葉を話した。森の果物や槍で突いた獲物をご馳走になり数日を暮らすうちに、原始人は現代人となんら変わらないことが分かった。会社も学校もないが、夫婦と子供がいて家族単位で生活し、村社会の中でコミュニケーションしながら共同生活を営んでいた。ときどきは獲物の分け方で意見の相違があるなどで小競り合いが起きたり、狩が下手だ、才能がないと落ち込んで鬱状態になる者がいたり、恋人が浮気したというちょっとした騒ぎが起きたり、家に忍び込んだといって捕まる者がいたり、まったく現代と同じようなことが起きていた。現代と違うのは、電気やガス、電話などのメカニックがないことだ。いわば文明に頼らずに生活しているネイチャービレッジといった感じだ。

 最初に出会った女はアリという名前で、私に興味を持ったようで、その後も私に付き添って何かと世話をしてくれていたのだが、そのうちに私も彼女の美しさに惹かれはじめた。原始人特有の体臭には少し閉口したのだが、それもそのうちに慣れてしまった。ここは楽園だ。iPodがなんだ、携帯なんていらない。自然の中で暮らすことがこんなに快適だったとは。毎日、全身で感じながら眠った。

 目が覚めるとコンクリートの上にいた。なんだ?コンクリート? そんなもの初めて見た。誰かが叫んでいた。

「お前、そんなところでなにしてるだ?」

 周りを見ると鉄格子で囲まれている。真ん中にコンクリートの山があって、獣がうろうろしている。猿だ。ここは猿山だ。私は動物園の中の猿山で目覚めたらしい。衣服は原始人のように薄汚れ、私自身が猿のような姿でここに突如現れたようだ。戻ったのだ。私はアリの名を呼んでみたが、一匹の雌猿が近づいてくるばかりだった。

                                           了


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