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第七百九十三話 パラれる [文学譚]

「よう、君、こないだはあんなに酔っ払って大丈夫だったか?」

 仕事先で顔見知りから声をかけられたのだが、何を言っているのかわからない。へ? 素っ頓狂な顔をしていると、彼は案の定だという表情で「ほらぁ、やっぱり。覚えてないんだ」と言った。どうやら三日ほど前に彼らと居酒屋で飲んだのだが、そのときのことらしい。

「君、あの夜は調子がいいとか言って、安ワインをガブガブ飲んでたじゃない。通りに出たら足もtがふらふらしてるものだから、送っていこうか? って言ったんだけど、あんたに送られる方が危険だわとかなんとか言ってさ」

「あら? そんなこと言ったっけ?」

「ま、君はいつでも失礼だから、慣れちゃってるけどね、そんなセリフには。あんまり酔っ払ってるから、とにかくタクシーには押し込んだの、覚えてないの?」

 私は愛想笑いを返してその場を離れたのだが、なんだか変な感じ。あの日のことはよく覚えている。確かに調子がよくってワインをたくさん飲んだ。飲んだけども、正体をなくすようなことにはならなかった。だから彼にそんなことは言わなかったし、タクシーにも乗っていない。店の前でみんなと別れてから、私はみんなとは反対方向にある駅に向かって一人で歩いて、電車で帰ったはずだ。なのに彼の話ときたら。誰かと思い違いしてるんじゃないかしら? それとも私の記憶違い? いやいやそんなはずはない。あの日のことはよく覚えている。山田くんの愚痴がつもよりひどかったことも、靖子が社内不倫を追求されて暴露しそうになったことも、鈴木くんが飲みすぎてなぜだか泣き出したことも、全部覚えている。だから私は酔いつぶれていない。酔って記憶を失ったことなど一度たりともないのだ。

 だけども最近、ときどき不安になることがある。お酒とは無関係に同じようなことが起きたりするのだ。昼間、通りで出会ったのに無視されたとかいうのはいい方で、約束したのにすっぽかされたとか、借りたはずのないお金を返してと言われたり、まるで自分ではない誰かと間違われているのではないかという感じのクレームを受けてしまうのだ。

 もしかして、私に似た人間がもうひとりいるのではないかしら?

 ふとそんな奇妙な考えが浮かんだ。自分によく似た人間がいて、私になり代わって私の知り合いに何かをしている? そう思うと気持ち悪いというよりも、恐ろしくなってしまう。誰かに相談したいけど……そこまで考えて禮子の顔が浮かんだ。禮子は旧い友人なのだが、昔から霊感が強く、こういうことに詳しいのだ。

「……ということで、これってさぁ、ほらあの、なんとかいう……そうそう、ドッペルげんちゃんとかいう……」

「それをいうなら、ドッペルゲンガーでしょ? その可能性もあるけれども、まぁ、違うわね。私の感ではそれは、パラレルワールドだと思うな」

「パラレル……わーるど?」

「そう。SF的な考え方だけどね、この世界と並行した世界がいくつもあって、ときどきそれが入れ替わったり、混線したりするの。そこで、隣の世界に移転してしまった人間は、昨日とほとんど変わらないけれども、なんだかおかしいなってことになるわけ」

「ヘェー! なにそれ。じゃ、私は隣の世界に移転してしまってるっていうの?」

「移転してしまったかどうかわからないけれど、電話が混線するみたいに、二つの世界が絡み合って、一瞬入れ替わったりしてるのかも。最近、その手の話をよく聞くわ」

「よく聞くって……私以外にも、こんな話があるってこと?」

「あるわよー。いくらでも」

「そうなんだ。……で、どうすればいいの、私は?」

「どうすればって……どうしようもないわね。これって大自然の営みみたいなものだから」

「大自然の営み?」

「そうよ、地震とか台風と同じ」

「でも、私の知らないところで、別の世界の私がしたことをとやかく言われるっていうのは困る……」

「そうねぇ、困るよねぇ。でも、仕方がないのよ。どうしようもできないの。だからね、そういうときにはね、笑ってこういうの。てへへって笑ってさ、『あら、私パラれちゃった』」

「パラれちゃった? なにそれ」

「パラレルワールドなんて言っても小難しいだけでしょ? だからさ、パラレルしちゃったっていうのを、今風にいうのよ。『パラれる』って」

「へぇええ。すごい。やっぱり禮子はすごいわ。そっか。私パラれているのね」

「そうそう、その調子。あなたも、隣の世界のあなたも、同時にパラれているの」

「♫パラれるってすばらしい!」

「調子にのらないの!」

                                   了


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