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第九百六十七話 ぼくに足りなかったもの [文学譚]

 「いまから買いにいこう」

 ぼくの十二回目の誕生日が近づいたあるとき父はぼくを連れて商店街に出かけた。バスと電車を乗り継いで向かう途中、父はなぜそれが必要なのかについてぼくに説明した。

「わしらも持ってないんやが、そんなもんはいらんと思うてきた。けどな、新聞見てみ。人のもん取ったり、近所の人殺したり。それどころか親は子を虐待するわ、子は親を殺すわ。とんでもない世の中や」

 父がなにを言っているのか、なにを伝えたいのかたぶん半分くらいしか真意はわからなかったが、ぼくは神妙な顔をして頷き続けた。

「結局な、人間にはよりどころがいるっちゅうことや。昔の親父にはあったもんが、もはや俺らにはそういうもんがなくなってもうた。そやからこれからの時代を生きるお前にはあった方がええと思うんや」

 行く先々の店で父はそれを探しまわった。電気店、八百屋、精肉店、靴屋、ブティック……どの店にもそれは置いていないようだった。父は店主に在庫の有無を訊ねたがどの店主も首をかしげてそんなものは扱ったことがないと言った。最後の店の店主が、そういうものは病院で処方してもらうものではないかと言うので、商店街の出口近くにあった総合病院を訪ねた。

「ここは病院ですよ。そういうものはお寺とかじゃないですか?」

 受付の女性に言われて父はそうか、そうだったと両手を打った。寺はたしか駅前近くにあった。ぼくたちはそこまで戻って、寺の門をくぐった。ごめんください。父が大声で叫ぶと髪の毛の長い若い坊主が現れて言った。

「父の代まではそういうものも少しぐらいはあったみたいですけど、いまはねぇ。この通り、ここではお葬式と法事を執り行うくらいで、それすら形ばかりのものでね……たぶん、この国にはないと思いますよ。そこの教会できいてみたらどうでしょう」

 表に出ると住職が教えてくれたところに教会があった。牧師は日本人でやはり住職と同じ事を言った。だが、どこに行けば手に入るかを知っていて、こっそりと教えてくれた。

 翌日父はぼくを連れて空港に向かった。国際便に乗せられて十数時間。ぼくには詳しくはわからないのだけれども、どこか地中海という海の近くの外国にたどり着いた。空港を出ると色の浅黒い人々が歩いていて、父はぼくの手を引っ張ってぐいぐいと歩いた。先の尖ったタジン鍋みたいな建物に入っていくと頭にぐるぐると布をいっぱい巻いたお爺さんがいて、そういうことならこの先の村にいるアブドルに頼んでみるといいと言った。父はすぐにアブドルに会いに行った。

「わしはもう、こんな歳だし、足が悪くて動けないし、もはや必要ない。だからお前さんに分けてやってもええ」

 アブドルというお爺さんが口に出したのは知らない言葉だったが父には通じたようだ。父は腹巻の中から財布を出して爺さんが持っていたものと交換した。

「全部やるからわしのかわりにジハードに行ってくれ」

 爺さんの言葉に父は首を横に振りながら爺さんから受け取ったものを半分だけぼくに渡して半分は爺さんに返した。

「半分かえすから、ジハードは自分でなんとかしてくれ」

 父はそう言った。爺さんは残念そうにうなだれた。

「ほら、これがわしらにはないものだ。お前はこのくらいは持っておいた方がいいものだ。爺さんのを全部もらったら大変なことになるがな、このくらいならちょうどいい」

「これ、なんなの?」

 ぼくが訊ねると父は言葉を探してから言った。

「これは、信仰心というものだよ。過去も未来も人間には必要なものだ。きっとお前の約に立つ」

 ぼくはそれを受け取って胸の中に収めたけれども、それがどういうものなのか、ほんとうはまだよくわからなかった。

                                      了


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